Saturday, January 23, 2010

皆が争う「損」、皆が一つになる「得」

アフリカにおける奴隷貿易のときに

もちろん西欧諸国が歴史的に残虐な思考ときっかけを作ったのは事実

金や鉱資源や豊かな農作物で潤っていたアフリカ民族の長に、ヨーロッパの銃

や武器などをあげる代わりに奴隷をくれと、甘い誘惑をし、長はそれにのってし

まい、人々を売った。

そこから暗い道のりが始まった。

でも、忘れてはいけない、それを助長させた原因の一つは、アフリカにおける民

族紛争の多さだったという。


つまり、西欧諸国に対抗するために一つになろう!なんて、到底無理なくらいに

アフリカ民族同士が争っていたのである。

ヨーロッパ人にとっては格好のタイミング。それを狙ってたのか。

奴隷貿易が入ってきてからはどろ沼で、隣の民族との戦いに負けてしまっては

自分たちが奴隷として売られてしまう。だから死にもの狂いで、戦う。そのため

には武器がいるので、武器を買うためにやはり奴隷を出すことになる。奴隷を

出すには、相手を撃ち落とし、捕虜とした敵側の人間を奴隷としてヨーロッパ人

に売る。


もし、民族同士が過去の裏切りや傷を許し、戦いをやめて、一つになってたら、どうなってたんだろう。少しは、違う結末になっただろうか・・


いつか、JICAのスタッフの方に招かれた食事会で、こんな質問をされたことがあった。

「戦後の日本やアジアの公衆衛生などの発展・回復のスピードは、やはり世界の国々の中でもすごく早かったみたいなんだよね。どうしてだと思う?」

直感のようなものがおりてきた。
「チームワークが一つの良い原因だったんじゃないでしょうか。」

アジアにはいろんな国があって、文化も歴史も違うけれども、なぜかいつも連想させるのが、「協調性」。

欧米・アフリカなどからは連想しないこの言葉。

アジア人は他の大陸よりも、一体となって協調しあうことにあまり苦を感じないと

いうか、すんなりできる特性があるような気がする。日本は特に「同じでいるこ

と」が得意じゃない?それは悪くいえば主張が少ないとか、個性の欠如とか欧

米社会では言われかねないけど。でも「和」という精神自体は素敵なこと。


なんでもバランスだね。


仕事もそう。会社一つとってもそう。スポーツだってそう。夫婦だってそうだよね?

チームワークがうまくいってるところは、うまくいく。

お互いを理解し合おうと努力して、コミュニケーションをお互いによくとって、
相手を知ろうとすること。

だって、言わなきゃわからない。聞かなきゃ相手もわからない。


そして人々が結集して一つになったときのチカラと熱気といったら、それはすごいものだよね。きっと誰でも、その熱気を一度は体験したことがあるのではないかな。

そう、あのチカラこそ一瞬の奇跡。


そうやっていろんな国のいろんな歴史や、自分の身の回りのことまでを妄想していたら、やっぱり強く感じたんだ。


とてもシンプルなことなのに けっこう難しい、奇跡のちから。



人が一人一人集まって
一つになるって
すごいことなんだ。

Friday, January 15, 2010

For children

http://www.youtube.com/watch?v=sZftrElZxuY

The power of music.

~ One heart, One soul, One love~


Music has a lot of possibilities to let you
Believe yourself,
Have a courage to get over any difficulities,
Have a hope,
Feel that you are the loved one by nature,
Free your mind,
Show your real feeling and praying.
It’s called “ Faith”.

We can be the ONE through the music.
That power is stronger than any power.
Because that is love.
We need to feel love together for children’s future.
Children is a future of Ghana and the world.

Enjoy music together.
Make a smile together.
To feel everyone is blessed and we are the one.

Afehyiapa 2010!

新年の一言。
Passion and Truth. That is all I need.

Afehyiapa!!!(アフィーシアパ~ = 年がすぎるね!=メリークリスマス)
アフェーコメィトゥイエン!!!=新年がきたね!=おけましておめでとう

2010年。あけましておめでとうございます。
ブログのお引越しをしました。
今後ともよろしくお願いします。


元旦に感じたことは
「無心で踊れる自分になろう」
 Free your mind.


あおがなぜか どうしても気になる。

私の愛する色 深い深い青、緑と青のあいだの色。

地球の青、海の青、空の青。

このまえ見つけた素敵な 深い青のドレスが頭から離れない。



ある恩師がアフリカに来る前に私に言った。

「人助けじゃ、生きてなんていけないよ」

まったくその通りである。

今の日本の社会では。

競争原理に基づいた社会構造。資本主義の中では。

利益をあげなくては生き残れない。人を助けてる暇なんてない。


だけど、人間はそのように暮らすために生れてきたはずじゃない

って、私の細胞のどこかが小さく小さく叫ぶ。

理屈ではない何かが。

その声を無視して、なにか忘れていくのが怖かった。


本当にわくわく・いきいき生きるためのコツは何ですか?
そんな疑問があるならば、声を大にしてあの言葉を伝えたい。

「人の喜ぶことをすることだよ」って。

子の笑顔をみたときの親の笑顔がまた美しいのは、

その喜びは、自分だけのために得た喜びなんかより遥かに深い幸せを与えてくれるから。


人の自然の姿というものを科学者の視点で伝えた村上和雄・筑波大学教授の本を隊員仲間の紹介で最近読んだ。( 「人生の暗号」より)

「争いよりも協調で進化する」(会社の合併もその一つ)
「生命体は弱肉強食ではなく、共生的である」

ということを知りたければ、人間の細胞をみてみるとよくわかるのだそうだ。

―個々の細胞は、常に全体に奉仕する形で働いている。
全体は個々の細胞が生きられるようにコントロールしている。
個々の細胞間でも助け合いが行われている。

つまり、助け合うことは、自然の姿そのものであり、自然体こそが最適な生き方の選択である。
この細胞の働きぶりは、人間と地球の関係にも当てはまる。
人間は自分のことを考えると同時に地球のことも考えなくてはいけない。
つまり、自然に従わない生き方は、いかに文明を発達させようとも、けっして人間を幸福にはしないということである

科学はその自然の素晴らしさを解き明かし伝えるために始まったのであり、常にそういった精神性と関わっているべきである。
(科学の一人歩きになると、クローン人間などという間違った方向にむかう危険がある)
そして宗教や精神性のほうも、その世界だけに閉じこもるのではなく、科学の力をかりて、伝えていくことも必要である。―

というように書かれておられました。


つい最近に開かれたJICA隊員・関係者に対する映画上映会で、素敵な映画と出会いました。
題名は 「4分の一の奇跡」。
障害者学校の先生をしておられる山本加津子さんを中心にしたお話です。
そこで上記の本とも出会いました。
国連事務所も注目し、今後いろんな場所で使用される可能性がある映画だそうで、
映画の最中は涙がこらえきれませんでした。

その中にでてくる、“だいちゃん”の詩が、深く私の中に刺さりました。
それをここに載せたいと思います。

「戦争は  人の手足だけを持ってくんやないんやな

 戦争は  人の心も 持って行くんやな  」


それがあたなたにとって本当のことなら、

きっとみんな、同じところにむかっているんだね。

だから、やっぱり私が感じてたことや選んだ道は決して間違ってはいないと

おもったんだ。

新年から素敵な映画をみる機会に恵まれ、感謝でいっぱいでした。

いまのきもち、水色。

 

口にすると消えちゃいそうだよ

18/10/2009

今朝 不思議なゆめをみて 休みだというのに  早朝に目が覚める いつも私のゆめは何か言いたげで 正夢も今までに幾度もあったけど いきなりCharaがでてきたのはびっくり 最近いつもよりよくきいてたとかそういうわけじゃないんだけど ただ今日のはものすごいリアルで、Charaが完全に私の姉貴肌存在になっていた 実際40代のホントに魅力的な女性としても 一人のシンガーとしても 私にとってはずっとずっと聞き続けるであろう一人だけれど ゆめにでてきたことなんて一度もなかった。 ストーリーはとても変 CharaのLiveに来たんだけど、行き着くまでにゴリラとかライオンのいる草原を抜けなくてはいけなくて なんとか辿り着いて、開演を待つあいだ 席に座ってまっているのだけど なぜかCharaがとなりに座っていて私達は話しながら開演まで休んでいる。 Liveが始まって、途中の休憩か何かで私は外にでるのだけど さっきの草原が怖くて何だか立ち往生していた いきなりCharaが私に言い放つ 「何してんのよ? いいからいきなよ。とにかくたくさんの人と話しな」 そう伝えられて 私は 勢いつけてその草原を走り抜けた。 何度もライオンやチーターやゴリラに食われそうになりながら ほんとにこわくて、泣きながら走った。 その先には赤い鳥居が続いていてそこを通りぬけ お寺の裏についたら変なお祭りのにぎやかな音が聞こえ ふと目をおとすと誰かが忘れたような袋 そこには数年前からのカレンダーと詩が書かれた紙がたくさん 欲しかったけど それを通り過ぎて もっといくと なんだか薄暗い建物みたいなとこに繋がっていて 進んでみたけど途中で行き止まりになったから 引き返した その途中でまたお寺まで戻ってきたのでお祭りの方面に行ってみた けどもう終わりかけで人々は片付けとかしてた そこで私は数人の人間と少し話したりして そこからまたあの怖い草原を走りぬけて やっとLive会場まで戻ったとき 行きの私と 今の私とでは とても違っていることに気付いた それで、ああCharaがいってたこと はそういうことだったんだ と気付いて それで Live会場に入った そしたらもうLiveがまた始まっていて そおっと入ったつもりなのに ステージからCharaに気付かれて 何故かマイクでステージから私の名を呼ぶ。歌うように。 「まきちゃん やっぱり遅れてきたのね。生意気にも私はこんなことを 知ってるって言ってるみたいね  どうして わたしはわたしで あなたは あなたなの でも みんな違くて でも あの大きな魂の下ではみんな一緒なの そういってるみたいね・・・」 そういって唄い、さいごに私の目を強く優しくまっすぐみて、 笑って、消えた。 そこで、はっと目が覚めた。 なんか心臓があまりにどきどきして目が覚めたので 忘れられなくて。 Charaの新曲、とてもせつない "Breaking Hearts http://www.youtube.com/watch?v=8P_8yIz8p9o

