Thursday, December 31, 2009

songline

2008/12/26

Sogline。
それは、オーストラリアの先住民、アボリジニの、「大地の唄」である。

白人はそれを「Dreamtime」「Dreaming」などと呼ぶ。
それは文字を持たない唄。
その唄はオーストラリア全土に渡る「広大な地図」を描いているという。
唄の中から言葉が生まれ、唄の中にすべての法律や道徳や生きる知恵があった。
アボリジニの約600ともいわれる数の、とある部族のシャーマンのような存在である男が話した。

「大地には唄がある。君には見えないが、私たちには見える。
それはずっと昔に歌われた唄で、その唄によってこの大地は描かれたのだ。
唄はこの地の上にすでにあった。君が生まれる前から、その唄はこの大地に描かれていた。
だからその唄を聴けば、この大地の上で起きているたいがいのことはわかる。私たちはドリームタイムなどとは呼ばない。
それは私たちにとって風や光と同じだからだ」

「我々には今もイニシエーションがある。ある年齢が来ると、ひとりで家を出て、長い旅にでる(WALK ABOUT)。彼は何も持っていってはいけない。
学んだ唄だけを持って旅に出るのだ。
それはとても長い唄だ。
その唄の中にはすべての道筋が描かれている。
正しく唄を歌えれば、彼は正しい道を進むことができる。そして再び部族のもとへ戻ってくることができる。別の部族と交わるとき、唄を正しく歌えないと命に関わることになる。
唄を忘れたり、間違えたら、地図は失われ、道に迷う。
この国の内陸部の気候は厳しい。迷えばそれは死に繋がる。
だから唄を覚えることは重要だ。
ソングラインを正しく辿れなければ、アボリジニとして生きていけない」

アボリジニのアートには、その唄=ソングラインが描かれている。

「私たちの頭の中には、古の時代からこういった絵がある。それは学ぶのではない。思い出すだけなのだ。 これは大地の唄なのだ」                                                                                          (SWITCHより)   
                                       
 オーストラリアでアボリジニの聖地の一つを訪れ、電気も水もないOUTBACKで、30℃の真夏の暑さの中・・延々と続く荒野を行き、息も苦しくなるほどの赤土の埃にまみれながら、奥地に足を踏み入れた。

スニーカーは真っ赤になっていた。途中は道などと呼べるような道ではなかった。岩をよじ登り、降り、崖をしがみついて渡ったり・・何時間歩き続けた頃だっただろう。

そして、オアシス。こんなところに。いのちの湖をみた。
その中に飛び込んだ。水面から浮かびあがり、仰向けに浮いた。 

空の青と岩の赤と太陽の光だけをみて、本当に、「綺麗だ」と思った。

水がないと、私たち、生きていけない。助かった。そう思った。

そして太陽が暮れていくのをあんなに焦ったことはなかった。
なぜなら電気がないから。
だけどそのときの夕陽の色と空の色を生涯忘れないだろう。

みるみるうちに気温は下がり、マイナス1度に。凍え死にそうな寒さの中、狼の鳴き声を聞きながらテントで眠る。

夜明け前に目がさめて外に出た。そのときの月の光。初めて知った。「月ってこんなに明るかったのか・・・」と。

とても神秘的で静かなまんまるの月の夜。私は懐中電灯もなしで歩いた。

そのときなんともいえないシアワセを感じ、はっと感じた。

地球が呼吸をしながら眠ってるみたい。そんな、寝息がしてたんだ。ほんとだよ。

夜明けの直前には、一番の暗闇が必ず来る。 それってとっても・・・私のお気に入り。 とても素敵だ。

私にはまるで絵を分析する才能などないのだけれど、あれからアボリジニの絵にどうしてもどうしても惹かれるから、わけもわからずただ直感に従って美術館にむかった。

その中には溢れるほどの魂が・・・一つ一つみていたのだけど、ある一つの絵に決めて、心を静かにしてずーーーーっと見ていたら急に一つの真理が私の中にとびこんできた。

「すべては繋がっている」と。

そう、すべては一つなんだ。

だけど、すべての生命は一つとして同じものなどない。違っているからこそ美しいんだ。

その違っているものすべてがそれを受け入れて、それらが皆繋がっている。

それらがまとまった一つの、その大いなるものこそが、宇宙の真理だったんだ。なんてこと・・・・。

ずっと知りたかったことが急に入ってきて、心臓がいたいくらいに高鳴った。。

涙が出そうだった。

アボリジニは、ずっとずっと前の古の時代からそれを知っていたんだ。。。

そう、今の文明を生きる私たちは、ただ、「忘れている」。