Wednesday, March 10, 2010

奇跡 ~Something great power with Miracle~

              2010年2月22日 GHANA




                2007~2008年 Sydney AUSTRALIA





一つ言えることは






2007年にオーストラリアに行かなければ






これは起こっていなかった、ということ。






すべては繋がっている。









そもそも物語はここから始まっていた。









2008年のある日、私はオーストラリアのシドニーのカフェで

日本人の友達とお茶してた。
隣の席に偶然座っていたトルコ人のおじさんに急に声をかけられた。
「僕の息子が、日本語の勉強をとてもしたがっているので、先生になってやってもらえませんか?」
最初怪しんだのだけれども、トルコ大使館の名刺をきちんといただいて、安心。
それから随分と家族ぐるみの温かいおつきあいが始まり、こちらこそが
とてもお世話になったのだった。
その彼がある日、シドニーのMUSIC BAR " BASEMENT"でのLIVEに誘ってくれた。
「まきが好きそうなLIVEが今日あるようだから、行ってみよう!」
フライヤーをみたらそこには AFRO MOSES というARTISTの名前があり
どうみても私が本当に好きそうな音楽であった。
もちろんいく、といってむかったそのLIVE。
あまりにも感動しすぎて、私は心臓がばくばくして終わったあとも
興奮がおさまらなかった。
帰り道歩きながら、「MOSESともうちょっと話したかったなあ・・」
とつぶやいた私をみて、彼は急にぐるっと向きをかえ、
「じゃあ今すぐにBARに戻ろう。まだMOSESはいるよ!」
「えーーーでもーーーー・・・・・・!?」
と躊躇してた私をひっぱってくれたのは彼だった。
その悪気のない笑顔でMOSESを捕まえ、話すチャンスをつくってくれた。
そこで少し話せて、しかもE-MAILアドレス&名刺までもらって、大満足の
帰り道になったのでした。
その日から私はMOSESの音楽をずっと聞き始めていた。
そしてもらったメールアドレスに、メールした。
いかに自分が感動したか、どんなに音楽を愛しているか。
その後Facebookで繋がることができた。
彼のMy Space Music
彼のHP
それから私は日本へ帰国し、その後もMOSESの音楽を聞いていた。
その中の曲に、Accra とかMakolaとかそういう単語がでてきていて
それがガーナ国内のどこかのことだろうということだけはわかっていた。
(彼はガーナ出身)
その後青年海外協力隊でガーナに派遣に決定したときは思わず鳥肌。
もしかしてガーナに行くことになっていたのかも、と思ったほどに。
それからガーナに派遣された3月頃にちょうどMOSESのガーナツアーが決定し、もしかして会えるかも!と思ったのだけれども、何故かそのときは会えなかった。
それからまた月日がたち、今年の2月。また彼のガーナツアーが決まったようなので、びっくりして、すぐにメールした。
すると、メールがかえってきて、コンタクトがとれて、トントン拍子に会えることになって、彼の家に招かれ実のお母様(87歳!)や親類・バンドメンバーなどもろもろに一気に会えたのでした。
その日、私とMOSESは信じられないほど長くいろんなことを話しまくった。
多分、5~6時間くらいは話し続けたような気がする。
お互いの魂が呼応する、というのだろうか、何か不思議な引力を感じた。
あまりにもお互いのSpiritが理解できすぎて話がとまらなかった。
だから、私も彼もびっくりしていた。
「とても変だね、なんだか古い友人みたいだ。」と彼は言った。
「多分、前世で会ってたのかもね」と言うと彼は深くうなずいた。
お互いが必要としているから人と人は出逢うというけれども
まさにそうだった。
彼から学べることが、山ほどあることを察知するのに時間はいらなかった。
そんなこんなで彼のガーナツアーのリハーサルやLIVEに同行したりしはじめた。
そしてこのまえの3月6日。
ガーナの53年目の独立記念日で、ガーナ大学で大きな音楽イベントがあった。
たくさんの有名ミュージシャンが集まり、TVもたくさん取材にきていた。
MOSESもその一人として出演することになっていたので
私はもちろん見にいくといって、待ち合わせ場所の彼の家へむかった。
本番3時間前、呼んでいたプロのダンサーが今夜来れるかわからなくなった、
といって困っていた。
と、急にMOSESは私の方をむき
「まき、ちょっと踊ってくれる?」と。
・・・・・・!!!!!?????
びっくりと嬉しさと興奮でわけがわからなかったのだけど
この不思議な縁を逃してはいけないと一瞬にして感じた。
そこから急遽ビデオサンプルみたり衣装を即席で決めたりとばたばたし、
その後あわただしく会場へむかい、あっという間に私はステージの上にいたのでした。
信じられなかった。
ずっと大好きで聞いてきたMOSESのLIVEやリハーサルに行けるだけでも
本当に嬉しかったのに、同じステージで音楽をシェアできたなんて。
しかも、本当に不思議なことが一つ。
シドニーでMOSESのLIVEにつれて行ってくれたあのトルコ人のおじさんが
実は1年以上も前に私に言ってた言葉を思い出した。
「まき、いつかMOSESのLIVEで踊ることになるよ」
と。
そのときはもちろんジョークのように受け止め笑って答えた。
「そうなるといいね~~」って。
でもまさか
本当にそうなるとは
夢にも思わなかった。
なんというか、その2007年から続いている大きな時の流れのうねり
のようなものを感じ
さらに奇跡的な出逢いをくりかえしている私のこの人生に感動し
神さまに何度も何度もありがとうをいった
何かとても強烈な縁とパワー。
そして私がずっと信じているものに 守られているこの感覚。
感謝を言いつくしても言いきれない。
Life Is So Beautiful.
あまりの感動に涙がでた。
私の人生はだからといって決していいことばかりだったわけじゃない。
あまりに暗く長いトンネルを通ったことも
荒い海に一人でもがき続けたようなときも
たくさんあった。
でもそれが私が選んで信じてきた道なのだから
何があっても信じるべきだと思って涙は飲んできた。
神さまが試している、ってわかってた。
だけど、それらの涙の量ほど私の想いの濃度は濃かったわけで
悲しみや喜び、苦しみのすべてをひっくるめて
つまり私の人生は豊かだった、と思えたからこそ
やっぱり信じて前にすすもうと思えた。
とても怖かった。
でも、今やっぱり改めて感じたんだ。
この道を選んでよかった。
間違ってなかった。
今、私は、生きている。








