Wednesday, August 27, 2014

My OWN CREATION  -私だけの 創造 -

To create needs a lots of time.
Mmmm....

If you just follow someone's road 
You can practice and do it 
But what I want to put my energy is my Own Creation from my deep within



何かを模倣するだけなら
誰でも練習すればできる
でも 私がアクションにしたいのは

私の内側から生み出される
私だけの 創造

Message from Ifa


mmmmm.....again.
Message from Ifa was powerful. 

いつもタイミングよくメッセージがやってくる
不思議だ、、まるで心を読まれているみたい


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真実の道を想ったとき 間違ってないと。


Deal with the truth! That is the only way out of the darkness into the light. The truth of who you are. The truth of what you think. The truth of what you feel. The truth might be bitter but you must accept it in order to move your forward. The sacred texts of Ifa says truth is the word that cannot fall. Truth is the Unseen One guiding the earth. Great wisdom, many wisdoms.



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少し甘い自分がいたとき

Total dedication - that's the answer! Tell yourself that you will do what it takes for as long as it takes in order to: 1. Turn your life around. 2. Achieve your goal. 3. Be the person that you were born to be. 4. Live the life that you are destined to live. Do not let another day slip by without taking some kind of action. Begin where you are. Begin right now.


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弱い自分がみえたとき

Be careful! The fears of others MUST NOT become your fears. The limitations of others MUST NOT become your limitations. Be willing to stand alone if necessary! You cannot follow the crowd and follow your visions at the same time. Go after the vision! Stay true to your visions!

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過去をずっと考えていたとき

Yesterday is yesterday - and it's not coming back! Not now - not ever. Instead of beating yourself up for past mistakes, you must begin the journey of forgiving yourself and healing yourself. What lessons did you learn? There will be new opportunities for you. Stop looking over your shoulders. Focus on the present. Know that you can move your life forward no matter what.

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未来のことを考えて 計画に不安があったとき

Wherever you feel inspiration is where your Spirit wants you to be! Wherever you feel peace is where your Soul wants you to be. And wherever you feel love is where your heart wants you to be. It's all very simple. Don't over complicate things!

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現状の生活スタイルをやはくどうにかしなくては と焦っていたとき

If you wish to walk a divine path, then step aside and allow the divine to happen. Don't you think the divine knows what to do? Why do you keep getting in the way? Make up your mind. Either you take charge or allow the sacred to take charge. You cannot have it both ways.

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mmmmmm....! 
True words. Lots of appreciation !! 
I can't hide anything in the front of our creator, truly ! 

How to be Relax ? Why we need to move our body ? リラックス そして体を動かす ことの大切さ


リラックスすることの 重大さ

体を動かして 体を神殿とみなし 体を動かすことの 重大な 意味とは

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osho
 全面的なリラクセーションは究極的なものだ。
それは人がブッダになる瞬間だ。
それは悟り、光明、キリスト意識の瞬間だ。
 あなたはたったいまは全面的にリラックスすることができない。
奥深い中心ではいまだに緊張が続いている。
 
だが、くつろぐことを始めなさい。
周辺部から始めなさい――
私たちはそこにいるし、ものごとは自分がいるところからしか始めることができない。
自分の存在の周辺をリラックスさせなさい――
肉体をくつろがせ、振舞いをくつろいだものにし、行為をくつろいだものにする。
くつろいだ歩き方をし、くつろいだ食べ方をし、くつろいだ話し方、聞き方をしなさい。
 
どんなプロセスももっとのんびりとしたものにしなさい。
急いだり、焦ったりしないことだ。
 
まるで永遠の時間があるかのように振る舞いなさい――
じっさい、永遠の時間があるのだから。
ものごとに始めと終わりがあるのだとしたら、
私たちはここに最初からいるし、いちばん最後までここにいることだろう。
だが、実際には始めもなければ終わりもない。
私たちはいつでもここにいたし、いつまでもここにいつづけることだろう。
形は変わりつづけるが、本質は変わらない。衣装は変わっていくが、魂は変わることがない。
 緊張とは性急さ、恐れ、疑いだ。
緊張とは自分を守ろうとする、安全でいようとする、安心していようとする絶えざる努力だ。
緊張とは明日のために、あるいは来世のためにいま準備をすることだ――
あなたは明日を恐れているので現実に直面することができず、だから準備をする。
緊張とは、ほんとうに生きることなくその傍らを通り過ぎてしまった過去のことだ。
そのわだかまりが残っていて、いまに持ち越されて、自分にまとわりついている。
 
