28/05/2009
仕事がない休日に、最近始めた習い事。Xylophone。木琴です。それもこれも偶然の出逢いからなるもので、やはり人生は不思議、です。マリンバ。昔小学校の音楽の時間に、音楽室においてあった木琴。あれのルーツは、アフリカです。鍵盤のところが木の板なのは一緒だけど、下の長い筒が、アフリカではひょうたんなの。すごくかわいい。そのひょうたんの中の空洞で、音が共鳴するいうわけ。それよりも遠い、昔には、土を掘った穴の上に木の板を置き、それを叩いたことが始まりだといわれているようです。何がいいかって・・・とにかく、その自然の織り成す音が、吸い込まれるほどに気持ち良く、永遠に聞いていたいような時間が、ゆーーーーっくりと流れる。なんともいえない、その気持ち。カラダに素直に染みこんでいくような音って、たとえば何があると思う?海の波。滝のしぶき。川の流れる小さな音。風が葉っぱを鳴らす音きっと、私にとっては自然の音がほとんどで。大好きなピアノやアコースティックギターでさえ、かなわない何か?がある。楽器の音、のように聞こえない。 なんというか・・「生きている木」が奏でる音なんだなあ・・と素直に思えた。私の先生は SK Kakraba Lobi 、SKと呼んでます。ガーナの北西部、普通の農家に生まれる。叔父が有名なXylophone playerだったこともあり、めきめきと能力を伸ばし特別に指導を受けるために首都アクラの学校に通う。そしてすぐに認められ、ついにはアクラの大学「The international center for African Music and dance at the University of Ghana-Legon」の講師として招かれ指導を始める。現在は個人的指導のみ。他は、Hewale Sounds というガーナ・西アフリカ伝統音楽のバンドで活動中。ちょうど、今月25日に、African Union Day という大きな祝日があり、今年はエジプトでMusic Festivalが開かれる。そこに、招待された!みたいで、現在エジプトに渡航中。世界の共通言語である「音楽」に触れるということは、少しだけ早く、Heart of AFRICAに触れられるきっかけにもなり得るわけで。SKとのレッスンを思い切って始めたことは 本当に良かったと思う。不思議なくらいに、そこからいろんなことがまた繋がり、広がった。レッスンの場所はDubois centerという場所で、そこにたどり着くのだけでも初日は大冒険だった。そしてたどり着いたそこは、African Culture center として、いろんな ガーナの伝統的な芸術や文化を残していくためのセンターであった。そんな場所を知れただけでもかなり嬉しかった。ただ日々を過ごしているだけでは、こういう場所があったことさえも知らなかっただろう。やっぱり、アンテナに従って動くことは大事。早くついたので、敷地内にあったレストランにいってみると一人の若い女の子スタッフが朝の掃除してた。そこのDubois Museumにいってみたら?と勧めてくれた。「Duboisさんの銅像がそこにあるでしょう?彼がどういう人だったかわかるよ」確かに。なんだかとても知りたくなって、銅像の方に行ってみた。そして最初に見つけたのが、その近くにあった小さな・立派な建物の入り口にあった言葉であった。それが上の写真に載せてあるもの。読みながらなぜか 鳥肌 がたち正しい場所に着たということを 知らされた 気がした。これはゆっくり見るべきだと思い、入るのは2回目のレッスン日まで延期することにした。小さな感動を覚えつつ、初レッスン開始。教室はもちろん青空教室。外です。大きな木の根元の木陰のあたりです。鳥の糞も普通におちてきます。でもこれがまた最高で。。時間を忘れるような瞬間でした。もちろん私の重大目的の一つである「文化・伝統」を知るための紐解き のためにもたくさん質問したし、初歩的な知識を少しずつ教えてもらった。どの部族がこれらを使ってたのか。どんなときにこれを弾いていたのか。これよりも古いやつにはキーも何もなかったことも、、多分入り口にも立ってない私にはもう時間が足りないくらいにさえ感じた。知りたくて知りたくて。夢中で弾いていたら「Do you like music?」と聞かれた。・・・・・・!音楽が好きかって? 今、好きかって、聞いた?嘘でしょ。あたりまえでしょ。そんなこと、久しぶりに聞かれたので、アホみたいにどう答えようかと戸惑った。だって、好きとかいうレベルじゃないくらいに私は音楽を愛しているし、音楽の力と愛を信じてる。でも普通に答えた。「どれくらい愛してるか説明できないよ!」そしたら笑ってた。ひとまず初日レッスンが終わり。帰ろうとしたときに、さっきの女の子が「名前なんていうの? アダンフォ(ともだち)になろうよ!」なんか嬉しかった。こっちきてからというもの、肌が黒くない人種(オブロニと呼ばれる)として歩いていると どうしても「MONEY」の看板を背負って歩いているようなイメージで笑顔で話しかけてくる人の目的にはやはり何かを買ってほしいからであったり子どもたちでさえも最後には「Give me money」になるわけでまるで 私はここでは 本当の友達なんてつくれないんじゃないかと悲観的になってしまうくらいにそれは私のココロををじくじくと静かに、とても小さいけれど、何度も突き刺していた。わたしたちはすぐに電話番号交換した。彼女の名前は ポーシャ。 きっと また来るからね!そして2度目のレッスン日。また早く着いたので前回に決めてた Duboisさんの記念館を訪ねた。彼の父親は白人、母親はアフリカ人だったようで、まだ幼い頃に家族でアメリカに渡り、黒人の血を持つ者としては初のハーバード大学博士号卒業その後の人生をすべてアフリカのために費やしたような人で アメリカの有名な雑誌のCRISISでの執筆業や作家などの道を経てヨーロッパなど世界中で行われていたアフリカのための会議などに重役として就任。当時のガーナ大統領、Nkruma大統領はDuboisさんと同じように 物事の見方が優れていたようで 2人はとても仲が良かったそうだ。ガーナでの活動中に老衰で亡くなられたDuboisさんに、Nkrumaという同じ名前が授けられていた。初日に見た小さな立派な建物は Duboisさんの棺のある館だった。その棺を目の前にして立ち尽くしていたときにSKから突然電話がなり 「もう来てるよ」と催促されその日はそこでDuboisさん記念館をあとにした。今回はSKと、もっとじっくりといろんな話をすることができた。そのきっかけは、私がかねがね思っていたことを素直に話したことがきっかけだった ように思う。「こういうガーナの素敵な部分(もともとある音楽、Xylophoneとか伝統ダンスとか)こそを守っていってほしいと思う。 まだ1ヶ月ちょっとしかここをみてないけど、なんだか人々は(特に若い人)もう伝統とか、ガーナの美しい部分を忘れてしまっている気がするよ。」私は別に「伝統=美しい」と言っているのではない。伝統だからいいとか、現代のものは悪いとかなんて思ってない。伝統でも変えるべきものはあるし、現代のものでも良いものはある。ただ、Xylophoneに関しては、明らかに美しい伝統・文化であると思ったから、素直にそれを伝えた。私は、音楽の力を本当に信じている。多くの人々のココロを揺さぶるということを 簡単にやってのけるからである。それは、政府や大統領にだって、難しいこと。なぜ、音楽にはそれができるのか?資本主義の世界などに生きていない、普遍的な世界の言葉だからである。それは最も原始的jな魂の言葉で、宇宙のことば。 ガーナの子ども達の目には今、何が映っているのだろう?最新の携帯?車?ビル?私なんかより 遥かに音楽とリズムのセンスをDNAレベルで兼ね備えた アフリカの子ども達たった一人でもいいからSKのXylophoneをみて 自分の能力を信じて生きていこうとする子や音楽の力を感じられる子やそれによって本当の意味で生き生きと輝く子が現れるといいな と勝手に妄想。私が一生懸命伝えた半分は思いが通じたようでSKはわかってくれたようだった。多分、その日からいろいろと話すようになれた、と思う。そして次の休みの日。話してた「ガーナの伝統ダンス」を見せてくれるということで連れて行ってくれたのがSKが講師をしていた大学と同じ大学。そこで出逢ったダンサーたちは完全なるプロだった。「ガーナ・ダンス・アンサンブル」といって、ガーナで唯一このグループだけが、ガーナ政府から支援を受けている、ナショナルグループだった・・・!海外や国際的なステージで活躍してる、プロ中のプロ。そこらへんのステージでは見れないだろう。。貴重な機会!嬉しかった。SKがそのグループのドラマーやダンサーの数人と親しい友人であったから来れたわけで。練習風景を少しだけ見させてもらったのだけど(もちろん写真禁止)、すごい。 の一言。私も踊ってたからわかるけどNo-stopで「本気」で踊った場合、5分でもものすごい運動量なのだけど彼らは普通に20分くらいは踊り続けていた。そういうのを朝から晩までする。本当にものすごいパワーがダンサーたちの体中から発していて あまりの感動にまた 鳥肌。やっぱり 人間の体全部を使って表現するって すごく 「真実」。「気」が 立ち込めていた。途中のまち時間にピアノの音色が聞こえてあまりの嬉しさに 「いいなあ、私も弾きたい!」その音楽室らしき部屋には 壊れたピアノが2台と黄ばんで茶色くなったピアノが1台 あった。ドの音を出してみた。ドレミファソラシド の音を出してみた。ああ。なんて幸せ。ピアノの音、本当に大好きだ。 楽譜、持ってくれば良かった。伝統文化の中でも音楽やダンスからどうしても目が離せない。日本文化の中でもそう。念願のサンシンを始められたことについては本当に今でも感謝していてまさかガーナの副大統領の前で私のつたないサンシンをお披露目することになろうとも思ってもおらずなんとも幸せな瞬間であったかと、思う。 日本のココロを誇りをもって伝えたい!広島のサンシン教室の先生やみんなに出逢えて真剣に楽しく練習できたからこそ、こんな機会に出逢えた。それに、今回の同期ボランティアのみんなと一緒だったからこそできたこと。だからみんなにも本当に感謝。きりがないほどの アリガトウ が ある。今、ここに 在る ことに 感謝。それを 常に思い起こさせてくれる 音楽にも 感謝。I believe the POWER OF MUSIC, LOVE OF MUSIC.......!
