Sunday, August 3, 2014

結婚 の解釈 By シャンタンさんより


MEMO

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質問 

結婚して、同時に自由であることは可能ですか? 

osho 

それは難しい。 

しかし不可能ではない。 

ただ少し理解が必要だ。

2,3の基本的な真理が認識されなければならない。

第1に、誰も他人の為に生まれてはいないということ。

第2に、誰も人はこのようにあるべきだという

あなたの理想を満たす為に、ここにいるのではないということ。

第3に、あなたは自分自身の愛の主人(マスター)であり、

自分の望む限りを与えることが出来るが、誰も奴隷ではないのだから、

相手から愛を要求することは出来ない、ということ。

もしこれらの単純な事実を理解したら、その時には、

あなた方が結婚しているか結婚していないかは問題ではない。

あなた方は一緒にいられる・・・

互いの空間を許し合い、互いの独自性を決して妨害せずに。

実際、結婚は時代遅れの制度だ。

そもそも、どんな制度のもとで生きることもよくない。

どんな制度も破壊的だ。

結婚は、何百万という人々の幸せのほとんど全ての可能性を

破壊して来た・・・それも、全てつまらないことの為に。

そもそも結婚・・結婚のまさにその儀式は、いんちきだ。

もしあなたが結婚を気楽に受け取れば、あなたは自由であり得る。

もしあなたがそれを深刻に受け取れば、自由は不可能だ。

結婚をまさにゲームのように受け止めなさい・・それはまさしくゲームだ。

それは、あなたが生の舞台上で演じる役割だ。

だがそれは存在に属したり、あるいは何らかの現実性を

有する何かではない・・・

それは虚構だというユーモアのセンスを少し持ちなさい。

しかし人々は非常に愚かだから、

虚構を現実として受け取り出しさえする。

私は、人々が目に涙を浮かべて小説を読むのを見たことがある。

小説ではものごとはとても悲劇的に進行するからだ。

映画館で照明を消すのはとてもいい仕掛けだ。

誰もが映画を楽しみ、笑い、泣き、悲しみ、幸せになれる。

もし照明があれば、それは少し難しくなる・・・

他人は何と思うだろう?と。

それでいて彼らは、スクリーンには

何もなく誰もいないことを完璧によく知っている。

それは単に投影された絵にすぎない。

しかし、彼らはそれをすっかり忘れてしまう。

そして同じことが私達の生で起こっている。

単純にユーモアとして受け取るべき多くのことを、

私達はとても深刻に取っている。

そしてその深刻さから、私達の問題が始まる。




そもそも、なぜあなたは結婚すべきなのかね?

あなたは誰かを愛する、誰かと暮らす・・・ 

 それはあなたの基本的な権利の一部だ。

あなたは誰かと暮らせる、あなたは誰かを愛せるのだ。

結婚は天国で起こる何かではない。

それはここで起こる。

ずる賢い聖職者を通して・・・。

しかし、もしあなたが社会の一員としてゲームに加わりたくて、

独立し、他の人から遠ざかっていたくないなら、

あなたの妻やあなたの夫に、この結婚は

ただのゲームだということを明確にしなさい。

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