シアバターのチカラ

19/12/2009

Wow !! かなりテンションがあがった!! ついこのまえ帰ってしまったけど、数か月ガーナで一緒だったアメリカからきた ボランティアのCoraという女性がいて。 CoraはうちのNGOのプロジェクトのうちのシアバター担当で。 彼女が活動中につくったビデオがNGOのウエブサイトにのることになったうえ、 6分程度のムービーのその仕上がりはもうプロ級!Cora万歳! それがYOU TUBEでも見れるということで、今日はそれを貼り付けます☆ どんな風にガーナ女性リーダーがコミュニティにシアバター事業をもたらしたのか少しみえるはず。 Global Mamasと繋がって契約している団体のリーダーである彼女のインタビュー音声も入っています(英語)
youtube_write('');
それに、最近聞いた話、 フェアトレードとして適正価格でガーナのコミュニティから買っている団体としては、 うちのNGOがガーナ中で販売売上・輸出売上一番になりつつあるらしい!! びっくり・・・ Global Mamasの創始者、Renae(アメリカ人女性)が私のボスなのだけど 彼女の行動力は、ほんとに、すごい の一言です。 この人はいつ寝ているのか、いつ食べているのか不思議なくらい 動きまくってます。そして柔軟。即決。迷わない。 そんな、すごい人のもとで働ける環境は、ありがたい!! もちろん、さすが彼女のNGO、半端なく忙しくて、生易しくはない。 欧米社会のビジネス現場のような環境の中、たまに自分におちることも。 さらにはそれと全く違うガーナ社会・人々にも適応しなくてはいけないので 板挟みのようになることもある。 そういったことのすべてにバランスを取りつつ、人間力も必要! そんでもって、切り替えて、また明日からファイト!で頑張る前向きさも。 がんばろーーーーーーーー!!!!!!! そして、アフリカ。やっぱり、あなたは一筋縄ではいかないね(これについてはまた日記をかきます~)!!! そういえば、Body Shopのシアバター、みんな、すき? 私はすごく好きだった。 Body Shop のシアバターも、ガーナの北部から輸入されているんだよ~。 ガーナは、北と南で全然気候が違くてね、北は本当に乾燥が激しく、 生活するのに南よりは厳しい。 そして、シアの実がとれる木は、北にしかないの。 やっぱり、自然って不思議。そしてよくできている。完璧。 よーくみれば、その土地にあったものが、そこに、 ある。 その土地で生きていくために必要なものが、そこにある。 シアバター事業は、たくさんのガーナ北部の女性たちを支えています。 Global Mamasはその中でも、きちんと彼女たちに適正な給料がバックされているかを 厳しくチェックしつつ、事業をすすめるNGOとして、私は誇りに思います。 1年以内に、北部のシアバターコミュニティを訪ねようと計画中。 その際はもちろん長旅になるので、相当な準備・覚悟をもって。 早く叶うといいな☆

さようなら、ありがとう2009

さようなら、ありがとう2009年。

また一年が過ぎようとしているね。

どこにいても、時間はみんなに平等にすぎていく。


私のクリスマスは、音楽活動からスタートしました。

実際の要請内容に沿った活動とは別に、自分たちで自発的に動いて決めたこと。

ガーナ中の子どもたちと音楽で繋がろう、一緒に楽しもうって。
とくに孤児院や病院を、まず回りたいねって。

それで、ある大きな病院から許可をもらい、バスで2時間かけて、子どもたちの病棟に向かったんだ。

サックス・ピアノ・サンシン・歌・タンバリン・カスタネット・鈴、、とそれぞれのパートに分かれて、クリスマスソングや、日本のうた、ガーナのうた、を歌った。
私はサンシン担当で。

婦長さんも踊る・踊る、で、本当に楽しかった。
付き添いのお母さんたちも、子どもを抱えて踊ってくれた。

とても一言ではくくることのできない思いを、感じた。

だって一人ではきっと何もできなかった。
人が集まってできるそのパワーって、本当にすごい、と思った。

そのチカラは悪にも善にもなる恐ろしさがあるけれど。
でも、奇跡ってやつはきっとここから起きるんだ。そう思う。
大きなムーブメントはほんの小さなことから始まるのと一緒。

許可を得ることが難しい場所もあるけれど
来年も、きっとこの活動を続けようと思う。
音楽のパワーを私は信じてるから。

みんなの2009年はどんなだった?

きっとそれぞれの物語がたくさんあったよね。

また新しいページをめくる2010年。

もうかえらないその時間を その一瞬を
よりシアワセに生きたい

そう願うことは世界中みんな一緒。

どんなゴールにたどり着いたのか?どんな仕事もってどんな家に住んでとか・・?

そんなの問題じゃない。

自分だけが知っている「真摯に思っていること」への

そこに向かおうとするその「道」こそが、「人生」であるのだから

それがどんな物語であろうとも、山あり谷ありででこぼこ道であろうとも

精一杯生きているのならば、それはその人だけの、かけがえのない成功なのではないかと

おもう。

どれだけたくさん笑ったのか、真剣に泣いたのか。

それが人生なんだ、きっと。


そして自分より大切な人がいる、ということ以上に

幸せってあるのかな?

そんな風に思える人がいるのなら、その人にこそ、素直になろう。

ちゃんと目をみてまっすぐに言いたい。ありがとうと。

何もないところにただ存在して、ただその風景を眺めたりすると

いつも私の心は そういうところに戻った。

きっとそれはこれからも変わらない。


みんなの物語がそれぞれの想いに沿ってゆっくりと確実に

それとともに みんなの無事とシアワセを心から祈ってます。

2009年、本当にありがとうございました。

来年もまた、よろしくお願いいたします。


ガーナより 真紀

密輸品とガーナ服 2009

書き納め2009 第一弾 ~密輸品とガーナ服~

Ghana テキスタイル三大会社の一つ、GTPに直撃インタビュー!

~~需要が減少!ガーナ服の危機~

全く同じスタイル、同じデザインの服が2つあり、一方が高額、一方が安値であったなら、あなたはどちらを買うだろうか?
あなたのまわりに安く美しい輸入服がやってきたら、あなたはそれを無視できるだろうか?

よっぽど余裕がない限り、安ければ安いほど家計は助かる。そりゃ、安いほうがいいに決まってる。大富豪でもない限り、そう思うことは極めて普通のこと。消費者に悪気などあるわけはなく、必死で生きる私達はなるべく安いものを買いたいと思う。

しかしその行動が、じわじわと伝統の一つを押し潰す勢いにまで膨れ上がっていることなど、消費者には気付くはずもない。消費者の弱みをコントロールしている「闇」がたくさんありすぎるのだ。

毎週日曜日のガーナ。人口の大半がキリスト教を占めるこの国では、週末の教会行事は欠かせない。大切な社交場とも言える場所だ。その日に限っては、正装。色とりどりのガーナドレス・ガーナ服、女性のスカーフの巻き方も個人差があってとても美しい。艶やかな黒い肌に、太陽にも負けないくらいの鮮やかな色の布。伝統柄のパレード。そんな人々で溢れ、道を歩いているだけでも楽しい。

しかしその楽しみも、週末に限られる。

近年のガーナは、明らかに欧米の波が押し寄せ、若いガーナ人の美的感覚はガーナ服から欧米の服へ、伝統音楽から欧米の音楽へ、と移行しているように思われる。以前は女性はスカートのみを(ロングが通常)はくはずだったのが、今はどうだろうか。年配の女性でさえ、ズボンをはいていたりもする。

そのことがガーナのテキスタイル協同組合の中で非常に危険視されていることが数ヶ月前のTVで流れていた。売上が伸び悩み、つまり人々の布の買い方が変わり、需要もかなり減ってきているという。

あの美しい伝統服は一体どこへ行ってしまうのか。少しずつ忘れられていくのか。

そんな不安を抱え、ふと聞いてみたくなったのである。
伝統服を支えるガーナの三大テキスタイル会社の一つ、GTPは現状をどのように受け止めているのだろうか。そして、直撃インタビューに赴いたのである。
最初の入口を抜けて少し歩くと、この正式な入口につきあたる。


出迎えてくれたのは Kofi E. Bayitse, Human Resource Director。

1ミリも笑わないその姿勢に威厳と恐怖を感じつつ、なんとか笑顔で挨拶と握手を交わし席に着いた。余分な話などする余裕はなさそうである。早速、単刀直入に質問を開始した。


― 近年のガーナにおいて、欧米服を好む人々が増加しているようにみえます。まるで伝統服を忘れていくようにもみえます。あなたはどのように感じますか?それはGTPに影響を及ぼしましたか?

それを聞いた瞬間にDirectorの顔に一瞬笑みがこぼれた。諦めにも似たような、もうだいぶそのことで大変だったようななんとも深い笑みが。そしてたくさんのことを話してくれたのである。

「一番の原因は“密輸”などの違法な貿易だ。一体どのようにして入ってくるのかは分からないが、多くは中国からのものだ。その密輸品として多いのが洋服と煙草。そういったものは正式な輸入品ではないので税金を払っていない。そのことからも、販売者は安く売ることができる。競争相手となるものはいつも外からやってくる。しかし、たとえば国境線のすべてにセキュリティをつけることができないように、完全にそれらを防ぐのも難しい。それらを止める術がない、という事実がまず一つ。」

先進国からの善意の中古服でさえ、現地服商人たちを苦しめているという、どこかの国の記事を思い出した。
善意の中古服は原価ゼロ状態で送られてくるわけだから、販売者は現地服よりも格安で売ることができるのは当然だ。そして人々はそちらに洪水のように流れていく。

「それから、“コピー品”だ。アルファベットを一文字だけ変えていかにもそのブランドのように売る。GTP独自のデザインもコピーされて、似たようなものがたくさん出回っている。そしてそれは安い。デザインがはぼ一緒なんだ、そしたらどちらを買うかなんて明らかだろう?」

― それらに対してどのような対策を考えていますか?何かアイディアがありますか?

「GTP独自のデザインを今後変えたり、コピー品との質の違いを広告で大衆に知らせるなど。他にも、政府機関に協力を求め、密輸を難しくさせるような政策をつくることも挙げられるね。Cultural Identity をもっと確立させたい。ガーナ人らしくあってほしい。と同時に、欧米のスタイルを使用しつつも柄はアフリカンデザインを使うということも考えている。」

― それは一つの解決策にもなりそうですね。10年前のガーナは今の状況とは違っていたと思いますが。需要はどのように変化しましたか。

「そうだね、10年前は全然違ったよ。今では6ヤードきちんと買うのは年配女性が主で(正装のガーナドレスを作るには、スカーフやドレスの上から巻く布を含めて6ヤード購入が正式。)、若い女性は上着かスカートのどちらかだけの為にだけ購入、というように、一度に買うヤード数が減ってきている。」

― なるほど。それでは、コピーされた安い布とGTPの布の違いを教えていただけますか。

「着用回数にもよるが、GTPの布は厚く質が良いので何度洗っても頑丈だ。毎日着込んだとしても1~2年は持つ。しかし安価なほうはすぐに破れる。そしてGTPの布は水洗いしても色があせない。」

― 布地はどこから仕入れているのですか?ガーナ国内からですか?