Friday, January 15, 2010
目にみえないもの
30/05/2009
目にみえるものは 私を一切満たさないということは
ずっとずっと前からわかっていた
でも目にみえないものを欲することさえも
間違っているのだろうか
それはあまりにも辛すぎて 時折 泣きたく なる
信じても信じても 裏切られる場合はどうしたらよいのでしょうか
人を疑うことを始めるべきでしょうか
それはできない
私らしくないから
希望さえ捨ててしまえば 苦しくないのだけれどそれは できない。
私のルール 自分にも嘘をつかない
に反するから
そんな日にはいつか 私が 書いた、私を支えてくれているすべての大切な人を想い、書いた詩を自分にもおくろうと思い、ここに書きます
“Everything is connected”
Sun is always shinning for you.
Tears make you change “Beautiful”.
Look into the sky
With a shinning star.
The moon I will see is
Same as you will see.
Do you know how it makes me be strong…?
Cry until you smile.
Laugh until you cry.
Feel your life.
Free your soul.
Nothing can rob your
Spirit, soul, strength
And Love.
すべては繋がっている という宇宙のルールをいつも感じていたくて それを題にした
太陽はいつもあなたを暖かく照らしてくれる
涙はあなたを美しく変える
あの空に輝く星をみて
私がみるだろう月はあなたがみるだろう月と同じ
それがどんなに私を強く支えてくれているか・・・
泣こう 笑うまで笑おう 泣いてしまうまで
あなただけの人生を感じて
魂を解き放って
あなたから何かを奪うものがあっても
あなたの魂や精神や強さ、
そして愛を奪えるものはない
目にみえるものは 私を一切満たさないということは
ずっとずっと前からわかっていた
でも目にみえないものを欲することさえも
間違っているのだろうか
それはあまりにも辛すぎて 時折 泣きたく なる
信じても信じても 裏切られる場合はどうしたらよいのでしょうか
人を疑うことを始めるべきでしょうか
それはできない
私らしくないから
希望さえ捨ててしまえば 苦しくないのだけれどそれは できない。
私のルール 自分にも嘘をつかない
に反するから
そんな日にはいつか 私が 書いた、私を支えてくれているすべての大切な人を想い、書いた詩を自分にもおくろうと思い、ここに書きます
“Everything is connected”
Sun is always shinning for you.
Tears make you change “Beautiful”.
Look into the sky
With a shinning star.
The moon I will see is
Same as you will see.
Do you know how it makes me be strong…?
Cry until you smile.
Laugh until you cry.
Feel your life.
Free your soul.
Nothing can rob your
Spirit, soul, strength
And Love.
すべては繋がっている という宇宙のルールをいつも感じていたくて それを題にした
太陽はいつもあなたを暖かく照らしてくれる
涙はあなたを美しく変える
あの空に輝く星をみて
私がみるだろう月はあなたがみるだろう月と同じ
それがどんなに私を強く支えてくれているか・・・
泣こう 笑うまで笑おう 泣いてしまうまで
あなただけの人生を感じて
魂を解き放って
あなたから何かを奪うものがあっても
あなたの魂や精神や強さ、
そして愛を奪えるものはない
あなたのいのち いただきます
10/05/2009
10日。日本では母の日だね。
私がだした葉書はいつ両親に届くのやら・・・
こちらは日曜日、ガーナ中のほとんどの人々はキリスト教信者なので、どこの教会も人々で埋め尽くされ、ゴスペル&説教の日です。
教会へは皆、正装です。ガーナドレスをたくさん見ることができます。本当に綺麗で美しい。
ゴスペルは最高です。リズムはここで学ぶのかというほど盛り上がります。私も以前行きましたが、いろんな意味で感動。これについても必ずかきます。
今日は、「食」について。今は一人暮らしが始まっているので、好きな米を炊き、野菜を炒めてたべてる。ガーナの伝統料理やレストランではあまり野菜が出てこない。
でもガーナではオクラがとにかくたくさんとれる。なのでそれと、トマト・なす・きゅうり・にんじん・たまねぎ・缶のシーチキンなどをにんにくで炒めて、パスタ用のトマトソースであえて食べたりしてます。
缶のオイルサーディンもいける。日本から持参した醤油でいためたらむっちゃおいしい。あと、ひじきも持参してたので、それで米を炊いた。でも米は日本のが一番だね。
今日のお話はいのちをいただく ということです。着いてから2週間ほどのホームステイフ゜ロク゛ラムがあり、とある家族にお世話になったのだけど、それが本当に貴重な体験だった。
ガーナの一般家庭ではやっぱり炭水化物がメイン。とうもろこしの粉を練ったもの、いもの粉を練ったもの、プランテインというバナナの仲間をゆでたり揚げたり、ヤムといういもの仲間(でかい)をゆでたり。
それにシチューなどをつけて、手ですくって食べる。
そのシチューには、チキン・魚・カニ・牛の足や内臓・オクラ・たまねぎなどをいれ、パームオイルやとうがらしやいろんなスパイスをいれてぐつぐつ煮込む。私の苦手は「アフリカンマイマイ」=スネイル(大きいかたつむり)。それも入ってたけど食べられなかった。
もっと北部の方では、こうもり・ねずみが入っていたそうで。ハードです。
料理は大体外で行う。
そしてそれは常に女性の仕事である。家族には大体、親戚の子どもなどがいたりする。
そうすると、子どもの仕事になる。
子どもを育てられない親は、育てる余裕のある親戚に預けるということは、西アフリカでは普通らしい。
しかし、そうなってやってきた子どもたちは、メイドも同然の扱いを受ける。
私にはそうみえた。けれどそれも普通だという。
私にチュイ語を教えてくれたTwbaは21歳の女の子。彼女の父親はもう10年以上前に亡くなったから。だからここにきた。そういってTwbaは笑った。
ホストマザーのGiftyを” Anti Gifty ”(Giftyおばさん)とよんでた。Giftyは何をするにも、ものすごい剣幕でTwbaにさせていた。
それが普通なのかもしれないが、命令を超えた怒鳴り方のようにみえた。
食事は子ども達は外のテーブル、両親は中のテーブルで、一緒に食べるところは一度も見なかった。
子ども達は全員で5人いるので、皆学校や仕事から帰った順に料理を一緒に協力してつくる。特に週末は伝統料理。多めにつくる。
その中で一番、身動きとれないほどの初体験だったのは
「生きたにわとりの解体」。
路上のマーケットにしても、人々の一瞬の表情にしても、ただの風景にしても、ほんとうに撮りたいものこそなぜか、写真にはおさめられないでいる。
それは余地できないときに 急にやってくるしそのことを自分の目で焼き付けるのに精一杯でとてもカメラなんて向けることのできないほど価値のある瞬間だったりするから。
そう。だから、自分の目でみることや 自分の足で歩くことや 自分の手で抱きしめることが大事なんだね。
もう二度と戻らないその瞬間を生きてるって感じられるコツは、そこにあるのかな?