生についてとても基本的なことを覚えておくといい――
生きなかった経験は自分にまとわりついて、いつまでもそこに残っている。
「私を終わらせてくれ! 
私を生きてくれ! 
私を完了させてくれ!」と。
どんな経験にも最後まで至ろうとする、完了しようとする傾向が必ず含まれている。
いったん完了すると、それは消えうせてしまう。
まだ終わっていないと、そこにとどまって、
悩みの種となり、あとをつけまわし、あなたの注意を引こうとする。
それは言う。
「僕をどうしてくれるんだい? まだ完了していないんだよ――最後までやりとげてくれ!」
 
すべての過去が宙ぶらりんの状態でまとわりついている――
なぜなら、あなたは本気で生きていなかったし、いつも逃げてばかりいて、
適当に、生ぬるく、部分的にしか生きてこなかったからだ。
そこには強烈さや情熱がなかった。
あなたは夢遊病者のように、まるで夢のなかのように振る舞っていた。
だからその過去がまとわりついて、一方では未来が恐れをつくりだしている。
そしてこの過去と未来があなたの現在を、唯一の現実を押しつぶしてしまう。
 
あなたは周辺からくつろいでいかなければならない。
くつろぎの第一歩は肉体から始まる。
いつでも思い出したら肉体に目を向けて、
例えば首や、頭や、脚などに緊張がないかどうかを確かめてみるといい。
もし緊張があったら、そこを意識的にリラッスさせなさい。
肉体のその部分に意識を持っていって、やさしくこう言い聞かせなさい。
「楽にしろよ!」と。
 
すると驚いたことに、注意を向けた肉体の部分は、ちゃんと言うことを聞くし
、素直にそれに従ってくれる――自分の肉体なのだから! 
目を閉じて、足の先から頭のてっぺんまで
体のなかのどこかに緊張がないか探ってみるといい。
緊張を見つけたら、まるで友人に向かって話しかけるように、その部分に話しかけてみなさい。
自分と肉体のあいだに対話をつくりだしなさい。
それにリラックスするように言いなさい。
「何も恐れることはない。
私がここで見守っているんだから、リラックスしてもいいんだよ」と言い聞かせる。
だんだんとそのコツがわかってくるだろう。すると肉体はリラックスするようになる。
 
そうしたら次の一歩、もう少し深くまで進んで、
今度は 心 にリラックスするように言いなさい。
肉体が言うことを聞くのなら、心も言うことを聞くはずだが、
最初に心から始めることはできない――第一歩から始めるしかない。
途中から始めることはできない。
多くの人たちが心から始めて失敗する。
まちがった場所から始めるから失敗するのだ。
ものごとはすべて正しい順序に従ってなされなければならない。
肉体を自発的にリラックスさせることができるようになったら、
心が自発的にリラックスするように手助けすることができる。
心はもっと複雑な現象だ。
肉体が言うことを聞くようになり自信が深まってくると、
自分自身を新たに信頼することができるようになる。
そうなると心でさえあなたの言うことを聞くようになる。
心はもう少し時間がかかるけれど、それは必ず起こる。
 