「いや違う。昔は、ガーナ北部で綿が採れた。アコソンボにも綿の工場があったが閉鎖してしまった。今では、編んだだけの状態の100%コットン(=Gray Clothと呼ばれる)を主に中国から、他にもインドやタイから輸入している。そしてガーナで脱色し、真っ白の状態にする。この状態のときの布を“Calico”
という。その後、色を足していく仕組みだ。」
― 三大会社の一つ、ATLやGTMCとの布の違いは何でしょうか。

「他社の布も質は良い。しかし両側共にプリントが施されているのがGTPで、片面しかプリントされていないのがATLやGTMCのもので、それらはFancy Waxと呼ばれる。」

― GTPの資本元はどこでしょうか。ガーナですか、それとも海外でしょうか。そしてGTPはどのようにして経営をスタートさせることができたのでしょうか。

「工場がスタートしたのは1968年だった。その時はガーナ政府によって始まり、後に食品などの会社とガーナ政府が共同でシェアを持つという形で経営され、100%民間経営ではなかった。1994年に工場が閉鎖となってしまったのだが、オランダの会社が買収し、彼らの指揮のもとにまた製造が始まった。今でも本社はオランダにある。(名前はGTPではない。)しかし工場はガーナ国内にしかなく、14の倉庫を国内に持っている。」

― 外国に輸出はしていますか?

「西アフリカ諸国だけだね。トーゴ・ベニン・コートジボワールの3ヶ国だ。なぜなら、趣向が西アフリカ同士で似ているからだ。東アフリカは全く違うので輸出はできない。」

さらに内部の見学を申し出てみたところ、撮影は厳禁で許可がおりた!
整然と並ぶ、巨大な工場に足を踏み入れた。

入口付近にはGTP社員専用の病院とシャワー室などが設けられていた。いかに危険が伴う仕事かも理解できたので、納得の設備である。

GTPの製造は大体、マーケット用・Woodin用・個人オーダー用(学校などの制服等)と分かれているが、最初の工程は一緒である。

大量のGray Clothが次々にどでかい回転アイロンのようなものに吸い込まれ、空中高く配置されたパイプのようなものに沿って、ものすごい勢いで次の機械へと吸い込まれる。
そこで丁寧に洗浄され、次の機械では化学製品によって脱色され(茶色の水が勢いよく流れ続けていた)、その後また大きな機械を通したあと、まっ白い状態の布(Calicoという)になったものがまたすごい勢いで巨大な箱に積まれてゆく。

その後、隣の工場に渡り、WAXの巨大な機械が登場。WAXのもととなっている茶色の透き通った塊をやはりアジアから輸入しているようである。それも安くないとのこと。そのWAXを溶かす機械もあった。
まずは基礎となるプリントが彫刻のように刻まれた巨大ローラーとWAXで布に模様をつける基盤ができてゆく。

その後、布のベースの色別に、自動機械に吊るされ染色コーナーに入れられる。30分おきに一度吊りあげられ、また漬ける。その繰り返し。そして乾燥機に入る。

驚愕したのが、2回目からの色・プリントがすべて「手作業」であったこと。信じられないほどのスピードと正確さで、次々とスタンプを押す作業員。その大きなスタンプにはこれまた彫刻のように柄が刻まれており、それ用の染色料に一度浸けてから所定の位置に押していく。この連続作業ははっきりいって、女性にはかなりきついと思われる。

しっかりしたWAXのおかげで、両面に色とプリントがはっきり施された布は、また違う工場で巨大アイロンへと運ばれる。その近くで、Woodin用の染色も行われていた。

柄となるそのスタンプは一体どうやって作っているのか?
GTP専用のデザイン室にはたくさんのデザインボードがあり、下書きが描かれている。それに沿って、小さい電動のこぎりの様な機械を作業員が手と足で操作し、カットしてゆく。その作業も大変!でもたくさんの美しい柄が眩しかった。

乾燥・洗浄・アイロン等の最終段階を終えた大量の布はまた隣の工場をへ運ばれ、そこでマーケット・Woodin・個人用と分かれ、手作業で作業員がたたみ、ラベルをつけていく。ここで初めて女性作業員を数人見かけた。
これが終わるとそのまま出荷へ。

最後に、WAX用の巨大ローラーに施された柄がどうやってできるのかを見せてもらった。
最初に、透明のフィルムにコンピューターでデザインが映される。その透明フィルムをローラーに手で巻きつけ、専用の光に回転させながらあてる。そうすると、デザインの部分が、ローラーに反映される。その後、化学薬品のシャワーのような機械にそのローラーを入れて一定時間浸すと、そのデザインの部分以外は溶けて、結果機械のように正確なデザインがローラーに施されるという仕組み。
もちろん再利用もばっちり。使用後のローラーはまた専用のシャワー室に入れられ、再度メッキをつけ、また新しいデザインがつけられるようにする。

すべての工場を出た頃には、自分の体に、黒く小さくねっとりした何かが薄く撒いたように付着していた。

本当に大変な作業である。

帰り道に金の銅像の前を通った。案内役のマークは言う。
「WoodinをGTPにもたらしたのはこのフランス人マネジャーだったんだ。長いこと勤めていたが、つい最近辞職したので今はオランダ人マネジャーだよ」

GTPの「夢」は何かをDirectorに尋ねた。

「西アフリカで最大規模のテキスタイル製造業者になりたいね。ナイジェリアに比べたらまだまだ小さいが、それでも西アフリカでアフリカンプリントといえば“GTP”と呼ばれるようになりたいね!」

と笑顔で語ってくれた。GTPならきっとそうなれるはず!
感謝と応援の言葉をあとにした私たちに、突然のプレゼント。GTPの布を2ヤードお土産にいただいてしまいました。
本当に、素敵な会社でした。

きっとその「夢」が叶うように、伝統服がなくなってしまわぬように、願ってGTPをあとにしたのでした。

* **************

このインタビューから数か月後。

ガーナ人の友人の友人で、裁判関係の仕事に就いている人に出会い、この話をしたら、
興味深い証言が!

「そうそう、密輸の服などは、大体トーゴからだよ。トーゴのある港は、合法か違法かなんて全く関係なく出入りできる無法地帯なんだよ。だから、中国やいろんな国からの密輸品は、まずトーゴに入り、ガーナ人はその港まで取りにいくんだ。で、トーゴとガーナの国境にはセキュリティの薄い場所がいっぱいあるから、そこからガーナに戻り、商品をそれぞれ自分のうちなどに持ち帰り、後日売りさばくわけだよ。」

ああ。。。。。なるほどね。。。。。

その大量の密輸品で生活している媒介人や、それを必至の思いで受け取ってそれで生活しているガーナの人々の数を想像したときに

私は、一体何が正しいのか、どうするべきなのか わからなくなる。

そういった密輸品がもう何年も続いて、ガーナの生活になくてはならない供給品として人々に密着していて、
人々はそれを楽しんでいて、それがなくなったら困るという人がいるだろう。

密輸でも違法でも何でもいいから、今はそれが必要なんだというかもしれない。

ガーナを本当に変えることができるのは、ガーナ人自身であるのに。

でも、変える必要なんてないという人もたくさんいるだろう。

それに。もう密輸品がこれだけ流れ込んでしまった以上は、完全になくすことは無理かもしれない。

でも、これだけはやっぱりガーナ人に伝えたい。

そのつもりはなくても、その行動が
こうやって、自分たちの手で自分たちの価値ある文化や伝統を少しずつ薄れさせているんだってこと。

それはどこかの国の誰かが仕組んだわなのようなもので、知らないうちに自分たちは巻き込まれていたんだよってこと。

ここにある、自分たちにしかつくれない美しさを忘れないでほしい。

それさえしっかりあれば、きっと欧米文化がもっと流れ込んでも、バランスを保てるかもしれないから。

こういうとき、いつも自分の母国、日本を思い出す。

日本は戦後たった60年で、どっぷりと欧米文化に浸かり、それを満喫したけれども、

いったい何を失って、何を保てただろうか?

私は日本人として、その文化の美しさを、誇りを、自分の中にちゃんと保てているのだろうか。

それを問うことも 忘れないでいたい。



















 

Happiness

HAPPINESS

Shared joy is double joy. Shared sorrow is half sorrow.

Where there is love, there is life.

We wove a web in childhood, a web of sunny air.

One must ask children and birds
How cherries and strawberries taste.

Family faces are magic mirrors.

Good times made better and bad times forgotten due to the healing magic of friendship.

Life delights in life.

Seek the wisdom of the ages, but look at the world through the eyes of a child.

Joy is not in things, it is in us.

For memory has painted this perfect day, with colors that never fade..

Glow old along with me, the best is yet to be.

The best and most beautiful things in the world can not be seen or even touched.
They must be felt with the heart.

Trade!! Not Aid, ~援助ではなく取引を~

貧困とは何か。それは本当に貧困であるのか。
貧困は誰がつくったのか。何がそれを生み出したのか。
そのような地域だったからもともとそうだったのか?
そんなわけはない。
たとえばアフリカには豊かな天然資源が豊富にある。
その豊富な国が飢えに苦しみ、資源のない国が有り余るほど食べ、捨てる生活をする。
それってよく考えたら、とてもおかしくない?
普通は資源のある人がお金をもらえるはずでしょう?
それなのにどうして彼らこそが苦しんでいるの?
その仕組みと経済をつくったのは、誰?