家族みんなで、カネシマーケットというものすごいローカルなマーケットに出向いた。
ごみも食べ物も人も子どももごった返しの、一面に広がる茶色いその風景。
方角もわからなくなるほどの迷路のような細い道。
そこを荷台いっぱいに水のタンクを積んだ商人が無理矢理通ろうとし、お菓子売りのおばさんのお菓子にぶつかりそれぞれ大事な商品であるお菓子、タンクがばらばらとこぼれおちた。
そして喧嘩が始まる。
お前のせいだ、あんたのせいだ、と・・・・そんな中を、左のオクラにぶつからないように、右のトマトにぶつからないように注意しながら、カタツムリや魚にむらがるハエをよけながら、高く積まれたゴミの山にお見舞いされないように気をつけながら、スリにあわないように気をつけながら、歩いた。
すごいエネルギーがいった。
そこでGiftyは大量の魚をバケツにたんまりと購入。値段交渉の仕方は、女王並み。さすが。 恐れ入りました。。
生きたにわとりも、ガラスケースに入れられて人々の頭のうえで売られていたり、路上では足だけをひもでくくりつけられ生きたまま、そこらへんにたばになって売られている。
そこから2羽購入し、家に持ち帰った。
まず、長男のジョシュアがにわとりを押さえつけ、長女のグロリアがにわとりのくびに包丁を入れ、いのちを絶つ。
血を流す。
そのときのにわとりの痙攣の様子が、脳裏に焼きついて今でも離れない。
そしてすぐに次女のアジョコがいる大きなバケツに放り込む。
そこでアジョコがすごい手馴れた手つきで羽をきれいにむしっていく。
まだ血が少しでているので、そのバケツには少し水がはってある。
むしったら、またグロリアがそのにわとりを手でつかみ、コンロの火で少しあぶる。
そうすると、産毛までとれるし、骨も折れやすくなって、あとで解体しやすいからだそうだ。
あぶりおわったら、グロリアはそのにわとりの首を ぐわっと ひきちぎり、頭だけ、また違うバケツに放り込む。
その後、チュバとグロリアで解体開始。
まな板と包丁で足や羽あたりをがっつり切っていく。
足の爪だけは丁寧に切って捨てる。
その後、ひきちぎった首のあたりから下の胸のところに「W」の字を書くように、包丁で切れ目を入れる。
ここはポイント。
そこで包丁を置き、手をその切れ目に入れ込みいっきに体を二つに引き裂く。
この瞬間もまた、すごい瞬間であった。
そうすると、卵がでてきた!!!すごい。。。
その後、みんなのすきな内臓部分や捨てる部分を綺麗に分別。
あっという間の解体。
気付いたら、いつもスーパーでみていたような、むね肉やささみや骨付きのチキンたちがいた。
まさに、いのちを、いただいた
私にとっては、そんな瞬間だった。
Giftyは私が写真をとらなかったので、驚いていた。
そして笑っていった。
「 That’s AFRICA.」
これができなかったら、ここでは母親になれないのか?ときいたら「そんなことないよ。やっぱりできない女性もいるから。母親になれないなんてことはないよ」
はあ。。
人間もまた動物であり、動物のいのちをいただかなくては生きていけないのだ。
あたまではわかっていたけれど、そのことをカラダで味わうということとは全く カラダに残るものが違う。
ここで生まれていたら、私も普通ににわとりを解体していたのかもしれない。
現代の日本という国に産まれたから、私はそれをしてこなかったけれどやはり、目の前でいのちをいただいて、目の前で食すという行為をしてみて、はじめて感じることが、ある。
その晩のシチューには、さっきのにわとりがおいしそうに浮いていた。
いただきます。
その一言の重みは、わたしのいのちの重みと同じなんだ。
10日。日本では母の日だね。
私がだした葉書はいつ両親に届くのやら・・・
こちらは日曜日、ガーナ中のほとんどの人々はキリスト教信者なので、どこの教会も人々で埋め尽くされ、ゴスペル&説教の日です。
教会へは皆、正装です。ガーナドレスをたくさん見ることができます。本当に綺麗で美しい。
ゴスペルは最高です。リズムはここで学ぶのかというほど盛り上がります。私も以前行きましたが、いろんな意味で感動。これについても必ずかきます。
今日は、「食」について。今は一人暮らしが始まっているので、好きな米を炊き、野菜を炒めてたべてる。ガーナの伝統料理やレストランではあまり野菜が出てこない。
でもガーナではオクラがとにかくたくさんとれる。なのでそれと、トマト・なす・きゅうり・にんじん・たまねぎ・缶のシーチキンなどをにんにくで炒めて、パスタ用のトマトソースであえて食べたりしてます。
缶のオイルサーディンもいける。日本から持参した醤油でいためたらむっちゃおいしい。あと、ひじきも持参してたので、それで米を炊いた。でも米は日本のが一番だね。
今日のお話はいのちをいただく ということです。着いてから2週間ほどのホームステイフ゜ロク゛ラムがあり、とある家族にお世話になったのだけど、それが本当に貴重な体験だった。
ガーナの一般家庭ではやっぱり炭水化物がメイン。とうもろこしの粉を練ったもの、いもの粉を練ったもの、プランテインというバナナの仲間をゆでたり揚げたり、ヤムといういもの仲間(でかい)をゆでたり。
それにシチューなどをつけて、手ですくって食べる。
そのシチューには、チキン・魚・カニ・牛の足や内臓・オクラ・たまねぎなどをいれ、パームオイルやとうがらしやいろんなスパイスをいれてぐつぐつ煮込む。私の苦手は「アフリカンマイマイ」=スネイル(大きいかたつむり)。それも入ってたけど食べられなかった。
もっと北部の方では、こうもり・ねずみが入っていたそうで。ハードです。
料理は大体外で行う。
そしてそれは常に女性の仕事である。家族には大体、親戚の子どもなどがいたりする。
そうすると、子どもの仕事になる。
子どもを育てられない親は、育てる余裕のある親戚に預けるということは、西アフリカでは普通らしい。
しかし、そうなってやってきた子どもたちは、メイドも同然の扱いを受ける。
私にはそうみえた。けれどそれも普通だという。
私にチュイ語を教えてくれたTwbaは21歳の女の子。彼女の父親はもう10年以上前に亡くなったから。だからここにきた。そういってTwbaは笑った。
ホストマザーのGiftyを” Anti Gifty ”(Giftyおばさん)とよんでた。Giftyは何をするにも、ものすごい剣幕でTwbaにさせていた。
それが普通なのかもしれないが、命令を超えた怒鳴り方のようにみえた。
食事は子ども達は外のテーブル、両親は中のテーブルで、一緒に食べるところは一度も見なかった。
子ども達は全員で5人いるので、皆学校や仕事から帰った順に料理を一緒に協力してつくる。特に週末は伝統料理。多めにつくる。
その中で一番、身動きとれないほどの初体験だったのは
「生きたにわとりの解体」。
路上のマーケットにしても、人々の一瞬の表情にしても、ただの風景にしても、ほんとうに撮りたいものこそなぜか、写真にはおさめられないでいる。
それは余地できないときに 急にやってくるしそのことを自分の目で焼き付けるのに精一杯でとてもカメラなんて向けることのできないほど価値のある瞬間だったりするから。
そう。だから、自分の目でみることや 自分の足で歩くことや 自分の手で抱きしめることが大事なんだね。
もう二度と戻らないその瞬間を生きてるって感じられるコツは、そこにあるのかな?