心がリラックスしたら、今度はハートをリラックスさせようとしてみなさい。
ハートは感情、フィーリングの世界であり、さらに複雑で、もっと微妙だ。
だが、いまやあなたには信頼があるから、自分自身を完全に信頼しきって進むことができる。
いまではそれが可能であることを知っている。
肉体にはそれが可能だったし、
心にもそれが可能だったとしたら、ハートにもそれが可能に違いない。
そうして初めて、これら三つのステップを
通り過ぎたあとでなら、第四歩めを踏み出すことができる。
あなたは肉体、心、ハートを超えた自分の存在の最も奥深い中心に入っていくことができる。
自分の存在のまさに中心に。そしてそこもリラックスさせることができる。
 このリラクセーションがもっとも深い歓び、
究極のエクスタシー、受容をもたらすことは間違いない。
あなたは至福と歓喜に満たされる。
あなたの生そのものがダンスの質を持つようになる。
人間を除けば、ほかの全存在がダンスを踊っている。
全存在がとてもくつろいだ動きのなかにある。
確かに動いてはいるが、それは完全にくつろいだものなのだ。
木々は育ち、小鳥はさえずり、川は流れ、星々は動いている。
あらゆるものが深いくつろぎのなかで進んでいく。
急ぎも、焦りも、心配も、疲れもない。
人間だけは例外だ。
人間は自分の心の被害者になってる。
人間は神々よりも高く昇ることができるし、動物よりも低く堕ちることもできる。
人間には広大な幅の領域がある。
最も低いところから最も高いところまで、人間は梯子のようなものだ。
肉体から始めて、だんだんと深いところに進んでいきなさい。
最初に基本的なところを解決しないかぎり、その先へ進んではいけない。
肉体に緊張があったら、心から始めてはいけない。
待ちなさい。まず肉体に働きかけなさい。
そのとき、このちょっとしたことがこの上もない助けになるだろう。
 
あなたはいつも一定のペースで歩いている。
それは習慣に、自動的なものになっている。
そこでゆっくりと歩こうとしてみなさい。
仏陀は弟子たちによくこう言った。
「とてもゆっくりと歩いて、一歩一歩をよく意識するがいい」
一歩一歩を意識的に歩いたら、ゆっくり歩かざるをえない。
走っていたら、焦っていたら、意識することを忘れてしまう。
だから仏陀はとてもゆっくりと歩く。
とてもゆっくりと歩こうとしたら、あなたはきっと驚くことだろう――
肉体のなかに新しい気づきの質が起こってくる。
ゆっくり食べたら、あなたはきっと驚くだろう――深いくつろぎを感じる。
すべてのことをゆっくりやりなさい……
古いパターンを変えて、昔の習慣から抜け出すがいい。
最初に肉体が、まるで幼い子どものように完全に
リラックスしたら、そこで初めて心に取りかかることができる。
科学的にことを進めなさい。
簡単なものから始めて、より複雑なものへ進み、次はもっと複雑なものへと。
そうして初めてあなたは究極の核心でくつろぐことができるようになる。
 
あなたはこう尋ねている。
「リラクセーションについてもう少し話していただけませんか? 
私は自分の奥深い中心に緊張があるように感じるのです。
いままで一度もほんとうにリラックスしたことがないのではないか、と」
あらゆる人間が同じ情況に置かれている。
それに気がついたのはよいことだ――多くの人はそれに気がついていないのだから。
気がついたのは祝福だった。
気がつけば何か手を打つことができるからだ。
気がついていなかったら、何もすることはできない。
気づきは変容の始まりだ。
 
あなたはさらにこう言っている。
「先日、あなたがくつろぐことは最も複雑な現象のひとつだとおっしゃられたとき、
私には次のようなことがひらめいたのです――
それはリラクセーションの糸やレットゴー(手放し)の糸、
信頼の糸などが複雑にからみあい、そこに愛の糸が織り込まれ、
さらに受容、流れること、溶け合い、歓喜の糸なども加わった、
重厚なつづれ織りのようなものではないか、と」
そのとおり、リラクセーションは最も複雑な現象のひとつだ――
とても重厚であり、多次元的だ。
これらすべてのものがその一部になっている――
レットゴー、信頼、明け渡し、愛、受容、流れること、存在との溶け合い、無我、歓喜。
これらすべてがその一部としてあって、リラックスすることを学んだなら、
これらすべてのことが起こりはじめる。

Expectation 「期待」という感情の原因

< Expectation - 期待- >

Expectation destroy pure heart very often 
Why can't we accept the difference?
Is it bad to be different ? 
Why we always judge? 
Why we force someone to be same? 

Expectation is NOT love . 

Why we put the expectation on others ? 
* want myself to be worth 
* want to be needed 

Expectation is Ego . 