つまり、貧困をつくり、飢えを生みだしたのは
先進国のつくった社会・自分達に都合よく作られた経済システム
だったのだ。
そして、まず、子どもたちから犠牲になっていく。

WTO世界貿易機構 とIMF国際通貨基金 の悪名は高いそう
真実が知りたい

つまり、本当に必要なことは、もう「援助」なんかじゃない。

正しい経済の流れ。

利益を生み出してなんぼの資本主義だけの世界から抜け出して

新しい仕組みをみんなで試してみなきゃ。

そのひとつとして

公正な取引。フェアトレードなんだ。

当たり前のことなのに、わざわざそれが今、流行になっている。
企業には世界に対する責任がある(環境・貧困・人権など)、という考え方のもと、CSRというポジションが会社にあるのも最近はもう普通らしい。
遅いけど、気付かないよりはマシ。

21年前からそれをいち早く気付いて行動した素晴らしい一例が
ザ・ボディショップの創業者・故・アニータ・ロディック。
http://www.the-body-shop.co.jp/corp/anitaroddick_history.html (プロフィール)

http://www.takeitpersonally.org/index.php (社会活動サイト)

自分達だけの利益だけを追求するようなビジネスはもう時代遅れ。

誰かを想う。何かを想う。守りたいと想う。
違うという美しさに感謝し、敬意を払う。
違うもの同士が助け合う。

そのことが経済を公正に動かす原動力になればいいのに。

それは別に援助じゃないよ。貪欲にならずに、公正に貿易が行われてれば

こんなことにはならなかったんじゃないの?

富めるものが富むために、貧しいものが富めるものを援助している、この状態。


水と食べ物、どうしてこんなに困るの?

日本ではあんなに捨てられているのにね・・・


店に水洗トイレあるけど、水はでない。蛇口はあっても水はでない。

バケツは、ここでは必須。




私のガーナでの活動を少しずつ書いていきたいと思う。

私は Global Mamasという女性による女性のためのフェアトレードプロジェクト・NGOに配属されている。

アメリカ人女性がオーナーで、彼女も昔はアメリカ政府の支援するボランティアとしてガーナで2年活動していた人だ。

その後アメリカ帰国してMBA取得してまたガーナに戻り、2002年、NGOを立ち上げてしまったというすごい行動力の持ち主。旦那さんと共に今現在もものすごい忙しさで動いている。私の尊敬すべきボス。

私達のNGO、Global Mamasのサイトはこちら。
赤ちゃんの服とかもとてもかわいいのでみてみてね。

http://www.globalmamas.org/cp-app.pl?usr=51F6903076&rnd=8799438&rrc=N&poo=P&pg=ourmission

ガーナ人女性約400人の生活の基盤を支えるほどの成長をみせた。

たくさんの専門性のあるボランティアを招き、裁縫・デザイン・コンピューターなど基本的なビジネスのトレーニング、等を無料で行った。
最初は、現地のハンドメイド製品を輸出し(オンラインショップや卸しなど)、その利益が直接女性たちのコミュニティに戻る仕組みだけだったようだ。

でも輸出の際に、期限が間に合わなかったり、返品製品がたくさんでたりしたことから、現地でそれらを売り始めた。
すると、なんと結構な売上に。
そのことから、ケープコーストに1店舗(工場に近い)、その後去年初めて首都アクラ店が誕生。

わたしはその首都アクラ店でManagerとして配属され、今は2店舗同時の在庫管理・発注・納入などを任されています。

はっきりいって 

むちゃくちゃ忙しい。

最近激しさを増し、休みの日も出勤するしかないか?というくらいに・・。

でも、とても充実してるし、楽しい。

おなじみの「シアバター」やもっとローカルな「ブラックソープ」(パームオイルとココナッツオイルのみで作られていて、現地では赤ちゃんにも使えるほどの天然ソープ)もとても人気。

シアバターは、現地で何にでも使われているキャラバッシュ(ひょうたん)の殻に入っててすごくかわいい。
その殻にドリルで穴を開け、ひもを通し、タグをつける作業は店の仕事。これがまた何百個とあるので、すごい大変です。

キャラバッシュは優等生。
Xylophoneの共鳴の道具としても使われ、現地ビールを飲むカップとしても使われ、料理や食事にも。何にでも使える、有難い自然のお皿。

あと、こちらではエコなんて言葉、全く知られてませんから、ビニール袋がすごいんだ。そこらへんに捨てられて溢れてる。
それらを使って、現地女性に編んでもらったお財布とか、水の入ってた袋で作ったバッグなどもよく売れてる。

それに、ごみ箱に捨てられてたガラス製品を工場でリサイクルして色をつけて、ビーズのようにして、アクセサリーや小物をまた女性たちが作ってるんだけど、そういうのもほんとかわいいんだ。

もちろん、伝統の本当のビーズを使ったアクセサリーもあるしね。

最近の新製品は、パイナップルの繊維から作ったカードや便箋。



来週10日、オバマさんが来るなあ。

マイケルさんの追悼式・・7日らしいけど、それに出てから来るのかなあ。

スタッフのローズが、オバマさんのことだけでTVを買うと言っていた。

はりきって買いにいったローズ。知り合いのTV屋の男が悪い奴ですっぽかされて

待ちぼうけ。なんてこと。ローズ、結局買えたのかしら・・。

種をまく

22/09/2009

種をまく


人の生き方は、ある角度からみた場合 二つに分かれるらしい。

To Build する人と To Plant する人と。

Buildingはつくってしまったらそこで終わり。

Plantingは種をまいたあともそれ自体が成長していく。作り手がいなくなっても。


種まきのような活動ができたらいいなとずっと思ってた。

そのプランのうちの一つが Dancing&Drumming Workshopだった。

ガーナ到着してから、早速ガーナの伝統音楽と舞踊を習い始めたおかげで、

かけがえのない出逢いと貴重な体験ができている。

それだけでも幸せなことだったのだけど、仲良くなるうちに、それぞれの先生たちが

いかに今も生活に苦しんでいるかを知ることとなった。

自分の人生を音楽に捧げ、真摯に生きているにもかかわらず、その価値をわかる人はここでは少ない。

もちろんその価値をわかろうとする余裕など、人々の生活にもないからかもしれない。

音楽のその才能は人間国宝級に素晴らしいけれど 毎日のご飯にさえ困るのは なぜか。


数ヶ月前、
まずは伝統木琴・Xylophone By SK のワークショップをボスに提案したのだけど、私達のNGOが取り上げている問題は「女性の生活・雇用機会などの向上」であり、男性は基本的に雇えないということで断られてしまった。

複雑な思いを抱えつつ、それならばと、ダンスの先生Giftyは女性なのできっといける!
と思い、プランを練り始めたのが先月。

実はSKの昔のメンバーだったドラマーのNiiの奥さんが、プロダンサーのGifty、というわけで

紹介のまた紹介、と、どんどん繋がっていった。

会ってみたら、それは本当にいい人たちで、NiiとGiftyはドラマー&ダンサーの素敵なカップル。

3人の小さな子どもたちを抱え、質素に暮らしている。

出産・子育てでキャリアを降りていたGIftyは、やはりまたダンサーとして活躍したいと本当は願っていた。
でももうプロを引退した今ではスポンサーもなく、一緒に活動するメンバーもいない。
どうしようもなく、ただ子育てに追われていたところに、私がやってきた、というタイミングだった。

旦那のNiiはSKが今でも配属するHewalle soundsのメンバーだったのだけど、リーダーのあまりの横領ぶりに耐えられず、バンドを去った。もしくは不満を訴えて最終的にはリーダーから外されたのかもしれない。
事実、SKは今でもリーダーのその悪党ぶりに耐えつつ演奏している。
毎回の演奏後、ホテルやレストランや大使館などのマネジャーがリーダーに報酬をチェックで支払うのだけれど、全額がいくらだったのかはリーダーはメンバーに教えない。そして、「数回にわけて支払うと言われたから、今回はその一部しか渡せないけど、あとで残りの分を払うよ」とメンバーに言うのである。
しぶしぶ了解し、ほんの交通費ばかりのような報酬を貰い、帰宅するのだが、それ以降リーダーから残りの金額について伝えられることはなかった。
というようなことがもう数年前から何度も何度も繰り返されてる。リーダーは確実に大半の金を自分のポケットに入れている。それに抗議した者が順々に外されていき、リーダーはまたすぐに違う演奏者をどこからか探してきて適当に組み合わせている。しかしその演奏者たちは同じように悪いたちの者で、それらにもまたSKは苦しんでいる。
リーダーはすべてのコネクションを持っている。とくに大使館関係・エジプト・スイス・ヨルダンなどで行われたユネスコ協賛の音楽イベントなど、、悪党リーダーのコネクションなしには招待されないのかもしれないが、何が悔しいかって、その大使館関係や海外の音楽関係の人々(報酬を彼らに与えるひとたち)こそが、リーダーの悪党ぶりをまったく“知らない”のである。
もちろん、Hewalle soundsを去る、のも一つの案だけれども、その後はまた演奏機会を探すのに苦労するのは確実である。

Niiはバンドを去ってから、バンド時代に関係のあった大学に一人で赴き、個人的に生徒を探してレッスンをして少しばかり稼いでいる。それも波があって、とても安定はしていないが、それでもなんとか妻と3人のこどもを養っているのだから、本当にすごいこと。。

そんなGiftyとNiiの夫婦のダンス&ドラムワークショップを企画して、うちのNGO・Global Mamasと組み合わせて、ガーナ・アクラショップのワークショップの看板になれば、今後もずっと彼らが先生として定期的に活動できる場の一つとなるはず!それで出逢った旅行者の中にスポンサーになってくれる人が将来でてくるかもしれないし、それ以外のまた素敵な出逢いがあるかもしれないし、そうでなくても、ちゃんとした公正な報酬をうちはきちっと支払うことが団体の使命なので、彼らの生活の糧にはなるがず。お客様からの支払いのうち、80%が彼らの分。NGOの分は20%と決まっている。
それに、私の愛する伝統音楽と舞踊の価値を、たくさんの人にわかってもらえること・楽しんでもらえること・広めてもらえることができるなんて、それがまたこの喜びの大きな一因。

というわけで、収入・支出・進行プランなどを企画し、ボスに退出してみたのである。

そしたら、通った!!!!!!!!!!

やった!!!!!!!!


さらに、偶然が重なった。

ボスも驚いていたのだけど、突然アメリカから30人の数日滞在者がガーナに来ることになり

彼らがダンス&ドラムを一日体験したいといっているとのこと!!