家族みんなで、カネシマーケットというものすごいローカルなマーケットに出向いた。
ごみも食べ物も人も子どももごった返しの、一面に広がる茶色いその風景。
方角もわからなくなるほどの迷路のような細い道。
そこを荷台いっぱいに水のタンクを積んだ商人が無理矢理通ろうとし、お菓子売りのおばさんのお菓子にぶつかりそれぞれ大事な商品であるお菓子、タンクがばらばらとこぼれおちた。
そして喧嘩が始まる。
お前のせいだ、あんたのせいだ、と・・・・そんな中を、左のオクラにぶつからないように、右のトマトにぶつからないように注意しながら、カタツムリや魚にむらがるハエをよけながら、高く積まれたゴミの山にお見舞いされないように気をつけながら、スリにあわないように気をつけながら、歩いた。
すごいエネルギーがいった。
そこでGiftyは大量の魚をバケツにたんまりと購入。値段交渉の仕方は、女王並み。さすが。 恐れ入りました。。
生きたにわとりも、ガラスケースに入れられて人々の頭のうえで売られていたり、路上では足だけをひもでくくりつけられ生きたまま、そこらへんにたばになって売られている。
そこから2羽購入し、家に持ち帰った。
まず、長男のジョシュアがにわとりを押さえつけ、長女のグロリアがにわとりのくびに包丁を入れ、いのちを絶つ。
血を流す。
そのときのにわとりの痙攣の様子が、脳裏に焼きついて今でも離れない。
そしてすぐに次女のアジョコがいる大きなバケツに放り込む。
そこでアジョコがすごい手馴れた手つきで羽をきれいにむしっていく。
まだ血が少しでているので、そのバケツには少し水がはってある。
むしったら、またグロリアがそのにわとりを手でつかみ、コンロの火で少しあぶる。
そうすると、産毛までとれるし、骨も折れやすくなって、あとで解体しやすいからだそうだ。
あぶりおわったら、グロリアはそのにわとりの首を ぐわっと ひきちぎり、頭だけ、また違うバケツに放り込む。
その後、チュバとグロリアで解体開始。
まな板と包丁で足や羽あたりをがっつり切っていく。
足の爪だけは丁寧に切って捨てる。
その後、ひきちぎった首のあたりから下の胸のところに「W」の字を書くように、包丁で切れ目を入れる。
ここはポイント。
そこで包丁を置き、手をその切れ目に入れ込みいっきに体を二つに引き裂く。
この瞬間もまた、すごい瞬間であった。
そうすると、卵がでてきた!!!すごい。。。
その後、みんなのすきな内臓部分や捨てる部分を綺麗に分別。
あっという間の解体。
気付いたら、いつもスーパーでみていたような、むね肉やささみや骨付きのチキンたちがいた。
まさに、いのちを、いただいた
私にとっては、そんな瞬間だった。
Giftyは私が写真をとらなかったので、驚いていた。
そして笑っていった。
「 That’s AFRICA.」
これができなかったら、ここでは母親になれないのか?ときいたら「そんなことないよ。やっぱりできない女性もいるから。母親になれないなんてことはないよ」
はあ。。
人間もまた動物であり、動物のいのちをいただかなくては生きていけないのだ。
あたまではわかっていたけれど、そのことをカラダで味わうということとは全く カラダに残るものが違う。
ここで生まれていたら、私も普通ににわとりを解体していたのかもしれない。
現代の日本という国に産まれたから、私はそれをしてこなかったけれどやはり、目の前でいのちをいただいて、目の前で食すという行為をしてみて、はじめて感じることが、ある。
その晩のシチューには、さっきのにわとりがおいしそうに浮いていた。
いただきます。
その一言の重みは、わたしのいのちの重みと同じなんだ。
Birthday 31years
29/04/2009
アクラ。
今日は雨。
一人暮らしが始まってから何日たっただろうか。
オーナーやセキュリティのみんなと少しずつ仲よくなってきた。
朝出勤前に必ず挨拶していく。「マーチェ、ミ コ エシ゛ュマ、オチナ~」(おはよう、働きにいきます、またね~)
そしたら、今朝は「コ フ゛ラ!」といってくれた。
なんかほわっとして嬉しかった。
たったそれだけのことが。
コ=行く、フ゛ラ=来る なので、つまり、行って帰り~ってことなんだよね。
遠い昔、私がまだ小さいころ、出かけるときにおばあちゃんに「行って帰り」と言われたことを思い出したの。
母に聞いた。「なんで、みんないってらっしゃいっていうのに、ばあちゃんは”行って帰り”なの?」って。
「行ったままじゃなくて、ちゃんと無事に帰ってきなさいねってことなのよ。本当はそう言うほうがいいね」
なんかこころの中が、ほわっとした。
こういうのを、あったかい というんだろうなあ・・そんなことを 想い、じんとしながら、朝の道を歩いた。
そういえば誕生日の朝、なんとも小さな、でもとても不思議なハプニングがありました。
毎朝、私はここガーナのメインの交通手段である「trotro=トロトロ」というバス(今にも爆発しそうな壊れそうな中古ワゴン)に乗って出勤している。
そして、赤信号で止まると、いっせいに物売りの人達が車のまわりに集まってきて、いろんなものを売ってくれる。
これは、ここではれっきとした商売・職業?です。主に食べ物・水・お菓子・果物、そして、ハンカチ・地図・おもちゃ・・何故かベルトや下着や靴磨きセット・・・あらゆるもの全てが、頭の上にのせられて運ばれてくる。
これについての驚異的なバランス力はまたいずれ書きたいと思う。
とにかく、その日もいつものように、物売りのお兄さんがやってきた。
31歳の、わたしの物語がまた始まる。すでにいつもの見慣れた風景をみながら、うわの空で私は彼の動きをみていた。
その日のトロトロには母親と赤ちゃんが一番前にいて、そのお兄さんは突然おもちゃを取り出し、音を鳴らした。
その曲は偶然にも「Happy Birthday to you, happy birthday to you ,,♪ 」
あとにもさきにもこれが最初で最後じゃないかという確率で・・今まで一度もこんなことなかった。
たったそれだけの偶然が、その軽いおもちゃの音にか、そのお兄さんの大きな無邪気な笑顔のせいか、何故かふいに思わず涙が一粒、うっかりおちてしまった。
なんで・・・・なんで?
左隣には人がすわっていたので、私は右をむいて涙をぬぐった。
そんで、また前をむこうと思ったのにまたこぼれおちてきて、なんでだろう?
限りなく自然に、ぽろぽろと・・・・・・。
車がすごいスピードでまた走り始めてくれたから、よかった。
目立たないようにぬぐって、私はまたまっすぐ前をむいた。
強い風がそのあと乾かしてくれた。
昔からそう。
一粒でも涙を流したあとは、少しだけ、目の光が強くなって少しだけ、目の色が深くなってそんな気がするから
それで何故かすっきりするから泣くことは、、きらいじゃない。
その日仕事場にいたValleryとRoseがBirthday Song歌ってくれた。
仕事のあと、協力隊仲間のいくちゃんとみわちゃんが、たくさんのご飯をつくってくれて、うちに来てくれた。
両親と姉からお祝いのメールをもらった。
たくさんの大事な友達からメールをもらった。
海外にいる、大事な友達からも・・・・私が今たっていられる理由はそこにあって逆をいえば、それがなくては私は今、たっていられなかった。
そのことをアフリカでもやはり同じように感じる。
きっと、隣にいたあの女性も、あのお兄さんも、みんな、同じように大切な人がみんなそれぞれ必要で
じゃなきゃ、人はなんて弱いんだろう?