人の期待は いつもその人自身をそして周りにいる人を滅ぼす

なぜ人の違う生き方を受け入れられないのか
違う考え方をすることは悪いことなのか
なぜ人は愛する人をも裁こうとするのか
なぜいつも自分と同じようになることを無意識に他人に求めるのか

期待 は 愛じゃない

なぜ人は期待をしてしまうのか 考えてみた

自分は人から価値ある人間と思われたい とか
自分は人から必要とされたい とか

そんなような文字が浮かんでくる

愛と見せかけて
それは 寂しさ
ただのエゴ

Saturday, August 23, 2014

比較 の 無意味さについて

シャンタンさんより引用

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あなたの前に今困った人がいるとするなら、それは単にあなたが
その人を困っていると認識しているだけであり、あなた以外に困った人など
存在していないのです。あなたが困っているだろうと想像しているだけなのです
津留晃一さん
 「比較」それが人の混乱の始まりです。
比較のないところに迷いも混乱もありません。
果たしてどちらが有利であろうか。
どちらが私にとって都合がいいのであろうか。
どちらが果たして幸せへの道なのだろうか。
 比較は常にあなたを悩ませます。
どちらを選ぶべきか判断がつかないところが迷いでしょう。
選択のミスジャッジがあなたに後悔という感情を誘発させます。
あなたはそれを恐れています。
未来の不安というエネルギーが今のあなたを縛っている状態です。
悩みとは、あなたの意識が今この瞬間から離れた状態のことです。
 比較したときに初めて損したという感情が起きます。比較して初めて間違ったと判断します。比較しないかぎり、損をしたという思いは起きてこないでしょう。比較判断のないところには結果さえ存在できないのです。
 ではどうしてあなたは比較をするのでしょう。
比較から混乱、苦しみがやってくるのなら比較しなければ良いのではないでしょうか。それは、結果には「良い結果」と「悪い結果」とがあるとするあなたの考え方に起因しています。
私にとって「都合の良い事」と「都合の悪い事」があるのだ、とあなたは信じ込んでおり、これまでそのことを疑ったことさえなかったのではないでしょうか。
 この世に「良い事」と「悪い事」はないのだ、本当にそんなものはないのだ、右を選べば右の道があり、左を選べば左の道があるだけである、と伝えられました。
右の道を選べば右の体験があり、左の道を選べば左の道の体験があります。その体験に、良いも悪いもありません。ただその体験をしているだけです。そして右を体験しつくした人はその体験による学びが終わり、次には自ずと左の体験を望むようになってきます。
 人はあらゆる体験をするために肉体を持ちました。神には出来ないあらゆる体験をするためにです。
そして単にまだしていない体験に対して欲望がわいてくるようになっているにすぎません。
 従ってあなたは望むとおりに、欲望どおりに、行動を起こしていけばいいわけです。そのことに意味をつける必要はありません。
比較する必要などありません。あなたは全ての体験をしつくすために今ここにいます。そこには人殺しをした後の強烈な後悔の念を体験してみるという事も含まれていたようです。
今あなたが人殺しをしようと望まないのは、きっと既に過去世でそういう体験を終わっているからなのではないでしょうか。
先生や、親から、人殺しはいけないと教わったから人殺しを否定しているわけではないはずです。そんなことは教わる前から知っていたのではないでしょうか。それはあなたの過去世にある魂の記憶に由来しているのだと思いませんか?
 だとしたら人殺しでさえ大変貴重な体験であったといえるはずです。あなたのする体験に「良い体験」も「悪い体験」もありません。
あなたのする体験に「得な体験」も「損な体験」さえもありません。ですから起こってきた結果を比較することにどんな意味もありません。