わお!!! かなり興奮した。


そこからもうーーーーーかなり忙しかった。

15人ずつの2グループにわけて一日で終わるように組み合わせるのだけど、待ち合わせ場所から時間の進行具合・ランチやドリンクの手配・移動や交通の流れ・大量のドラムや椅子の手配など・・・
それに加え、GIftyとNiiにお願いをし、ワークショップの予行演習も数回し、最終チェックをする。
GIftyとNiiの個人的なストーリーから舞踊・ドラムの種類や歴史の紹介、デモの仕方などなど。

旅行会社の大変さがほんのすこーーーーしだけわかった気がするかもしれない。



とにかく、明日がその記念すべき第一回目。

なんだか、とても静かに感動している。

だって、これこそが私のしたかった「種まき」の一つだったんだから。

小さな夢が一つ、叶ったよ。

どうか、ずっとずっと成長していきますように。






 

Water is life

20/09/2009

よくあるアクラの一日。

水がいかに命のすべてであり大切であるか、いかに私達が電気にお世話になっているか

を 決して忘れないように 今日はここに書き留めておくことにした。


洗面所や台所に蛇口はあるけれど、水はでません。

トイレもシャワールームもあるけれど、水はでません。

電気はつかないので、ろうそくか、簡易ライトのみ。

せっかく今日は家で家事のすべてをしようと思って友達との約束も断ったというのに!

料理はもちろんできません。炊いたごはんも炊飯器の中で乾燥してゆきます。

冷蔵庫の電気も切れましたので、中にある牛乳やチーズなどはまずアウト。肉も野菜も。。これは経済的にかなり打撃を受けます。

いたんだ食材を、もったにないからといって食べるわけにはいきません。ここの食中毒は本当に危険。

なので捨てるときにとても悲しい思いがします。

事前にわかっていれば、食材を買わなかったけど。

いつ電気が切れるか、いつ水が止まるかなんて誰にも予測つかないのです。

掃除をしようにも、水がないのでモップがけできません。

一番つらいのがトイレ。日ごろからバケツ一杯分の水は溜めているけれども

それは貴重な「水を流せる」一回分。

なので「小」のときは流さずにおくのがここでは普通。

でも、、「大」のとき・生理中とかはもう、冷や汗です。本当にしんどい。

外に出たって、公衆トイレなんてありませんから。それに町中が水ないので

誰かのうちに駆け込んだって、一緒です。水はありません。

じゃあ、どうする・・・?

解決策なし。我慢するしかないのです。いつ復活するかわからない水をただひたすら待つしか

ないのです。その連続は本当に体を壊すような勢いです。

お風呂タイムはもう慣れっこになりました。日ごろからバケツ一杯の水を溜めてから家を出るようにします。

そうすれば帰宅して水が止まっていても、それさえあれば、最低限、体と髪を洗えます。

その中の少しの水を沸かして、それをバケツの水に足して、温かくします。

もちろん丁寧に洗ってなんていられないけどね。でも一杯のバケツのお湯をあびることができるだけでも幸せ。

歯磨きや洗顔だけでも結構水を使っているんだなー・・とこういうときよくわかります。

食器洗うのにも。どんなに少しずつ節約しつつ使っても、

空のペットボトルにためておいた水がどんどんなくなって、たった一晩で5本は余裕で空になった。

私は一人住まいだからまだマシ、これが家族だったら? 大変です。

かといって、水をただバケツに溜めておけばいいって話でもない。

なぜなら、その水はすぐに腐ってカビがはえてしまうからです。

なので私は、トイレ・シャワー用のバケツの水以外はすべて冷蔵庫に保管するようにしてるけど

それだと保管できる数に限りがあるから、常に大量には保存できない。

それでも、ないよりはマシ。水がでるときは、ここぞとばかりに水溜めに明け暮れます。

それで水も電気もなくて何もできないこの瞬間にふと思ったのが

「水がないと本当に生きていけない。水がないと、何も考えることができない。

たとえば、国のことなんて、世界のことなんて、考えてる余裕なんてあるわけない。もう、今日や明日の食べるものや、明日の着る服のことや(水がないと洗濯できません)、掃除のことで頭がいっぱい。

水。水。水。水ーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」





人間のからだも70%は水分なわけだし、そりゃあもう、

水は「命」そのもの。

水がなきゃ、生命さえ生まれなかった。

水を恵んでくれる自然にどんなに感謝しつくしてもしきれない。

不便さが教えてくれることは本当にたくさんある

人間は悲しくも慣れてしまう生き物。

水が毎日でてしまえば、もう いちいち ありがとう なんて思わない。

それが当たり前になる。

そして急に水が出なくなったそのとき、慌てふためくのである。





何かの記事で書いてあった興味深い話で

水にも顕微鏡レベルでしか確認できないほどの結晶があって、

その形は常に変わるものらしいのだけど

水にむかって何度も「ありがとう、ありがとう」というと

その結晶の形がゆっくりと何か違う形になったんだって!!!

偶然?うん、かもね。でも、なんか、私は信じたいと思うわけ。そういうの。


水を、たいせつに しよう。

SAKAWA

30/08/2009

ジュジュ(medicine man, shaman, …etcと似た存在の祈祷師)とSAKAWAについて。先月のTVで流されていた大きな話題。4人の男たちのうち2人が、祈祷師によって蛇にされた。しかし人間を蛇にすることができても、蛇を人間に戻すことは難しいらしく祈祷師は蛇になってしまった男2人を人間に戻すことができなかったらしい。なのでその2匹の蛇はまだ生きてさまよっているらしいとのこと。職場の同僚が真剣に話すので、一応真剣に聞いておいたのだけど、どうもふにおちず。その夜行った地元のローカルバーでいろんな人に聞いてみたら、みんな知ってた!心底信じている人と、「あ、あれね、TVのただのフ゜ロク゛ラムだよ」とあっけらかんとしている人とと、真っ二つに分かれた。それがもとでかなりの討論になってしまった。私の友人は後者であり、私自身も、人の噂に流されるよりもきちんとこの目でみてから物事を判断したいので、そういう話をして私と友人は話を終えたのだけど。まあ、、これについては多分、ただのフ゜ロク゛ラムだと思う、ほんとに。実際、私の友人は、TVの撮影で役者をやった人を知っている。TVといえば日曜になると、教会の日なので、「GOD」を讃える番組でいっぱい。何がふにおちないかというと、、たとえばこれまでの人生で歩けなかった人(何故か必ず女性)が大勢の観客の前に出てくる。必ず家族か友人のような付き添い人がついており、彼女を支えるようにやってくる。そして泣きながらこれまでの人生のことを話す。そこで、牧師が、いきなりものすごい剣幕で「GOD」にむかって祈りとともに叫びまくる。すると、いきなりその彼女は何かにとりつかれたかのように 歩き出すのだ・・!そこで観客・牧師・付き添い人、会場全員の驚きの叫びと拍手。つまり、神への畏敬の念と恐れ。神は全能だ!的な。彼女は泣きながら床にひざまずき、神への感謝を何度も繰り返して叫ぶ。喜びと涙と共に、彼女と付き添い人は会場の席に戻っていき、人々は拍手喝采。・ ・・・・・・・・この番組。どうしてもふにおちない。。。。TVの番組のことはおいといて本題の「SAKAWA」とは。そう、まだまだこのガーナの奥地や村では、祈祷師の存在はとても強く残っている。そしてその祈祷師は、人々の悩みを解消したり願いを聞き入れるかわりに、代償を求める。その代償とは、多くが「人間の血」。そして多くは赤ん坊か子どもの血でないといけないということが多いらしい・・そういうときに犠牲になるのがストリートチルドレンだったりもするのだ。成人の血でもいいという祈祷師もいる。つい数日前、これは本当にNEWSで流されていたらしいのだけどある祈祷師が男性の切断された頭部を2人分もっている映像が流されていて実はその祈祷師は逮捕されて裁判にかけられているらしい。一体、祈祷師がどれほどの数いるのか不明だけれども、一人の祈祷師が逮捕されるならば、他の祈祷師の勢力も弱まるのかと私は単純に考えてしまうけどどうもそんな単純な問題ではない。とても根が深く、ガーナの古い伝統儀式とも繋がっているので簡単には解決できない問題だと思われる。日本で想像する祈祷師とは全く違う。その祈祷師が求める代償は人間の血であることが多いので、人間を殺す役目を果たす人が必要になる。その役目を果たすのが祈祷師に助けを求めた本人か、ジュジュの遣いである。そういった、実際に犯行を実行する彼らのことをガーナ社会ではSAKAWAと呼んでいる。そのSAKAWAたちは最近本当に問題になっていて、新聞でも一面に大きくとりあげられていたりする。SAKAWAたちは、その役目を果たして、祈祷師が必要とするものを持っていく。すると、祈祷師から報酬となるお金をもらえるらしい。間に闇の中間人がいるのかどうか、そのへんはまだよくわからないけど・・首都には実はたくさんのSAKAWA用の店があるらしい。。祈祷師とは関係ないSAKAWAもいて、彼らは単純に、お金目当てで犯罪を繰り返す。その中には、ナイジェリアから来た男たちが多くいるらしく、ガーナの犯罪者とぐるになって一緒に活動しているらしい。で、その祈祷師だけが人々をコントロールしているのだと思っていたのだけど、どうやら、もっと複雑だった。祈祷師は、本当に真摯に奇跡や神を信じている。そして、人々が求めるものをそれが悪であっても何でも、叶えようとするのである。つまり、お願いに来る人々が「良い願い」をすれば、いいのだが、、たとえば 「○○って奴があんな仕打ちしてきたから、あいつは悪い奴です、殺してください」と誰かがお願いすれば、その願いを本当に叶えてしまう。つまり、遣いの者を通して殺人が本当におこってしまう。だから、要は、人々の心によって、祈祷師も左右されているということ。同僚のナナヤは言う。「ガーナの問題はまさにそれなの。本当に悪いことよ。でも、誰にも止められないよ。だってそれが伝統的に根深く信仰されてた祈祷師と関連してるんだから。どうやって止めるっていうの?」・ ・・・・・・・・わからない。そうね、部外者は知らないフリをしておこうか?知らなかったことに・・?・・・・でも殺人が肯定される理由がこの世にあるんだろうか。だめだ。知ってしまったのに、忘れることもできない。だから私はとにかく事実をまず話し続け、もっと知ることを続けてみようと思う。ジュジュ&SAKAWA第一弾、報告おわり。

Forgiveness

29/08/2009

大丈夫。きっと 大丈夫。本当に大切なことは

本当は みんな ココロのどこかで わかっている

望みがどんなに 薄く剥げ落ちそうになったとしても信じよう。

最後まで 私は  信じよう。

戦争のつくりかた

29/08/2009

戦争の作り方


自分の正しさだけを追求し 相手の間違いを絶対に許さないこと

相手の言いたいことを決して聞かず 自分の言いたいことだけを言う人は 

とても戦争に向いています


友人・同僚・恋人・夫婦・親子 どんな関係での 争いも

国と国の 争いも

結局 同じじゃないか



最近よく感じることがあって

それは「心の許容量」 器?