でも、涙なんて枯れてしまうかのように、ここは、
人を「生きさせる」。
アクラ。
今日は雨。
一人暮らしが始まってから何日たっただろうか。
オーナーやセキュリティのみんなと少しずつ仲よくなってきた。
朝出勤前に必ず挨拶していく。「マーチェ、ミ コ エシ゛ュマ、オチナ~」(おはよう、働きにいきます、またね~)
そしたら、今朝は「コ フ゛ラ!」といってくれた。
なんかほわっとして嬉しかった。
たったそれだけのことが。
コ=行く、フ゛ラ=来る なので、つまり、行って帰り~ってことなんだよね。
遠い昔、私がまだ小さいころ、出かけるときにおばあちゃんに「行って帰り」と言われたことを思い出したの。
母に聞いた。「なんで、みんないってらっしゃいっていうのに、ばあちゃんは”行って帰り”なの?」って。
「行ったままじゃなくて、ちゃんと無事に帰ってきなさいねってことなのよ。本当はそう言うほうがいいね」
なんかこころの中が、ほわっとした。
こういうのを、あったかい というんだろうなあ・・そんなことを 想い、じんとしながら、朝の道を歩いた。
そういえば誕生日の朝、なんとも小さな、でもとても不思議なハプニングがありました。
毎朝、私はここガーナのメインの交通手段である「trotro=トロトロ」というバス(今にも爆発しそうな壊れそうな中古ワゴン)に乗って出勤している。
そして、赤信号で止まると、いっせいに物売りの人達が車のまわりに集まってきて、いろんなものを売ってくれる。
これは、ここではれっきとした商売・職業?です。主に食べ物・水・お菓子・果物、そして、ハンカチ・地図・おもちゃ・・何故かベルトや下着や靴磨きセット・・・あらゆるもの全てが、頭の上にのせられて運ばれてくる。
これについての驚異的なバランス力はまたいずれ書きたいと思う。
とにかく、その日もいつものように、物売りのお兄さんがやってきた。
31歳の、わたしの物語がまた始まる。すでにいつもの見慣れた風景をみながら、うわの空で私は彼の動きをみていた。
その日のトロトロには母親と赤ちゃんが一番前にいて、そのお兄さんは突然おもちゃを取り出し、音を鳴らした。
その曲は偶然にも「Happy Birthday to you, happy birthday to you ,,♪ 」
あとにもさきにもこれが最初で最後じゃないかという確率で・・今まで一度もこんなことなかった。
たったそれだけの偶然が、その軽いおもちゃの音にか、そのお兄さんの大きな無邪気な笑顔のせいか、何故かふいに思わず涙が一粒、うっかりおちてしまった。
なんで・・・・なんで?
左隣には人がすわっていたので、私は右をむいて涙をぬぐった。
そんで、また前をむこうと思ったのにまたこぼれおちてきて、なんでだろう?
限りなく自然に、ぽろぽろと・・・・・・。
車がすごいスピードでまた走り始めてくれたから、よかった。
目立たないようにぬぐって、私はまたまっすぐ前をむいた。
強い風がそのあと乾かしてくれた。
昔からそう。
一粒でも涙を流したあとは、少しだけ、目の光が強くなって少しだけ、目の色が深くなってそんな気がするから
それで何故かすっきりするから泣くことは、、きらいじゃない。
その日仕事場にいたValleryとRoseがBirthday Song歌ってくれた。
仕事のあと、協力隊仲間のいくちゃんとみわちゃんが、たくさんのご飯をつくってくれて、うちに来てくれた。
両親と姉からお祝いのメールをもらった。
たくさんの大事な友達からメールをもらった。
海外にいる、大事な友達からも・・・・私が今たっていられる理由はそこにあって逆をいえば、それがなくては私は今、たっていられなかった。
そのことをアフリカでもやはり同じように感じる。
きっと、隣にいたあの女性も、あのお兄さんも、みんな、同じように大切な人がみんなそれぞれ必要で
じゃなきゃ、人はなんて弱いんだろう?
でも、涙なんて枯れてしまうかのように、ここは、
人を「生きさせる」。
Mama Africa
03/18/2009
23日。アフリカ、ガーナへ旅立つ。
ずっとずっと、何年も想い続けた、アフリカ。
とうとう、このときが、きた。
”アフリカの水を一度飲んだ者は、また必ずアフリカに帰る”
そんなどこからか聞いた言葉を思い出しながら、期待と不安と覚悟と希望が入り混じった、妙な気持ちをコントロールしつつ、準備をする。
昨日、ご先祖様のお墓に母と2人で参った。
墓石にはいつものように、3人の影がうっすらとあり、私はいつもそれを見て帰るのが習慣だった。
昨日もまたそれを見て、安心して帰った。
仏壇にも参り、おばあちゃんの写真をしばらく眺めた。
そのあと、シュタークのお墓に一人で行き、掃除を始めた。
山の中のうちの畑の中にあるので、また草がたくさん生えていた。
最初にくわで草の根っこを掘って、綺麗に土をならした。
綺麗になったその土を見ていたら突然胸が苦しくなって、涙が溢れてきて、苔がにじんで見えた。
どこに草があるのかわかないくらいにぼとぼとと涙がこぼれ、それでも掘り続けた。
かわいいシュタークにぴったりのお花を母が買ってくれてたので、それを飾った。
暑い夏によく私は水をシュタークにあげわすれていたことを今でも思い出す。
真ん中の石にしっかりと綺麗なお水を流し、一つの湯のみ茶碗にたっぷりとこぼれるまで水を注いだ。
そしてろうそくを灯して、お線香をあげるころにシュタークがまわりをぴょんぴょんと飛び跳ねている気がしたのでなんだか安心して、掃除を終えた。
うちの畑や事務所や家を静かに眺めた。
そして家に戻った。
今日は、私の尊敬する、故・星野道夫さんの詩を、書かせていただきたいと思う。
なぜ私が、わざわざアフリカに行こうと思うのか、それを一言で片付けるのは難しい。
「大人になって、私たちは子ども時代を懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になった様々な遊び、今はもう消えてしまった原っぱ、幼なじみ・・・なのだろうか。きっとそれもあるかもしれない。が、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識にもっていた時間の感覚ではないだろうか。
過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁である。
過去とか未来とかは、私達が勝手に作り上げた幻想で、本当はそんな時間など存在しないのかもしれない。
そして人間という生きものは、その幻想から悲しいくらい離れることができない。それはきっと、ある種の素晴らしさと、それと同じくらいのつまらなさをも内包しているのだろう。
まだ幼い子どもを見ているとき、そしてあらゆる生きものたちを見ているとき、どうしようもなく魅きつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。」
「苛酷な自然、と感じながら生きているエスキモーは、おそらく一人もいない。きっと、何と豊かな世界に生きている、と思っているだろう。
見知らぬ異国にやってきて考えることは、そこで暮らす人々と自分の埋めようのない距離感と、同じ時代を生きる人間としての幸福の多様性である。
どれだけ違う世界で生まれ育とうと、私たちはある共通する一点で同じ土俵に立っている。
それは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いなのだ。
そう思ったとき、異国の人々の風景と自分が初めて重なりあう。アラスカを旅しながら、様々な人に出会い、それぞれの物語に触れるたび、ぼくの中のアラスカは塗りかえられていった。
それは、とても一言ではくくることのできない現実の多層性というものである。
偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか、それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった。」
「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。
その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出逢う限りない不思議さに通じている。」
これからのアフリカの生活の中で、きっと私は何度も星野さんの言葉や写真を思い出すだろう。
それから、そうなるであろう他の尊敬する人がまだ他にもたくさんいる。
伊勢崎賢治さんhttp://www.magazine9.jp/isezaki/index.html
土井香苗さん (Human rights watch 日本支部Director)http://www.hrw.org/en/languages?filter0=ja
伊藤 剛 さん(Generation Times 編集長)http://www.generationtimes.jp/blog/2006/11/today_is_my_lifevol07.html
星野さんを含め、特にこの4人の方々に、今、とても私は注目し、そして学んでいる。
私はいつもいつも学ばされている。
不思議なことがもうすでに起こっている。
私が、何か誰かを想い行動したり、自分以外の為に動いたりしたとき必ずといっていいほど、それ以上の学びや豊かさが、私に返ってくるのである。
本当に不思議で、ああ、やっぱりそうだったのか、と思わずにはいられなかった。
そして、その行動の方向性は、一人一人違う。ツールも道も違う。