 このことが心の底から本当に理解できたとき、あなたはもはや比較や判断といった古めかしい習慣から解放されることでしょう。あなたは右にしようか左にしようか迷わなくなります。
それはどちらでも良いからです。その心境がブッダの言った中なる道、「中道」ということなのではないでしょうか。そこが我々の目指す最終ゴール、ニュートラルポイント、宇宙の始まり特異点のことです。
私は「全ては一つ」という概念から、あらゆるものの統合を目指してこれまで一貫して進んできました。私の中に「どんなものとも決して別々のものではありたくない」という強い強い思いあったからです。
 私は小さい時から、見たくないものがありました。それは人の諍いです。人と人の対立がイヤでイヤでたまりませんでした。小学生のころ、先生が生徒を叱りつけているのを見るのが、一番の苦痛であったことをはっきりと記憶しています。
 今回、私がここに生を受けた理由がそこにあります。そんな私の求めつくしたものが完全なる調和でした。物質と精神、善と悪、東洋と西洋、右脳と左脳、良い事と悪い事、そして自分と他人、そうしたあらゆる二極の対立の統合が目的でした。
 その進む課程の中で私の意識は右に揺れ、左に傾きながら歩んできました。他人の言葉を聞き、現実を見て、意識は上がったり下がったり揺らぎ続けてきました。全ての統合を目指して。大いなる一つに帰り着くことを目的として・・・。
 しかしその「大いなる一つ」とは、目指すゴールではありませんでした。それはもう既にここにありました。元々それは今ここにあった事に気付きました。「無」とは今ここの「有」の裏側にそのままありました。「無」に帰り着く必要などなかったのです。
「無」とはこの「有」なる世界を表現する土台と考えればいいでしょうか。「無」を体験してみたければ、あなたの意識をくるりと裏返しにひっくり返してさえみれば、そこにそれを感じるでしょう。
ちょうどメビウスの帯を立体的に作ったものを想像してみると解り易いかもしれません。
 今が一つ、ここが一つ、今このままでここが一つです。
 ここが無、この表現が無、この裏返しが無、このまま、そのままで無です。
 今ここが完全なる一つだからこそ、この完全なる二極の次元が存在できます。
ですから全てのものが今そのままで完全です。
このことが解った瞬間、自分の中の欲望が雲散霧消していることに気付くでしょう。そのとき大安心の境地にいる自分自身を観ることでしょう。
 あなたの前に今困った人がいるとするなら、それは単にあなたがその人を困っていると認識しているだけであり、あなた以外に困った人など存在していないのです。あなたが困っているだろうと想像しているだけなのです。
 「いや、現に病気で困っている人がいる」とあなたは言います。それでも私は言います。
ずっとずっと上から眺めてみると、病気の振りをして何かを気付かせようとしている人と、
その人を見て混乱するという体験を学んでいるあなたがいるだけであることが解ります。
 本当の意味で困っている魂など、どこを探しても見つけだすことは出来ません。
そしてこの言葉を受け取るか、拒否するか、あなたがその絶対的選択権を持っているのです。
あなたは創造者です。初めも、そしてこの瞬間も。そしてそうでない振りをすることさえあなたには可能であったということです。
 宇宙の特異点とは今ここに無限にあり、それは皆様方一人一人のハートチャクラの中心にあります。
瞬間瞬間の今ここにあります。
未来のいつかにではなく、そうだと悟ったとき、それは今あなたのそこにありました。
 欲望を通して求め、求め尽くして・・・、そして調和は元々初めから今ここにありました。
ここがこのままで大調和そのものの世界であった事に気付きました。
もともと不調和などどこにもないのだと解りました。
大宇宙のほんの一部を近視眼的に、そのミクロ部分をとらえたときに、
そこが不調和と映っているにすぎないのだと悟りました。