なぜこんなに人はよくも怒るのか 争うのか 

決して自分の過ちを認めず 

人の過ちだけを取り上げ 非難をし

さらには 素直に謝れない


なんだか 情けない。

これが 人間 というものなんでしょうか?





 

 

海のむこうで君が泣いている

01/08/2009



海の向こうで君が泣いている

とても遠くで 君が泣いているのが

なぜこんなにもはっきりと伝わってきたのか わからない

ただ 私はその両手いっぱいに広がる悲しみを

抱きしめたくて 抱きしめたくて 一人で 泣く

淋しかっただろうね、辛かっただろうね、泣きたくなんてなかったろうね・・

人のこころは世界中どこにでも飛んでいけるのに

体はちがう

人はときには 体に触れたいし 抱きしめられたい

こころでわかっていても 言葉で聞きたい

それでやっと安心できる

子どもみたいに・・

路上で暮らす子どもたち

17/08/2009


路上で暮らすこどもたち

毎日毎日出逢った


同じ子に出逢い続けたと思ったら 

ある日を境に いなくなった あの子


綺麗なくりんくりんの髪を褒めたら

かわいい顔が笑った あの子


いたずっら子のような笑顔で 

私に 内緒だよ のポーズをして 通りすがる人にいたずらをしてたあの子


その子をいじめてたあの子

本気で怒った私


そう、いつものことだった。


「本当に欲しいのは お金なんかじゃなくて 

 本当に飢えていたのは 愛だったんだ」


そんな言葉を思い出しながら 私は昨日 

日本から持ってきていた折鶴を 折ることにした

裏に私の想いを少し書いて そして祈りをこめて 折った

それで決めた

明日会った子にこれを あげよう


そして今日 出逢ったのは

知っている、最近いつもここにいる あの子だった

小さな小さなその体で

きっとナイジェリアかエチオピアか、どちらからか来たのだろう

栗色の髪の 目の大きな 小さな その子
 

鳥は好き?

うん、好き

そして、その折鶴をあげた

不思議そうに見ながら いろんな角度から触っていた

そのとき 私は少し期待していたんだ きっと

その子が 満面の笑みを見せてくれるって。

でも違った。

淋しそうなその表情で 力なく 触りながら ずっと つぶやいていた

お金ちょうだいって・・

そしてその折鶴を解体し始めた

でもどう折られているのかわからないし でも開きたかったのだろう

彼女は ついに 破り始めた

ばりばりと破られて 次第に

私の書いた 想いが 紙の裏側に見えた 

その破片がひらひらと彼女の手から こぼれおちて

道路を猛スピードで走る車の中に 消えていった


ふいに立ち止まったその子は

最初と同じ 淋しそうな 顔をしたまま 

その破った破片を握り締めたまま

私をみつめていた。 


私は 

淋しそうに 力なく笑って ばいばいと

言うしかなかった


これが私の現実

One Love, One Heart, One Soul

なんて

それだけじゃ ここでは こぼれおちてしまう

そんなんじゃもう だめなんだ

そんなの 豊かな国の人間の自己満足にすぎないのか


どうしていいかわからない

そういう想いをしている

それで いいんだ

この苦い想いこそ

必要なこと

愛するシュタークの命日

15/08/2009

今日は私の愛する愛する シュタークの 命日そして終戦記念日私はいつもシュタークと一緒だという この 根拠のない でもとても強い感覚それはシュタークが逝ってしまったあの日からずっと ある。 今日の日記 8月1日の想い海の向こうで君が泣いているとても遠くで 君が泣いているのがなぜこんなにもはっきりと伝わってきたのか わからないただ 私はその両手いっぱいに広がる悲しみを抱きしめたくて 抱きしめたくて 一人で 泣く淋しかっただろうね、辛かっただろうね、泣きたくなんてなかったろうね・・人のこころは世界中どこにでも飛んでいけるのに体はちがう人はときには 体に触れたいし 抱きしめられたいこころでわかっていても 言葉で聞きたいそれでやっと安心できる子どもみたいに・・

What is Volunttering

10/08/2009


ボランティアって何?


ボランティアの語源は「ボルンタス」=「意志」という意味だそうで

つまり「無償奉仕」なんてことよりも

単純に自分の意志がそれをしたいと思う行動 

なのでは?


前からずっと考えてきた。

自分の想いや情熱をどんなふうに表現したらいいんだろう。

ボランティアって、単純に人を助けるとか・・そんな風に捉えられている。

でも私は人を助けられるなんて微塵も思ってもない、逆に私は今でも助けられてばかりだ。

ただ私は 「知ってしまった」ことを毎日の忙しさの中に風化させてしまう自分がこわくて 忘れたくなくて

「繋がり」を実感できる場所に身を置きたいと強く感じるようになっていたのはもう数年以上も前のこと

その方法は人それぞれ違ってよくて、私は今の道を選んだ。

ただそれだけのことだ。



毎日毎日たくさんの衝撃や感動や喜びや悲しみがあって

そうやってここでしか学べない何かを、目にみえない何かを学んでいけることが幸せだと心底思えるからこそ

ここにいる。

だから、ここにこれたこれまでの人生や過程、家族にも感謝している。

表向きは「ボランティア」と呼ばれている位置に偶然辿り着いたけれど

私の気持ちとしては ○○してあげる などとは一瞬でも思ってない。

人のために、国際平和のために、なんて掲げて歩いても こわいでしょ?

そうじゃないの。

大切な何かを感じる場所、私の涙があると感じるところに いつも私はいたい。

ただそれだけなんだ。

じゃあ 私のカラダが今いない場所は大切じゃないの?

っていったらそれは違う。

私の魂は、今までの道を辿ってきたからこそ、「今」があることを

ちゃんとわかっている。

だから、今までに出逢ったすべての大切な人や場所がなければ

今の奇跡もありえないから。だから、順番なんてつけられないんだ。 




親子・恋愛・友人同士の愛情だって、きっとそうなんじゃないかなあ・・

○○してあげた ことの 「見返り」を 腹の底で求めているなら それはきっと違う

それとも、犠牲が美しいとかなんとか言い聞かせて「我慢」するのも きっと違う

ただ、そうしたい、という純粋なシンプルな気持ち が あって

はじめて お互いの 何かが動くような気がする


この目でみたい

この足で歩いて この手で触って 実際に 自分のこころで感じたい

こころが揺れる仕事をしたい。

と思ったからそうした。

すると不思議で大切な出逢いが待っていたりする。

私にとって本当に「楽しい」という意味は 

泣けるほどのたくさんの喜怒哀楽のすべて。

だから、ここにある壁のすべてを私は受け入れる。



私が冒険をしていると言うのならば

それは決して自分探しなどではない

自分のことはわかっている

わからないのは

この狂った社会のこと

そしてその狂った世界の中でどうやって大事なことを発信していけるのかを

人生かけて探したい。

このことはとても精神的強さと忍耐力を要していて

自分がなければ その旅はむりだろろうとさえ思う

たったひとりでいる勇気

人はみんな 生まれ逝く そのすべてはひとりなんだって

だからこそ人を愛する奇跡

そのすべてをちゃんと感じるこころがなきゃ

きっと 旅など できない。


このさきの未来で 大切な家族を持つことが いつかできるなら

きっともっと私は強くなれそうな 気が する。


だから、それまでの旅路、倒れても転んでも、きっと起き上がろう。



私が私の為に精一杯生きることは 

それが真摯なものであるならば、きっといつのまにか何かと繋がっているはず

ならば逆もあって

つまり誰かや何かを守るために生きることだって実は自分のために生きることにも繋がっている。

だから、ボランティアという言葉の意味の一人歩きがいつか止まればいいのに、と思う。

私は今、本当にたくさんの人にまた支えられながら、

たくさんのことを教えられながら、生きています。



わからなくなったら、千年以上生きてる「木」にきこう。

人間は、どうしてこうも、「急ぐ」のでしょうか?











ボランティアって何?


ボランティアの語源は「ボルンタス」=「意志」という意味だそうで

つまり「無償奉仕」なんてことよりも

単純に自分の意志がそれをしたいと思う行動 

なのでは?


前からずっと考えてきた。

自分の想いや情熱をどんなふうに表現したらいいんだろう。

ボランティアって、単純に人を助けるとか・・そんな風に捉えられている。

でも私は人を助けられるなんて微塵も思ってもない、逆に私は今でも助けられてばかりだ。

ただ私は 「知ってしまった」ことを毎日の忙しさの中に風化させてしまう自分がこわくて 忘れたくなくて

「繋がり」を実感できる場所に身を置きたいと強く感じるようになっていたのはもう数年以上も前のこと

その方法は人それぞれ違ってよくて、私は今の道を選んだ。

ただそれだけのことだ。



毎日毎日たくさんの衝撃や感動や喜びや悲しみがあって

そうやってここでしか学べない何かを、目にみえない何かを学んでいけることが幸せだと心底思えるからこそ

ここにいる。

だから、ここにこれたこれまでの人生や過程、家族にも感謝している。

表向きは「ボランティア」と呼ばれている位置に偶然辿り着いたけれど

私の気持ちとしては ○○してあげる などとは一瞬でも思ってない。

人のために、国際平和のために、なんて掲げて歩いても こわいでしょ?

そうじゃないの。

大切な何かを感じる場所、私の涙があると感じるところに いつも私はいたい。

ただそれだけなんだ。

じゃあ 私のカラダが今いない場所は大切じゃないの?