だから、違って見えるかもしれないが、私もあなたも、同じ道を歩めるのである。助け合う、という、道を。
そしてその想いはすべて繋がっている。
あなたが助けた誰かは私を助けるかもしれない
私が助けた誰かはあなたを助けるかもしれない
ある角度からみたら私は 何ももっていない
かもしれないけれど、実は私はすでに、とても、貰っている。
目にみえない大切なものを。だから、その角度からみたら私は とても幸せに溢れてる幸せ者だ。
これからも、もっともっと、貰ってしまうのだろう、たくさんの ホントのコトを。
それがいい。私は。
こんな私でもずっと守ってきたことがある。
自分に嘘をつかないこと。
真実から目をそらさないこと。
それから、ずっと信じていることがある。
きっと本当に愛する人と愛し合い、子どもを持ち、その子に伝えたい。
たとえ世の中がどんなに狂っていても、人生は、素晴らしいんだってことを。
行ってきます。ガーナに着いたら、深呼吸をして、覚悟を決めます。
私のまわりにいてくれた、すべての大切な人へ心からありがとう。
23日。アフリカ、ガーナへ旅立つ。
ずっとずっと、何年も想い続けた、アフリカ。
とうとう、このときが、きた。
”アフリカの水を一度飲んだ者は、また必ずアフリカに帰る”
そんなどこからか聞いた言葉を思い出しながら、期待と不安と覚悟と希望が入り混じった、妙な気持ちをコントロールしつつ、準備をする。
昨日、ご先祖様のお墓に母と2人で参った。
墓石にはいつものように、3人の影がうっすらとあり、私はいつもそれを見て帰るのが習慣だった。
昨日もまたそれを見て、安心して帰った。
仏壇にも参り、おばあちゃんの写真をしばらく眺めた。
そのあと、シュタークのお墓に一人で行き、掃除を始めた。
山の中のうちの畑の中にあるので、また草がたくさん生えていた。
最初にくわで草の根っこを掘って、綺麗に土をならした。
綺麗になったその土を見ていたら突然胸が苦しくなって、涙が溢れてきて、苔がにじんで見えた。
どこに草があるのかわかないくらいにぼとぼとと涙がこぼれ、それでも掘り続けた。
かわいいシュタークにぴったりのお花を母が買ってくれてたので、それを飾った。
暑い夏によく私は水をシュタークにあげわすれていたことを今でも思い出す。
真ん中の石にしっかりと綺麗なお水を流し、一つの湯のみ茶碗にたっぷりとこぼれるまで水を注いだ。
そしてろうそくを灯して、お線香をあげるころにシュタークがまわりをぴょんぴょんと飛び跳ねている気がしたのでなんだか安心して、掃除を終えた。
うちの畑や事務所や家を静かに眺めた。
そして家に戻った。
今日は、私の尊敬する、故・星野道夫さんの詩を、書かせていただきたいと思う。
なぜ私が、わざわざアフリカに行こうと思うのか、それを一言で片付けるのは難しい。
「大人になって、私たちは子ども時代を懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になった様々な遊び、今はもう消えてしまった原っぱ、幼なじみ・・・なのだろうか。きっとそれもあるかもしれない。が、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識にもっていた時間の感覚ではないだろうか。
過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁である。
過去とか未来とかは、私達が勝手に作り上げた幻想で、本当はそんな時間など存在しないのかもしれない。
そして人間という生きものは、その幻想から悲しいくらい離れることができない。それはきっと、ある種の素晴らしさと、それと同じくらいのつまらなさをも内包しているのだろう。
まだ幼い子どもを見ているとき、そしてあらゆる生きものたちを見ているとき、どうしようもなく魅きつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。」
「苛酷な自然、と感じながら生きているエスキモーは、おそらく一人もいない。きっと、何と豊かな世界に生きている、と思っているだろう。
見知らぬ異国にやってきて考えることは、そこで暮らす人々と自分の埋めようのない距離感と、同じ時代を生きる人間としての幸福の多様性である。
どれだけ違う世界で生まれ育とうと、私たちはある共通する一点で同じ土俵に立っている。
それは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いなのだ。
そう思ったとき、異国の人々の風景と自分が初めて重なりあう。アラスカを旅しながら、様々な人に出会い、それぞれの物語に触れるたび、ぼくの中のアラスカは塗りかえられていった。
それは、とても一言ではくくることのできない現実の多層性というものである。
偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか、それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった。」
「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。
その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出逢う限りない不思議さに通じている。」
これからのアフリカの生活の中で、きっと私は何度も星野さんの言葉や写真を思い出すだろう。
それから、そうなるであろう他の尊敬する人がまだ他にもたくさんいる。
伊勢崎賢治さんhttp://www.magazine9.jp/isezaki/index.html
土井香苗さん (Human rights watch 日本支部Director)http://www.hrw.org/en/languages?filter0=ja
伊藤 剛 さん(Generation Times 編集長)http://www.generationtimes.jp/blog/2006/11/today_is_my_lifevol07.html
星野さんを含め、特にこの4人の方々に、今、とても私は注目し、そして学んでいる。
私はいつもいつも学ばされている。
不思議なことがもうすでに起こっている。
私が、何か誰かを想い行動したり、自分以外の為に動いたりしたとき必ずといっていいほど、それ以上の学びや豊かさが、私に返ってくるのである。
本当に不思議で、ああ、やっぱりそうだったのか、と思わずにはいられなかった。
そして、その行動の方向性は、一人一人違う。ツールも道も違う。
だから、違って見えるかもしれないが、私もあなたも、同じ道を歩めるのである。助け合う、という、道を。
そしてその想いはすべて繋がっている。
あなたが助けた誰かは私を助けるかもしれない
私が助けた誰かはあなたを助けるかもしれない
ある角度からみたら私は 何ももっていない
かもしれないけれど、実は私はすでに、とても、貰っている。
目にみえない大切なものを。だから、その角度からみたら私は とても幸せに溢れてる幸せ者だ。
これからも、もっともっと、貰ってしまうのだろう、たくさんの ホントのコトを。
それがいい。私は。
こんな私でもずっと守ってきたことがある。
自分に嘘をつかないこと。
真実から目をそらさないこと。
それから、ずっと信じていることがある。
きっと本当に愛する人と愛し合い、子どもを持ち、その子に伝えたい。
たとえ世の中がどんなに狂っていても、人生は、素晴らしいんだってことを。
行ってきます。ガーナに着いたら、深呼吸をして、覚悟を決めます。
私のまわりにいてくれた、すべての大切な人へ心からありがとう。
Earth - Stage
05/02/2009
今日もものすごい人に出逢えた。
つい10日前にパレスチナ・ガザ地区から帰ってきた桑山紀彦先生。
100メートル先に爆弾が落ちるのを見ながらもガザ地区の友達の家に向かった話、傷ついた子どもたちの心のケアの活動・・精神科医・医学博士であり、NPO法人「地球のステージ」代表理事。
パレスチナや東ティモール、被災地での国際医療支援活動など、日本では医師として診療を行う一方、地球のステージで作詞作曲した歌を歌い、ギターを弾き、自作の映像作品をみせてくれた。
すごい人だった。
ボランティアとは何か。国際協力とは何か。ずっといろんな角度から考え続けて、答えのない問いをずっと続けてた。
固有名詞の旅を、人生を、経験してきてくださいと先生は最後に言った。
先生はもともと国際協力もボランティアも大嫌いな人だった。どんな治療も手遅れで子ども達が目の前で死んでいったときに、もう医師という仕事を辞めようと何度も思ったという
でも、ある一人の子どもを助けることができたときに しぬほど嬉しくてそんな自分に驚きさえもしたと。
ああ、これなのか、と思ったという。
ボランティアとか協力とかいうものは決して人を助けるとかそんな良いものではなくてただ、単に、自分という人間をうつしてくれる鏡なのだとそれでいいんだと。
そうしたら やっと 楽になったんだと。そう思えたから、今でも続けられているんだって。
そして、見てみぬふりを決してしない。それがボランティア・協力の根幹なのではないかと思うと言われました。
とてもシンプルなことだけれども、本当に、そう思う
写真や、ニュースや、ドキュメンタリーをみて泣くことはいくらでもできるでも、そのあとに、それを忘れていくのではなくもしもあなたが優しさを少しでもわけてくれるなら、そのことについて冷静に調べてはくれないだろうか?