Sunday, August 3, 2014

世界を変えようとして苦しくなった あなたへ By シャンタンさんより

MEMO


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ただ愛の心からのみ分かち合いなさい。 

政治的観点で、世界を変えるなどと考えてはいけない。 

さもないと失望することになる。 

質問

 Osho,なにもかも申し分ないのですが、 

第三次世界大戦が近づきつつあります。

あなたは「世界を変えようとしてはいけない」とおっしゃいます。

けれどもコミューンの門のすぐ外では、

乞食の子が今にも飢えで死にそうになっています。

どうしたらいいのでしょうか?

 
osho

私の提案はこうだ。

あなたが第三次世界大戦を防止できると考えてはいけない、

あなたが貧困を変えられると考えてはいけないということだ。

あなたが変えられるのは、あなた自身だけだ。

あなたの貪欲を捨てなさい、

あなたの未来を捨てなさい、

あなたのマインドを捨てなさい。

もっと愛に満ち、もっと健康になって、そしてハートから生きなさい。

そしてもしたくさんの人びとがそのように生き始めたら、

それこそが世界を変える唯一の方法だ。

世界を直接変えることはできない。

なぜなら世界は魂を持っていないからだ。

魂は個人のなかに存在する。

個人だけが変わることができる。

 あなたがたが溜め込み屋のままで――

貪欲で、暴力に満ちて、抑圧されて――いるなら、この社会が続くだろう。

そしてあなたは乞食に金をやることはできるだろうが、彼は乞食のままだろう。

なぜなら金は決してなにも変えはしないからだ。

私は百万長者でいてしかも乞食のような人たちを知っている。

彼らは、いくら持っていようがなにも違わない守銭奴だ。

 こんな話を聞いたことがある……。

ふたりのユダヤ人亡命者が

ジョン・D・ロックフェラーの家を通り過ぎたことがある。

「 わしにあの男の百万ドルがあったらなあ」

とその内のひとりがため息をついた。

「わしは奴よりもっと金持ちになれるのに」

 「そんなの無意味だね」ともうひとりが注意した。

 「お前にロックフェラー氏の百万ドルがあったら、

お前は彼と同じだけの金持ちで、彼以上の金持ちなわけじゃないさ

 「お前は間違ってる」と最初の男が主張した。

「わしがヘブライ語のレッスンの方もできることを忘れんでくれよ

 乞食はやはり乞食だ。

ジョン・D・ロックフェラーの全財産を持ってまでも、

彼はもう一方でヘブライ語のレッスンをするつもりでいる。

 人は変わらない。

金では決してなにも変わらない。

もし自分が変われば、それはまったく別なことだ。

私は慈愛の心を持ってはいけないと言っているのではない。

私が言っているのは慈愛の心を持つのはいいが、

ただあなたの慈悲で世界が変わると思ってはいけないということだ

そんなことを望んではいけない。

なんであれ与えられるものを与えたらいい、

分かち合えるものを分かち合いなさい。

ただ愛の心からのみ分かち合いなさい。

政治的観点で、世界を変えるなどと考えてはいけない。

さもないと失望することになる。

そういうことは忘れてしまいなさい。

あなたはなんでも自分がしたいと思うことをしたらいい。

乞食に会ってなにか感じたのならそれをしたらいい。

自分がしたいと感じることをなんでもしなさい。

私は、なにもするなと言ってはいない。

ただ私が言っているのは、自分が

世界を変えているなどと思ってはいけないということだ。

なにひとつ変わるものはない。

 世界を変える唯一の方法は意識のレベルを変えることだ――

そしてあなたは、それをあなた自身のなかでしかできない。

ほかの誰にも、それを外側からすることはできない。

確かに、あなたが自分の意識の水準を変えたら、あなたは人びとを

変えるような、彼らが知らずに変わってしまうような波動を生み出す。

 世界にはある別の雰囲気が必要なのだ――別の社会ではなく、別の空気だ。

別の霊的な波動が必要なのだ。

私が直接することに関心がないのはそのためだ。

私はあなたを社会の僕(しもべ)に、

宣教師に、なにかそういうものにしたくはない。

私はあなたが完全に利己的であることを望む。

 まず自分が誰かを知ろうとしなさい。

これこそが利己的であることの第一原理だ。

まず愛そうとしなさい。

これが利己的であることの第二原理だ。

他人を愛せるようになるほどに自分自身を愛しなさい。

そして利己的であることの第三原理はこうだ。

その瞬間を喜びに満ちて、祝いながら生きなさい――

そうすればあなたを通じてなにかが起こり始める。

あなたは引き金のポイントになる。

世界的プロセスが始まる。

 いつであれひとりの覚者が生まれるとき、世界的プロセスが始まる。

あなたは覚者になりなさい、目覚めるのだ。

それがあなたにできるすべてだ。

結婚 の解釈 By シャンタンさんより


MEMO

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質問 

結婚して、同時に自由であることは可能ですか? 