「家族」



日本での家族間による虐待のニュースの多さについて


私の大切な友達の一人がメールをくれた


母親になった一人の女性として、やりきれなかった思いが伝わってきた


私は素直にこう思った



ほんと・・・・一体いつまでこういうニュースが増えるんだろう。

日本は2007年だったかな、自殺者も年間3万人を超える国になってしまったよね。

そのことを知っているガーナ人さえ、いたよ。



不安や心配や恐れで一杯になってしまう社会。

それはいったいどこから?って考えた場合、やっぱり資本主義・金・大量消費を追及しすぎた先進国の過ちが、もとだと思う。

家族や人間関係を粗末にしてきた社会が、結果が、虐待をするような大人を育て、その大人がまた虐待をするような子どもを育て・・と連鎖していったんじゃないかな。

虐待された子どもは、そのときは我慢するけれども、大人になって力を増したときに、仕返しとしてそのまた子どもに虐待をしてしまうみたいだよ・・(トラウマ)

だから、記事に出てる逮捕された大人の人はきっと、彼ら自身も何らかの家族トラブルを過去に抱えてるはずだと思う。



人の人格やすべては、「家族環境」から、だと私は強く強く感じてたよ。

学校からよりも、家族環境からの影響は何百倍も大きい。



ユダヤ人虐殺をしたあのヒトラーも、幼いころに、家族から見捨てられ親類に裏切られ暴力をふるわれ、その後も辛い少年時代を過ごしたと聞いたときは思わず納得と共に、ぞっとしてしまったよ。

それくらいに、幼少期に家族から受けた傷は暗く深く残って、はかりしれないパワーとなってあとに再発する。


それはつまり「防御・自己防衛」のような意味らしく、また自分が傷つきたくないために、攻撃される前に他人を攻撃してしまうんだって。(精神科関係の人がいつかいっていた)



なんというか・・本当に戦後60年で日本が失ったものを想ってしまうよ。

でも今からでも遅くはないと思うんだよね。

社会構造を私たちが変えるのはとても時間がかかるけど、そればかりのせいにしてられないじゃない?

一人一人がもっと、家族や人間関係のことを最優先に考えて、近所付き合いの大切さも実行していくべきなんだと思う。

東京はとくにそうだけど、個人主義がいきすぎてる。

人はあんなにたくさんいるのに、すれ違うのに、挨拶さえできない。

したら逆に気持ち悪いと思われる。

それって、一体なんなんだろう。




だから私は今後も


「家族」や「人とのつながり」を大切にに考えたいって 強く思ったんだ。




すべては「家族」からはじまる。