ほんの、少しだけでいいから。
「正確に知ろうとすること」それが、第一歩であり、優しさなのだと思う。
先生の友人でもある、ガザ地区の校長先生や、被災地の人々は、つい先月の一時停戦の日に、先生に話したという。
「本当によくきてくれた。遠い日本からはるばるきてくれた君にどれだけ励まされたかわかるか?僕達が一番恐れているのは、毎日この街に落ちる爆弾ではない。世界にこの街の悲劇を忘れられることだ 」
みんな、どう思いますか?
先生は現地の職場の病院で、いつも忘れないでいることがある。自分がどんなに「できる」と思った手術でも、必ず彼らに先に聞くという。
「やってもいいか?」なぜならそこは「彼らの病院」だからだ。
そんな単純なことだけれども、決して忘れてはいけない基本をまた学んだ。
そして、こうしたすべての体験をどうやって日本社会に還元していくのかということも、また学ばされた。
今日は本当に特に濃い日だった・・・・昼は語学テストで、開発のワークショップもあって。これがまたイギリスのNGOによって綿密につくられたもので、世界の貿易のシステム・格差が生まれる過程などを疑似体験するもの。かなり勉強になった。資源がない国がいかに苦しいかがわかった。
そのために、いかに「技術力」と「友好性」と「労働力」で勝負していくしかないかもわかった。
自由貿易が格差を多く産むことも。
ボランティアが突然やってきたときに思った感想としておもしろい意見があった。「誰?あなた、味方?ですよね?」と思った。という意見。うん。私たちが現地についたときに、相手に思われかねない言葉。
私は中級階級の国として動いていたのだけど、自分が一生懸命つくた製品を、先進国の人に安くしか買ってもらえず、安い給料でもいいから雇ってくれと自分から言わなくてはいけない状況が本当に悔しかった。
資源と道具と情報がないだけで、どんどん引き離されていき、気付いたら先進国だけの市場になっていてわたしたちはもう入るすきもなく、何をやっても先進国というブランドだけが優先される世界ができていた。
いろんな角度から見れたこのワークショップ、本当によくできている。資本主義や自由貿易のことをもっと知りたいと思った。
今日もものすごい人に出逢えた。
つい10日前にパレスチナ・ガザ地区から帰ってきた桑山紀彦先生。
100メートル先に爆弾が落ちるのを見ながらもガザ地区の友達の家に向かった話、傷ついた子どもたちの心のケアの活動・・精神科医・医学博士であり、NPO法人「地球のステージ」代表理事。
パレスチナや東ティモール、被災地での国際医療支援活動など、日本では医師として診療を行う一方、地球のステージで作詞作曲した歌を歌い、ギターを弾き、自作の映像作品をみせてくれた。
すごい人だった。
ボランティアとは何か。国際協力とは何か。ずっといろんな角度から考え続けて、答えのない問いをずっと続けてた。
固有名詞の旅を、人生を、経験してきてくださいと先生は最後に言った。
先生はもともと国際協力もボランティアも大嫌いな人だった。どんな治療も手遅れで子ども達が目の前で死んでいったときに、もう医師という仕事を辞めようと何度も思ったという
でも、ある一人の子どもを助けることができたときに しぬほど嬉しくてそんな自分に驚きさえもしたと。
ああ、これなのか、と思ったという。
ボランティアとか協力とかいうものは決して人を助けるとかそんな良いものではなくてただ、単に、自分という人間をうつしてくれる鏡なのだとそれでいいんだと。
そうしたら やっと 楽になったんだと。そう思えたから、今でも続けられているんだって。
そして、見てみぬふりを決してしない。それがボランティア・協力の根幹なのではないかと思うと言われました。
とてもシンプルなことだけれども、本当に、そう思う
写真や、ニュースや、ドキュメンタリーをみて泣くことはいくらでもできるでも、そのあとに、それを忘れていくのではなくもしもあなたが優しさを少しでもわけてくれるなら、そのことについて冷静に調べてはくれないだろうか?
ほんの、少しだけでいいから。
「正確に知ろうとすること」それが、第一歩であり、優しさなのだと思う。
先生の友人でもある、ガザ地区の校長先生や、被災地の人々は、つい先月の一時停戦の日に、先生に話したという。
「本当によくきてくれた。遠い日本からはるばるきてくれた君にどれだけ励まされたかわかるか?僕達が一番恐れているのは、毎日この街に落ちる爆弾ではない。世界にこの街の悲劇を忘れられることだ 」
みんな、どう思いますか?
先生は現地の職場の病院で、いつも忘れないでいることがある。自分がどんなに「できる」と思った手術でも、必ず彼らに先に聞くという。
「やってもいいか?」なぜならそこは「彼らの病院」だからだ。
そんな単純なことだけれども、決して忘れてはいけない基本をまた学んだ。
そして、こうしたすべての体験をどうやって日本社会に還元していくのかということも、また学ばされた。
今日は本当に特に濃い日だった・・・・昼は語学テストで、開発のワークショップもあって。これがまたイギリスのNGOによって綿密につくられたもので、世界の貿易のシステム・格差が生まれる過程などを疑似体験するもの。かなり勉強になった。資源がない国がいかに苦しいかがわかった。
そのために、いかに「技術力」と「友好性」と「労働力」で勝負していくしかないかもわかった。
自由貿易が格差を多く産むことも。
ボランティアが突然やってきたときに思った感想としておもしろい意見があった。「誰?あなた、味方?ですよね?」と思った。という意見。うん。私たちが現地についたときに、相手に思われかねない言葉。
私は中級階級の国として動いていたのだけど、自分が一生懸命つくた製品を、先進国の人に安くしか買ってもらえず、安い給料でもいいから雇ってくれと自分から言わなくてはいけない状況が本当に悔しかった。
資源と道具と情報がないだけで、どんどん引き離されていき、気付いたら先進国だけの市場になっていてわたしたちはもう入るすきもなく、何をやっても先進国というブランドだけが優先される世界ができていた。
いろんな角度から見れたこのワークショップ、本当によくできている。資本主義や自由貿易のことをもっと知りたいと思った。
Friday, January 1, 2010
Yes we can
2009/01/06
2008年のテーマは「水」と「アフリカ」、そして「生きろ」だった。
まさにそんな年だったように思う。
それは今後も続く。
だけど2009年新たに重ねる私のテーマとして「Mother Earth」、「先住民の物語」な気がする。
私達の大地と海のお話。
そして世界の原点回帰の予感。
先住民に関してはずっとずっと不思議なくらいに引き寄せられていた。
ネイティブアメリカンの教えに感動した遠い昔から、アボリジニの精神に出逢い感動した2007年、星野道夫さんの遺した本や写真により知ることとなったアラスカの先住民クリンギットの人々のこと。
それによって繋がりを知ることになった日本のアイヌのこと。
どれも大事すぎて、知ったものすべてを宝箱にしまっておきたいくらいの物語。だけどそんなもの、彼らにとってはほんのほんの一部。
その扉を開いただけで、旅はこれから。
どこまで知ることができるだろうか。
大地と海の物語、それは私達の地球のお話。
私が、愛してやまないもの。
それはあまりにも神がかった その大自然の色や空気や五感で感じるものすべて。自然という芸術作品。
私はそれを目の前にして ただ 涙することしかできない。
ワイメアキャニオンの谷底から吹き上げる風はエアコンよりも涼しかった。
海水の塩分はすべてを清め、病を治し、心を癒し、魂はそこで生まれてそこに帰る。だから塩は神聖なんだね。
なんだかすごく感じたの。ああ、そうだったんだ、って。海が好きで仕方ないのも、どこかでカラダが海を記憶してるからなんだろうか?