osho 

それは難しい。 

しかし不可能ではない。 

ただ少し理解が必要だ。

2,3の基本的な真理が認識されなければならない。

第1に、誰も他人の為に生まれてはいないということ。

第2に、誰も人はこのようにあるべきだという

あなたの理想を満たす為に、ここにいるのではないということ。

第3に、あなたは自分自身の愛の主人(マスター)であり、

自分の望む限りを与えることが出来るが、誰も奴隷ではないのだから、

相手から愛を要求することは出来ない、ということ。

もしこれらの単純な事実を理解したら、その時には、

あなた方が結婚しているか結婚していないかは問題ではない。

あなた方は一緒にいられる・・・

互いの空間を許し合い、互いの独自性を決して妨害せずに。

実際、結婚は時代遅れの制度だ。

そもそも、どんな制度のもとで生きることもよくない。

どんな制度も破壊的だ。

結婚は、何百万という人々の幸せのほとんど全ての可能性を

破壊して来た・・・それも、全てつまらないことの為に。

そもそも結婚・・結婚のまさにその儀式は、いんちきだ。

もしあなたが結婚を気楽に受け取れば、あなたは自由であり得る。

もしあなたがそれを深刻に受け取れば、自由は不可能だ。

結婚をまさにゲームのように受け止めなさい・・それはまさしくゲームだ。

それは、あなたが生の舞台上で演じる役割だ。

だがそれは存在に属したり、あるいは何らかの現実性を

有する何かではない・・・

それは虚構だというユーモアのセンスを少し持ちなさい。

しかし人々は非常に愚かだから、

虚構を現実として受け取り出しさえする。

私は、人々が目に涙を浮かべて小説を読むのを見たことがある。

小説ではものごとはとても悲劇的に進行するからだ。

映画館で照明を消すのはとてもいい仕掛けだ。

誰もが映画を楽しみ、笑い、泣き、悲しみ、幸せになれる。

もし照明があれば、それは少し難しくなる・・・

他人は何と思うだろう?と。

それでいて彼らは、スクリーンには

何もなく誰もいないことを完璧によく知っている。

それは単に投影された絵にすぎない。

しかし、彼らはそれをすっかり忘れてしまう。

そして同じことが私達の生で起こっている。

単純にユーモアとして受け取るべき多くのことを、

私達はとても深刻に取っている。

そしてその深刻さから、私達の問題が始まる。




そもそも、なぜあなたは結婚すべきなのかね?

あなたは誰かを愛する、誰かと暮らす・・・ 

 それはあなたの基本的な権利の一部だ。

あなたは誰かと暮らせる、あなたは誰かを愛せるのだ。

結婚は天国で起こる何かではない。

それはここで起こる。

ずる賢い聖職者を通して・・・。

しかし、もしあなたが社会の一員としてゲームに加わりたくて、

独立し、他の人から遠ざかっていたくないなら、

あなたの妻やあなたの夫に、この結婚は

ただのゲームだということを明確にしなさい。



From 5th August , am going to Canada to join to the SUN DANCE CEREMONY by Native Canadian Cree Tribe ( Biggest First Nations ) inside the Mountain.
Full Moon on the 11th August is the most powerful one in 2014, it is amazing timing..

5日からカナダの先住民族、クリー族のサンダンスという儀式に参加させていただく為、日本出国します 
8月11日は2014年で最も大きい満月だそうです
何か強い光の流れとご縁を感じます

Message from Cree Tribe Elders 
クリー族長老の言葉

"Only after the last tree has been cut down.
木を一本残らず切り倒し
Only after the last river has been poisoned.
川をことごとくよごしてしまい
Only after the last fish has been caught.
最後に残った魚もすべて食べつくし
Only then will you find that money cannot be eaten."
そしてやっとおまえたちは気づくのだろう、
「お金は食べられない」ということを

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The true energy deep inside 
it is called   ' Creation '
Only if you take your love...... 


内側からのエネルギー 創造
それは 愛からでしか 生まれない



ついに この時が来たのだなあと 思う

だいぶ 長くかかった

でも 私は この命の人生でここまでこれている

そして I know i am on the road 


言葉にできない 愛と感謝と痛みを胸に

いってきます