10/05/2009
10日。日本では母の日だね。
私がだした葉書はいつ両親に届くのやら・・・
こちらは日曜日、ガーナ中のほとんどの人々はキリスト教信者なので、どこの教会も人々で埋め尽くされ、ゴスペル&説教の日です。
教会へは皆、正装です。ガーナドレスをたくさん見ることができます。本当に綺麗で美しい。
ゴスペルは最高です。リズムはここで学ぶのかというほど盛り上がります。私も以前行きましたが、いろんな意味で感動。これについても必ずかきます。
今日は、「食」について。今は一人暮らしが始まっているので、好きな米を炊き、野菜を炒めてたべてる。ガーナの伝統料理やレストランではあまり野菜が出てこない。
でもガーナではオクラがとにかくたくさんとれる。なのでそれと、トマト・なす・きゅうり・にんじん・たまねぎ・缶のシーチキンなどをにんにくで炒めて、パスタ用のトマトソースであえて食べたりしてます。
缶のオイルサーディンもいける。日本から持参した醤油でいためたらむっちゃおいしい。あと、ひじきも持参してたので、それで米を炊いた。でも米は日本のが一番だね。
今日のお話はいのちをいただく ということです。着いてから2週間ほどのホームステイフ゜ロク゛ラムがあり、とある家族にお世話になったのだけど、それが本当に貴重な体験だった。
ガーナの一般家庭ではやっぱり炭水化物がメイン。とうもろこしの粉を練ったもの、いもの粉を練ったもの、プランテインというバナナの仲間をゆでたり揚げたり、ヤムといういもの仲間(でかい)をゆでたり。
それにシチューなどをつけて、手ですくって食べる。
そのシチューには、チキン・魚・カニ・牛の足や内臓・オクラ・たまねぎなどをいれ、パームオイルやとうがらしやいろんなスパイスをいれてぐつぐつ煮込む。私の苦手は「アフリカンマイマイ」=スネイル(大きいかたつむり)。それも入ってたけど食べられなかった。
もっと北部の方では、こうもり・ねずみが入っていたそうで。ハードです。
料理は大体外で行う。
そしてそれは常に女性の仕事である。家族には大体、親戚の子どもなどがいたりする。
そうすると、子どもの仕事になる。
子どもを育てられない親は、育てる余裕のある親戚に預けるということは、西アフリカでは普通らしい。
しかし、そうなってやってきた子どもたちは、メイドも同然の扱いを受ける。
私にはそうみえた。けれどそれも普通だという。
私にチュイ語を教えてくれたTwbaは21歳の女の子。彼女の父親はもう10年以上前に亡くなったから。だからここにきた。そういってTwbaは笑った。
ホストマザーのGiftyを” Anti Gifty ”(Giftyおばさん)とよんでた。Giftyは何をするにも、ものすごい剣幕でTwbaにさせていた。
それが普通なのかもしれないが、命令を超えた怒鳴り方のようにみえた。
食事は子ども達は外のテーブル、両親は中のテーブルで、一緒に食べるところは一度も見なかった。
子ども達は全員で5人いるので、皆学校や仕事から帰った順に料理を一緒に協力してつくる。特に週末は伝統料理。多めにつくる。
その中で一番、身動きとれないほどの初体験だったのは
「生きたにわとりの解体」。
路上のマーケットにしても、人々の一瞬の表情にしても、ただの風景にしても、ほんとうに撮りたいものこそなぜか、写真にはおさめられないでいる。
それは余地できないときに 急にやってくるしそのことを自分の目で焼き付けるのに精一杯でとてもカメラなんて向けることのできないほど価値のある瞬間だったりするから。
そう。だから、自分の目でみることや 自分の足で歩くことや 自分の手で抱きしめることが大事なんだね。
もう二度と戻らないその瞬間を生きてるって感じられるコツは、そこにあるのかな?
家族みんなで、カネシマーケットというものすごいローカルなマーケットに出向いた。
ごみも食べ物も人も子どももごった返しの、一面に広がる茶色いその風景。
方角もわからなくなるほどの迷路のような細い道。
そこを荷台いっぱいに水のタンクを積んだ商人が無理矢理通ろうとし、お菓子売りのおばさんのお菓子にぶつかりそれぞれ大事な商品であるお菓子、タンクがばらばらとこぼれおちた。
そして喧嘩が始まる。
お前のせいだ、あんたのせいだ、と・・・・そんな中を、左のオクラにぶつからないように、右のトマトにぶつからないように注意しながら、カタツムリや魚にむらがるハエをよけながら、高く積まれたゴミの山にお見舞いされないように気をつけながら、スリにあわないように気をつけながら、歩いた。
すごいエネルギーがいった。
そこでGiftyは大量の魚をバケツにたんまりと購入。値段交渉の仕方は、女王並み。さすが。 恐れ入りました。。
生きたにわとりも、ガラスケースに入れられて人々の頭のうえで売られていたり、路上では足だけをひもでくくりつけられ生きたまま、そこらへんにたばになって売られている。
そこから2羽購入し、家に持ち帰った。
まず、長男のジョシュアがにわとりを押さえつけ、長女のグロリアがにわとりのくびに包丁を入れ、いのちを絶つ。
血を流す。
そのときのにわとりの痙攣の様子が、脳裏に焼きついて今でも離れない。
そしてすぐに次女のアジョコがいる大きなバケツに放り込む。
そこでアジョコがすごい手馴れた手つきで羽をきれいにむしっていく。
まだ血が少しでているので、そのバケツには少し水がはってある。
むしったら、またグロリアがそのにわとりを手でつかみ、コンロの火で少しあぶる。
そうすると、産毛までとれるし、骨も折れやすくなって、あとで解体しやすいからだそうだ。
あぶりおわったら、グロリアはそのにわとりの首を ぐわっと ひきちぎり、頭だけ、また違うバケツに放り込む。
その後、チュバとグロリアで解体開始。
まな板と包丁で足や羽あたりをがっつり切っていく。
足の爪だけは丁寧に切って捨てる。
その後、ひきちぎった首のあたりから下の胸のところに「W」の字を書くように、包丁で切れ目を入れる。
ここはポイント。
そこで包丁を置き、手をその切れ目に入れ込みいっきに体を二つに引き裂く。
この瞬間もまた、すごい瞬間であった。
そうすると、卵がでてきた!!!すごい。。。
その後、みんなのすきな内臓部分や捨てる部分を綺麗に分別。
あっという間の解体。
気付いたら、いつもスーパーでみていたような、むね肉やささみや骨付きのチキンたちがいた。
まさに、いのちを、いただいた
私にとっては、そんな瞬間だった。
Giftyは私が写真をとらなかったので、驚いていた。
そして笑っていった。
「 That’s AFRICA.」
これができなかったら、ここでは母親になれないのか?ときいたら「そんなことないよ。やっぱりできない女性もいるから。母親になれないなんてことはないよ」
はあ。。
人間もまた動物であり、動物のいのちをいただかなくては生きていけないのだ。
あたまではわかっていたけれど、そのことをカラダで味わうということとは全く カラダに残るものが違う。
ここで生まれていたら、私も普通ににわとりを解体していたのかもしれない。
現代の日本という国に産まれたから、私はそれをしてこなかったけれどやはり、目の前でいのちをいただいて、目の前で食すという行為をしてみて、はじめて感じることが、ある。
その晩のシチューには、さっきのにわとりがおいしそうに浮いていた。
いただきます。
その一言の重みは、わたしのいのちの重みと同じなんだ。
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