森もあらゆる生命を養ってる。海と森は支えあってる。
雨はその森を育み、その森にいる植物が水分を土に溜め、土にいるものが育まれ、それによって育まれる生物が互いに支え繋がって・・・それらによってやっと人間も生かされている。
すっかり養分を含んだ水がとうとう海にたどり着いたとき、それは完璧な ”魚へのプレゼント”。その魚がまた他の魚の餌になり、育てあい連鎖していく。
サメだって海のお掃除屋さんなのだ。必要とされている。
あの美しい熱帯魚は珊瑚がいなくては生きていけない。
私の大好きな色、あの限りなく緑に近い青も、珊瑚がいなきゃみれない。
何千万年?雨によって侵食されたその峡谷を見下ろした。
風の音が、その雄大な峡谷を 静かに優しく、だけどとても速く吹きぬけていった。
雨があがったあとの香りと湿った空気が混じりとても気持ちよくて深呼吸した。ふとみると虹がでていた。
この圧倒的な説得力は何なのだろう。
本当に大切なことを学ぶのに、文字など必要ないのかもしれないとさえ思った。
私達人間がこの自然を支配している とどうやったら思えるのだろうか。
そっちの方が知りたい。
私達が土地を「所有」することなど 本当は永遠にない。
だって大地は私達の母で 私達は子ども。
だから大地が私達を所有しているというほうがしっくりくる。この考え方は沖縄にもある。
アボリジニもはっきりとそう伝えている。
なぜ「自分の土地」と線を引き、それにこだわり 奪い合い 争わなくてはならないのか。
いつからそんな社会システムになってしまったのか。
なぜ助け合い 支えあう 社会システムでは持続しなかったのか。
欲しいばかり、自分ばかり。親子の争いも 夫婦恋人の争いも 友人同士のもめ事も 国同士の争いも地球上の戦争や紛争といわれるものすべて全部、根本は 変わりはしないんじゃないか。
「自分だけが欲しいから」「自分のことを先にわかってくれ」という傲慢さ。
結局、「人」と「人」なのだ。
私達人間という小さな生命を養ってきてくれた大自然が まだすぐそこにあって、たくさんのことを黙って 教えてくれている。
もう限界寸前なくらいに母の首をわたしたち子どもは締め付けているのにもかかわらず。
まるで誰にもその声は聞こえないみたいに私たちはまだ何かに突進し続けている。
もう、このまますべて壊れちゃえばいいのに。
そうしたら、やっとわかるのかもしれないね。
もしも一人一人が耳を澄ませたら?もしも一人一人が少しでもいいから「守りたい」「与えたい」って思ったら?
きっと、必ず奇跡が起こる。
私達の「守りたい」っていう小さな願いの何千倍・何億倍もの恵みを与えてくれる星。それが地球の奇跡。
それは母親の愛情と同じように、どこまでも深く、深く・・目にはみえないほど強く 優しい。
こんな素敵な星って、ない。
その星の上で、今日もまたABC NEWSは報道をする。
「 ・・ハマス側は公式な声明をだしたようです・・”イスラエルがGazaの子どもを殺すなら、こっちもイスラエルの子どもを殺す”・・・ハマス側はイスラエルの幼稚園に爆弾を投下した模様、多くの民間人の犠牲者がでており・・・」
もしも母なる大地が悲しみでしんでしまうことがあったならもう二度と人間なんて誕生しなければいい
だけど やっぱり まだ 諦めたくない。信じたいよ。
2008年のテーマは「水」と「アフリカ」、そして「生きろ」だった。
まさにそんな年だったように思う。
それは今後も続く。
だけど2009年新たに重ねる私のテーマとして「Mother Earth」、「先住民の物語」な気がする。
私達の大地と海のお話。
そして世界の原点回帰の予感。
先住民に関してはずっとずっと不思議なくらいに引き寄せられていた。
ネイティブアメリカンの教えに感動した遠い昔から、アボリジニの精神に出逢い感動した2007年、星野道夫さんの遺した本や写真により知ることとなったアラスカの先住民クリンギットの人々のこと。
それによって繋がりを知ることになった日本のアイヌのこと。
どれも大事すぎて、知ったものすべてを宝箱にしまっておきたいくらいの物語。だけどそんなもの、彼らにとってはほんのほんの一部。
その扉を開いただけで、旅はこれから。
どこまで知ることができるだろうか。
大地と海の物語、それは私達の地球のお話。
私が、愛してやまないもの。
それはあまりにも神がかった その大自然の色や空気や五感で感じるものすべて。自然という芸術作品。
私はそれを目の前にして ただ 涙することしかできない。
ワイメアキャニオンの谷底から吹き上げる風はエアコンよりも涼しかった。
海水の塩分はすべてを清め、病を治し、心を癒し、魂はそこで生まれてそこに帰る。だから塩は神聖なんだね。
なんだかすごく感じたの。ああ、そうだったんだ、って。海が好きで仕方ないのも、どこかでカラダが海を記憶してるからなんだろうか?
森もあらゆる生命を養ってる。海と森は支えあってる。
雨はその森を育み、その森にいる植物が水分を土に溜め、土にいるものが育まれ、それによって育まれる生物が互いに支え繋がって・・・それらによってやっと人間も生かされている。
すっかり養分を含んだ水がとうとう海にたどり着いたとき、それは完璧な ”魚へのプレゼント”。その魚がまた他の魚の餌になり、育てあい連鎖していく。
サメだって海のお掃除屋さんなのだ。必要とされている。
あの美しい熱帯魚は珊瑚がいなくては生きていけない。
私の大好きな色、あの限りなく緑に近い青も、珊瑚がいなきゃみれない。
何千万年?雨によって侵食されたその峡谷を見下ろした。
風の音が、その雄大な峡谷を 静かに優しく、だけどとても速く吹きぬけていった。
雨があがったあとの香りと湿った空気が混じりとても気持ちよくて深呼吸した。ふとみると虹がでていた。
この圧倒的な説得力は何なのだろう。
本当に大切なことを学ぶのに、文字など必要ないのかもしれないとさえ思った。
私達人間がこの自然を支配している とどうやったら思えるのだろうか。
そっちの方が知りたい。
私達が土地を「所有」することなど 本当は永遠にない。
だって大地は私達の母で 私達は子ども。
だから大地が私達を所有しているというほうがしっくりくる。この考え方は沖縄にもある。
アボリジニもはっきりとそう伝えている。
なぜ「自分の土地」と線を引き、それにこだわり 奪い合い 争わなくてはならないのか。
いつからそんな社会システムになってしまったのか。
なぜ助け合い 支えあう 社会システムでは持続しなかったのか。
欲しいばかり、自分ばかり。親子の争いも 夫婦恋人の争いも 友人同士のもめ事も 国同士の争いも地球上の戦争や紛争といわれるものすべて全部、根本は 変わりはしないんじゃないか。
「自分だけが欲しいから」「自分のことを先にわかってくれ」という傲慢さ。
結局、「人」と「人」なのだ。
私達人間という小さな生命を養ってきてくれた大自然が まだすぐそこにあって、たくさんのことを黙って 教えてくれている。
もう限界寸前なくらいに母の首をわたしたち子どもは締め付けているのにもかかわらず。
まるで誰にもその声は聞こえないみたいに私たちはまだ何かに突進し続けている。
もう、このまますべて壊れちゃえばいいのに。
そうしたら、やっとわかるのかもしれないね。
もしも一人一人が耳を澄ませたら?もしも一人一人が少しでもいいから「守りたい」「与えたい」って思ったら?
きっと、必ず奇跡が起こる。
私達の「守りたい」っていう小さな願いの何千倍・何億倍もの恵みを与えてくれる星。それが地球の奇跡。
それは母親の愛情と同じように、どこまでも深く、深く・・目にはみえないほど強く 優しい。
こんな素敵な星って、ない。
その星の上で、今日もまたABC NEWSは報道をする。
「 ・・ハマス側は公式な声明をだしたようです・・”イスラエルがGazaの子どもを殺すなら、こっちもイスラエルの子どもを殺す”・・・ハマス側はイスラエルの幼稚園に爆弾を投下した模様、多くの民間人の犠牲者がでており・・・」
もしも母なる大地が悲しみでしんでしまうことがあったならもう二度と人間なんて誕生しなければいい
だけど やっぱり まだ 諦めたくない。信じたいよ。
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