っていったらそれは違う。

私の魂は、今までの道を辿ってきたからこそ、「今」があることを

ちゃんとわかっている。

だから、今までに出逢ったすべての大切な人や場所がなければ

今の奇跡もありえないから。だから、順番なんてつけられないんだ。 




親子・恋愛・友人同士の愛情だって、きっとそうなんじゃないかなあ・・

○○してあげた ことの 「見返り」を 腹の底で求めているなら それはきっと違う

それとも、犠牲が美しいとかなんとか言い聞かせて「我慢」するのも きっと違う

ただ、そうしたい、という純粋なシンプルな気持ち が あって

はじめて お互いの 何かが動くような気がする


この目でみたい

この足で歩いて この手で触って 実際に 自分のこころで感じたい

こころが揺れる仕事をしたい。

と思ったからそうした。

すると不思議で大切な出逢いが待っていたりする。

私にとって本当に「楽しい」という意味は 

泣けるほどのたくさんの喜怒哀楽のすべて。

だから、ここにある壁のすべてを私は受け入れる。



私が冒険をしていると言うのならば

それは決して自分探しなどではない

自分のことはわかっている

わからないのは

この狂った社会のこと

そしてその狂った世界の中でどうやって大事なことを発信していけるのかを

人生かけて探したい。

このことはとても精神的強さと忍耐力を要していて

自分がなければ その旅はむりだろろうとさえ思う

たったひとりでいる勇気

人はみんな 生まれ逝く そのすべてはひとりなんだって

だからこそ人を愛する奇跡

そのすべてをちゃんと感じるこころがなきゃ

きっと 旅など できない。


このさきの未来で 大切な家族を持つことが いつかできるなら

きっともっと私は強くなれそうな 気が する。


だから、それまでの旅路、倒れても転んでも、きっと起き上がろう。



私が私の為に精一杯生きることは 

それが真摯なものであるならば、きっといつのまにか何かと繋がっているはず

ならば逆もあって

つまり誰かや何かを守るために生きることだって実は自分のために生きることにも繋がっている。

だから、ボランティアという言葉の意味の一人歩きがいつか止まればいいのに、と思う。

私は今、本当にたくさんの人にまた支えられながら、

たくさんのことを教えられながら、生きています。



わからなくなったら、千年以上生きてる「木」にきこう。

人間は、どうしてこうも、「急ぐ」のでしょうか?

Sun and Moon

24/07/2009

今月16~昨日まで、日本では46年ぶりの皆既日食だったね。次は26年後。日本にいたなら、何がなんでも奄美大島か屋久島に飛んで泊り込みでみたかった。たったそれだけのためだけでも今日本にいないことを惜しんだ。だって、太陽と月の、大事な大事な瞬間。太陽はすべてのいのちの存続に絶対的に関わる一番の存在。太陽は火。火は男。月はいのちが生まれ逝くその流れをつかさどる一番の存在。月は水。水は女。ああ。この目でみたかった。今回のは アフリカからは見えないのです。最近歩きながら思ったこと。なんで、木の多くは「緑」の葉っぱをつけるようになったんだろう?(赤い葉っぱがあるのも知ってるけど、多くは緑でしょ?)紫とか、黄とか、そんな葉っぱではだめだった理由ってなんだったんだろうな。花が引き立つためだったのかなあ。どちらにしろ、その理由は、他のいのちと深く関わっているのだろう。それで、なんで空と海は、青に見えるんだっけ?確か、科学的根拠があるらしいよね・・でもあまり覚えてない。その理由がどうこうということよりも、私の目からはただ、あの深い青にみえるそのこと自体が不思議で素敵で、何故かうれしい。ただ、そういえば、青と緑って、私の一番好きな色だったことを思い出した。それも、緑のような青、青のような緑、珊瑚礁の海の色、ターコイズブルー。あの色が好きで好きでたまらない。Look at the sky,It's a color of love.  ~ Sade ~

忘れられた人間の記憶

14/06/2009

これは大変だ。突然私の頭の中に思い浮かんできたこと。世界中の先住民を知りたい・繋がりたい・守りたいとずっと感じ続けてきたことやわたしたちの母なる自然と繋がっていたい・守りたいと感じ続けてきたことのその二つは理屈としてなんだか違うフィールドの話だと自分自身で思い込んでいたのだけどだから、どちらかしか選べないとかなんとか 固く考えすぎていたのだけどなんだ!それって、イコールだったんだ。先住民を守ることは 自然を守ることであり自然を守ることは 先住民を守ることでもあったんだ。(これはほんとうに個人的な驚きの話です。以下長くなりますので注意)わたしの中の何が一体こんなに「先住民」に引き寄せるのか。謎だけれども、どうにも私の細胞すべてが叫ぶようなかんじなので それに素直に従っている状態というか。去年の暮れに不思議な出逢いがあり、とある人に初対面でいきなり言われたことも気になる。「あなた、前世がどこかの国の部族だったみたいね」・・・・・それが事実なのかどうかは別として、やっぱり不思議だ。アメリカンインディアンの教えの「7th GEBERATION」。何か行動を起こすときには自分の7代先の未来まで考えて行動を決めるという。VISION QUESTの話・ナバホ族の一員となったGOROさんの話・・・オーストラリアのアボリジニの精神性を表すソングラインとアートの美しさ・意味やWALK ABOUTのこと・Storen Generationのことカナダのイヌイットのハイダ族の絵の素晴らしさ・星野道夫さんから学ぶ彼らの暮らしや精神性ハワイの先住民が大切にしてきたカヒコやチャント・ヘイアウのこと・水の神や風の神・・自然に対する言葉が何百とあるその繊細のこと・日本との類似点・愛の深さ日本に暮らすアイヌのお話・差別から脱出してアイヌを誇りに思う若者たち・アムネスティがとりあげたアイヌの音楽・アイヌの伝統的なアート・イヌイットとの繋がり・・・・など話し始めればきりがないのだけれども今の 狂ってしまった世界にこそ 先住民から学ぶことが 本当にたくさんあると強く感じるさらには 彼らの芸術性のすごさといったら 本当に感動する唄の意味や 楽器の深い音 アートの奥深さや伝統 そこから伝わってくるメッセージその彼らが何故にそんなに 無視され差別され続けるという 現実があるのか世界中が資本主義に前ならえ になって その社会に”適合できない”と勝手に印を押された彼らは 排除され 教育の機会も少なく 仕事もなく それゆえ 貧乏・犯罪 が増え そして また溝が深まるそして彼らの持っている素晴らしい精神性に気付こうとする人は もちろんいない。という悪循環 も一つの原因世界は「同じ」にならなきゃいけないのか?「違う」ことが美しいと私は いつも おもうけどわからない なんで?そういえば第二次世界大戦後から現在まで戦争をしていない国が6ヶ国あります。それがどこか知ってますか?日本・ブータン・スイス・フィンランド・アイスランド・ノルウエー だけです。ブータンはその中でも本当に素敵な国ということを 最近知った。とても穏やかで みな笑顔で お金を使う理由もあまりないのでみな平和に質素に暮らしていてGNPではなく GNHを追求しているというグロス ナショナル ハピネス Happiness!!らしい。 素敵。 そのブータンの若者たちはとても勤勉なようで、あるドキュメンタリーでいっていたけれど「第二次世界大戦後、先進国がこの60年追求してきた科学・経済・様々な便利なシステムすべてが 人の”本当の幸せ”をもたらさなかったことはもう明らかで誰もがわかっています。日本は本当に素晴らしいほどうまく経済発展をしましたが、それが日本の何を失い犠牲にした形の発展であったかもみなさん本当はわかっていると思います。ですから、私達の国は”近代化”はしても決して”欧米化”はしません。」とても勉強になるドキュメンタリーだった。日本はどこに向かいたいのだろうか。もう、資本主義でもなく、過去の誰もが知らない新しい社会をつくるしかこたえはないような気がするテクノロジーも近代化も便利になることも それは人間の持つ創造性で 否定しないだけどそれを、どう使うのか というただそれだけのことが地球を破壊することにも 地球を守ることにも どちらにも繋がる人間はそれだけのチカラを持ってしまった。その舵をとるのは、ひとりひとりのこころであって政治や国のキャンペーンがするのではない。大統領だけに期待して何になる?もしも自然の話すことばをわたしたちが聞こうとしたならば 間違いは決しておこらないそんなことは当たり前すぎて 先住民たちは特にそれを言葉にはしていないけれども、彼らは生活・文化・芸術・社会などのすべてを通してそれを表現している。わたしはそれにひどく感動しだから、最大の敬意を持って、彼らの精神性の素晴らしさを伝えたいと思う。人間が言葉を持たされた理由のひとつを私は自分の人生で全うしよう。そう、自分のこころに深く誓った、あるガーナの一日が、今日も平和に過ぎる。

今日のきもち

24/06/2009

なんも ないところに

すべてが あるから

いってみてごらん?

いいから今すぐ いってみてごらん?

そんでおもいっきり 感じてみてごらん?

