Sunday, August 15, 2010

arigatou 15th August, here and now.



日本時間では15日。

今日はそう、終戦記念日だった。
それから、決して忘れることのない、愛するシュタークの命日。

そんな今日、わたしは本当に守られた。


ガーナにきてからもう1年半。
ここの荒い運転や、今にも壊れそうな公共乗り合いバスには
いやでも慣れた。慣れるしかなかった。

フロントガラスのひびや
配線が見えているところや
ドアがはずれて落ちることや
エンジンあたりから煙が出ていても走り続けることや
突然止まって動かなっても またすぐに走り出すことや

そのすべてに驚く人はいない。
いつものことだから。
私も いつのまにか そうなっていた。


だけど 今日起こったことは 少し違った。と思う。


当たり前のようにその荒い運転に揺られながら
夕日を見ながらうとうとしていた。

急ブレーキで はっと 我に返ったときには もうすでに
前の車がみるみる近づいて まるで スローモーション。

その瞬間、何も考えられなかった。


奇跡のように、少し当たっただけで済んだ。

その後、何事もなかったかのように走り出す運転手とバス・・


心臓が激しく鼓動して落ち着けなかった。

どこを見ていいのかわからなかった。



ありがとう、シュターク。

ありがとう、ご先祖様。

それ以外に 言葉がみつからない。



そう、明日のことなんて 誰も知らない。

そんな 当たり前のことを ふと 思いだした。



だから やっぱり、「今」がすべて。

伝えたいことがあったら、今すぐ 伝えよう。

今度は、 ない。



でも 不思議だな。

たとえば 自分の命が尽きる前に

出逢った人の一人一人を うちに招待して

最後の言葉を言うとしたら、それぞれに何というのだろう。



ありがとう



しか思い浮かぶ言葉がないんじゃないだろうか・・




今、ここに生かされている。

そのあまりにも奇跡的な事実を 

どのように 表現したらよいだろう?



言葉にできない そんな日には

目を閉じて ただ 感じてみる。

Sunday, August 1, 2010

Charlie, wait small. I'm coming.

I'm playing Seperewa,
Ghanaian Tradtional Harp


Session with Atinbila.
Korigo( Atinbila ) & Maki ( Sanshin )


Tuning time before the performance

Atinbila's smile as usual



At the Coconut Glove Hotel in Accra
It's for the young African artist to show their talent.


「すぐ来るから!」「あとでね!」「ちょっと待ってて!」

とびっきりの笑顔で言うのだから、すぐ戻ってきそうである。

ガーナで最も使われているのではないかと思わせるほど

よく耳にする、そんな合言葉。

そして
そのまま、その彼・彼女らは戻ってこないのである。
仕方ないので、路上でココナッツ売りの兄ちゃんからココナッツを買って飲んでおしゃべりする。
まだ来ないので、その辺のドレス売り子の姉ちゃんのとこで色とりどりの仕立てられたドレスに夢中になってみる。
まだ来ない。
仕方ないのでさらにその辺の彫刻品やガーナ伝統布売りの兄ちゃんたちと値引き対戦をして遊んでみる。
まだ来ない。
疲れたのでその辺のちょっと良さげなレストランに仕方なく入り、ジュースを飲む。
空はだんだん赤くなり、そして気づいたら真っ暗な空にお月さま。

何時間待っても、次の日になっても。

そして、ある日忘れたころに何の気もなく元気に電話してくるのである。

それが日常であり、当たり前のように繰り返される。

「このまえ戻って来なかったじゃん」
「あはは。で?今何してるの?」

「このまえ約束してたのに来なかったね」
「あ~~そうそうちょうど親戚が御飯つくってくれて全部食べていけってうるさくてさ~しかもなんだかんだ話してたら遅くなっちゃって~~(延々と続く・注:こちらでは家族関係の力は絶大で何よりも逆らえないものである)で、元気~?会おうよ!今夜7時ねー」

というようなノリで、反省というものはなく、あくまで悪気がない。
言い訳を作る早さは天下一品。
そしてその笑顔。
いちいち怒っている自分がまるでアホのようになってくる。

なんか煙に巻かれてるようなもやもやした気持ちを抱えつつも
気づいたら一緒にまた笑っているのである。やれやれ。

なんでだろうなー。
「今日はもう戻ってこれないから、またね。電話で会う日をまた決めようね」
とか、何でもいいから本当のこと言ってくれればいいのに!
そうすれば私もその後に違う予定を入れられるのに!
待つ時間が大好きな私も、さすがに4~5時間を超えるといらいらしてくるのであった。
ドタキャンでも何でもいいから電話一本ですむことなのにな。
なんでいつも嘘つくんだろうなー。

そんな素朴な疑問を抱えつつ、それでもその人なつっこい性質を愛さずにはいられない毎日であった。

そんなある日。
お年寄りのガーナ人のお婆ちゃんと暮らしている日本人の友人から感動の事実を聞かされた。


「いつもガーナ人が言うあれ、“I’m coming”のことなんだけどさ、そうやって絶対帰ってこないじゃん?私たちずっと疑問だったじゃん?あれね、ガーナ人流の“気遣い”なんだって!!お婆ちゃんが言ってた。だって、“もう帰って来ないよ”って言ったらがっがりするでしょ?だからとりあえずその場限りであっても、またすぐ来るね、って言うんだって。その場の空気を失望させないようにしたいんだって!」

・ ・・・・・・・・・・・・!!!!!!

何かもやもやしていた曇りが
すーーーーーーーっと 晴れた。

気付かなかった!
予測できないほどの文化の違いというものは、本当におもしろい。
そんな思考回路が世の中にあったなんて!
ものすごい違いだ。
そりゃ悪気もないはずだ。
嘘をついている、という自覚などないはずだ。
気遣い・思いやりの一つのようなものだったのなら。
(そうでなく明らかに時間にルーズなだけ、の人もいるが。)
時間通りに現れる、もしくは連絡を必ずする ことが私にとっての最大の礼儀。
でも礼儀の種類は人の数だけある。
約束もしてなかったことを勝手に守る
ことがその人の礼儀である、という人もこの世には存在するように。

改めて、この文化の違い、というものに感動した瞬間であった。

それがわかると余計におもしろくなってくるもので、
今ではガーナ人に負けない勢いで“Charie, I’m coming”を連発している私。

そこで気付いた別の視点があった。
実は、都合悪い時にもこれは結構便利だったりする。

そう。ガーナ人はとても「気にする」のである。
つまり、物事をあまりストレートにいう国民性ではなく、
良く言えば、相手をとても気遣うのである。
悪く言えば、言えないのである。
特に悪いことは正面からあまり言わない。
なんかこの感じ、知っている・・・
もしかして。日本とちょっと似てる・・・?!!!
でもそれは決して悪いばかりではない。

日本古来の「和」の精神でいうならば まわりの人との調和を大事にする文化ゆえ。
それは狭い島国でうまく人間同士がやっていく知恵でもあった。
物事は決して「黒か白か」だけで割り切れない。灰色の部分を読み取る文化。
行間を読み取るその繊細さ。
その心の細やかさをやはり私は愛している。

少なくとも、欧米文化よりよっぽど、ガーナと日本は近いものを持っていた。
気まずい表情やごまかしの笑顔を見れば見るほど、親近感と共に笑えてくるのであった。

これだから。
異文化交流は、怒って泣いて笑って・・病みつきになる。