みどり 守りたい

18/05/2009

5月18日。アクラ全体がまた停電開始。さっき4時間ぶりに復帰。でも油断は禁物。いつまた止まるか不明。夜は特に困る。昨日は9時間止まってた。噂によれば、この時期は去年も毎日停電だったとか・・ろうそくがあるから、自分はなんとか我慢できても、何が嫌かって、冷蔵庫の中身。牛乳・卵・バター系の乳製品はとても高いので、これらが一気に腐ってしまったら、泣きます。もちろん、多めに作ったばかりの野菜炒めだって、このまま一日放置すれば、全部だめになります。大好きな果物もすぐにいたむし、保存してた野菜も全部すぐに使わないといけなくなる。というわけで、私の家計簿を脅かすのが停電というわけです。もちろん水か出なくなったら、今以上に大変なのですが・・それはまだ大丈夫なので助かってます!ところで最近毎日心配せずにいられないのが、アクラ市内のひどい公衆衛生状態です。日本もかつてそうであったのだろうけど、経済発展に猛突進、ものすごい勢いで公害がやってきそうな感じです。毎日持ち歩いてる手ぬぐいで鼻を押さえて歩かなくてはいけないほどの悪臭やそこら中でごみを何でもかんでも一緒に燃やす為に出る黒い煙と有毒ガス。これに関してはガーナ特有かもしれない。私の好きな雑誌で、ナショナルジオグラフィックというのがあるんだけど、その雑誌がもう去年くらいの号で書いてました。世界の都市の中でも、第一・二を争う最もこれから数年以内に「公害都市」として汚染された街になりそうな場所として、二つのうち一つがここガーナの首都アクラでした。。一番の原因は、先進国から大量にやってきた捨てられたPCや電子機器を街中でがっつり燃やしてること。内部にある導線などをとって売るためのようです。そのときに出る有毒ガスは、明らかに人々の体を蝕んでいます。同じアクラ市内なので、私も風に乗ってやってきたその空気を吸っているかもしれない。その電子機器類のことについては、先進国の態度・責任も多いに関係あると思う。でも、それ以外にガーナの国民でまずできることだって、あると思う。ガーナ人はとても家の中を綺麗にするし、自分のシャツにはきっちとアイロンかけるような綺麗好きなのに、外の道路にはごみを捨てまくります。大人がするのでもちろん子どもや赤ちゃんまで、バスの中からポイ。外に少しの公共のごみ箱はあるけど、あんまり意味がないくらいに、ひどい。とくにバスステーションやマーケット内。そして一番悲しい光景が、川。憩いの場所になりそうな貴重な川は、人々にとってはごみ捨て場、兼トイレ場所という意識のようで、もはや黒い沼。。べっとりとしたその川は動いておらず、真っ黒な色の上にごみが無数にのっかり、ハエがたかり、すごい臭い。そこに数人の男性が降りていくのを目にする。つまり、用を足しにいくのだろう。なんで?悲しい。本当にどうしようもなく悲しくなった。ここには本当に貴重な素敵な資源がたくさんあるのに、首都アクラだけが何か盲目の動物かのように何かに突進してる。発展や変化は決して悪いことじゃない。でも、自然を壊すことでしかできない発展なら、それは必ず間違った方向にいくことになる。それは、先進国が実証済みのこと。たくさんの人が公害で苦しんだはず。資本主義社会や経済の仕組みが原因で私達が失ったものや、今の温暖化がすでに一番弱い人から脅かして苦しめてることも。いつか、その反省と二度とそれと同じ道を歩む国がないようにと祈る気持ちを、うまく英語にしてガーナ人の人と話してみたい。先進国が犯した過ちとは何か。それにガーナの人々の公衆衛生への考え方も含めて。それは、この2年以内の密かな私の願いの一つでもあります。今日歩いた散歩道には、ガーナ特有のとても綺麗な花や草があって、歩くたびに座って写真とりたかった。(カメラ忘れてたからとれなかった)一つ私のお気に入りのピンクの花がたくさん咲いてた場所があって、でもそこの目の前は富豪向けの豪邸が建設中で、使用されなかった木の棒やら何やらがその花の上に捨てられていて、アイスクリームの袋も、水の飲んだあとの袋も、たくさん捨てられて、その間からそれでもその花は綺麗に咲いていた。その横にある川はまた、同じように真っ黒で、すごい臭いがして、息を止めて歩くしかなかった私は、涙がでそうな気持ちで、歩いた。家で出るごみの分別は全くなく、回収されたあとは誰かがいっせいに燃やしてるようでそのときに出るすごい黒い煙のことについては、誰も気にしていない。あるガーナの知り合いと話してみたら、「燃やさずに悪い臭いが漂ってるほうが病気になっちゃうよ。だから、燃やすのはいいことだ」といってた。もちろんね。でも、その煙で人々が公害病になって長く苦しむかもしれないなんて、やっぱり想像してなんて難しい話なのかなあ。燃やしたいからこそ、未来のためにこそ、みんなが苦しまないためにちゃんと分別してるんだよ、と言うと、「日本とガーナはすごく違うねー」くらいの返答だった。ああもどかしい。私、まだまだです。とにかく、ガーナ政府に、もう少し公衆トイレについても考えてほしい・・本当に、外にはトイレが 「ない」 んです。一度家を出たら、もう覚悟。途中でいきたくなっても、そこらへんで貸して!というわけにはいかないのです。もちろん高いレストランとかに入って食べればトイレ持ってるし、いけるけど。ガーナのみんなが使う普通の屋台の食べ物屋さんはトイレなんて持ってない。つまり、貸すけどお金とるよ、ってとこが多くて、そんなの嫌だから、外でするというわけで。なんでお金いちいちとるの?って、やっぱり水代もかかってるからかもしれない。マーケットの人ごみの中、溝があれば子どもたちはそこでします。海があればそこで大人の男性が大きいほうをがっつりしてます。(なので海辺は臭う)海でしないように、というTVコマーシャルまで流れてる始末です。公衆トイレを作ると、そこに誰かが住んでしまったり、治安の面でも、またいろいろと問題が出てくるのであろうけれども、そこを何とかみんなで話し合って、何か対策を練らないと、このままでは本当に、まずい。状況です。改めて公衆衛生の難しさを考えました。でもゴミに関しては、ちゃんと分別すれば有毒ガスは減るかもしれないし、そこらへんに捨てることだけでもみんなが止めたら、ハエの数も減るかもしれない。そしたら、子どもが不衛生でかかる病気も死亡率も減るかもしれない。去年の末にガーナの大統領は新しく選出されましたが、大統領はどうお考えなのでしょうか・・・どんなプランを練っているのか、とても知りたい。まだ残っている、ここの素敵な緑や風景を、守りたいです。

I believe power of music

28/05/2009

仕事がない休日に、最近始めた習い事。Xylophone。木琴です。それもこれも偶然の出逢いからなるもので、やはり人生は不思議、です。マリンバ。昔小学校の音楽の時間に、音楽室においてあった木琴。あれのルーツは、アフリカです。鍵盤のところが木の板なのは一緒だけど、下の長い筒が、アフリカではひょうたんなの。すごくかわいい。そのひょうたんの中の空洞で、音が共鳴するいうわけ。それよりも遠い、昔には、土を掘った穴の上に木の板を置き、それを叩いたことが始まりだといわれているようです。何がいいかって・・・とにかく、その自然の織り成す音が、吸い込まれるほどに気持ち良く、永遠に聞いていたいような時間が、ゆーーーーっくりと流れる。なんともいえない、その気持ち。カラダに素直に染みこんでいくような音って、たとえば何があると思う?海の波。滝のしぶき。川の流れる小さな音。風が葉っぱを鳴らす音きっと、私にとっては自然の音がほとんどで。大好きなピアノやアコースティックギターでさえ、かなわない何か?がある。楽器の音、のように聞こえない。 なんというか・・「生きている木」が奏でる音なんだなあ・・と素直に思えた。私の先生は SK Kakraba Lobi 、SKと呼んでます。ガーナの北西部、普通の農家に生まれる。叔父が有名なXylophone playerだったこともあり、めきめきと能力を伸ばし特別に指導を受けるために首都アクラの学校に通う。そしてすぐに認められ、ついにはアクラの大学「The international center for African Music and dance at the University of Ghana-Legon」の講師として招かれ指導を始める。現在は個人的指導のみ。他は、Hewale Sounds というガーナ・西アフリカ伝統音楽のバンドで活動中。ちょうど、今月25日に、African Union Day という大きな祝日があり、今年はエジプトでMusic Festivalが開かれる。そこに、招待された!みたいで、現在エジプトに渡航中。世界の共通言語である「音楽」に触れるということは、少しだけ早く、Heart of AFRICAに触れられるきっかけにもなり得るわけで。SKとのレッスンを思い切って始めたことは 本当に良かったと思う。不思議なくらいに、そこからいろんなことがまた繋がり、広がった。レッスンの場所はDubois centerという場所で、そこにたどり着くのだけでも初日は大冒険だった。そしてたどり着いたそこは、African Culture center として、いろんな ガーナの伝統的な芸術や文化を残していくためのセンターであった。そんな場所を知れただけでもかなり嬉しかった。ただ日々を過ごしているだけでは、こういう場所があったことさえも知らなかっただろう。やっぱり、アンテナに従って動くことは大事。早くついたので、敷地内にあったレストランにいってみると一人の若い女の子スタッフが朝の掃除してた。そこのDubois Museumにいってみたら?と勧めてくれた。「Duboisさんの銅像がそこにあるでしょう?彼がどういう人だったかわかるよ」確かに。なんだかとても知りたくなって、銅像の方に行ってみた。そして最初に見つけたのが、その近くにあった小さな・立派な建物の入り口にあった言葉であった。それが上の写真に載せてあるもの。読みながらなぜか 鳥肌 がたち正しい場所に着たということを 知らされた 気がした。これはゆっくり見るべきだと思い、入るのは2回目のレッスン日まで延期することにした。小さな感動を覚えつつ、初レッスン開始。教室はもちろん青空教室。外です。大きな木の根元の木陰のあたりです。鳥の糞も普通におちてきます。でもこれがまた最高で。。時間を忘れるような瞬間でした。もちろん私の重大目的の一つである「文化・伝統」を知るための紐解き のためにもたくさん質問したし、初歩的な知識を少しずつ教えてもらった。どの部族がこれらを使ってたのか。どんなときにこれを弾いていたのか。これよりも古いやつにはキーも何もなかったことも、、多分入り口にも立ってない私にはもう時間が足りないくらいにさえ感じた。知りたくて知りたくて。夢中で弾いていたら「Do you like music?」と聞かれた。・・・・・・!音楽が好きかって? 今、好きかって、聞いた?嘘でしょ。あたりまえでしょ。そんなこと、久しぶりに聞かれたので、アホみたいにどう答えようかと戸惑った。だって、好きとかいうレベルじゃないくらいに私は音楽を愛しているし、音楽の力と愛を信じてる。でも普通に答えた。「どれくらい愛してるか説明できないよ!」そしたら笑ってた。ひとまず初日レッスンが終わり。帰ろうとしたときに、さっきの女の子が「名前なんていうの? アダンフォ(ともだち)になろうよ!」なんか嬉しかった。こっちきてからというもの、肌が黒くない人種(オブロニと呼ばれる)として歩いていると どうしても「MONEY」の看板を背負って歩いているようなイメージで笑顔で話しかけてくる人の目的にはやはり何かを買ってほしいからであったり子どもたちでさえも最後には「Give me money」になるわけでまるで 私はここでは 本当の友達なんてつくれないんじゃないかと悲観的になってしまうくらいにそれは私のココロををじくじくと静かに、とても小さいけれど、何度も突き刺していた。わたしたちはすぐに電話番号交換した。彼女の名前は ポーシャ。 きっと また来るからね!そして2度目のレッスン日。また早く着いたので前回に決めてた Duboisさんの記念館を訪ねた。彼の父親は白人、母親はアフリカ人だったようで、まだ幼い頃に家族でアメリカに渡り、黒人の血を持つ者としては初のハーバード大学博士号卒業その後の人生をすべてアフリカのために費やしたような人で アメリカの有名な雑誌のCRISISでの執筆業や作家などの道を経てヨーロッパなど世界中で行われていたアフリカのための会議などに重役として就任。当時のガーナ大統領、Nkruma大統領はDuboisさんと同じように 物事の見方が優れていたようで 2人はとても仲が良かったそうだ。ガーナでの活動中に老衰で亡くなられたDuboisさんに、Nkrumaという同じ名前が授けられていた。初日に見た小さな立派な建物は Duboisさんの棺のある館だった。その棺を目の前にして立ち尽くしていたときにSKから突然電話がなり 「もう来てるよ」と催促されその日はそこでDuboisさん記念館をあとにした。今回はSKと、もっとじっくりといろんな話をすることができた。そのきっかけは、私がかねがね思っていたことを素直に話したことがきっかけだった ように思う。「こういうガーナの素敵な部分(もともとある音楽、Xylophoneとか伝統ダンスとか)こそを守っていってほしいと思う。 まだ1ヶ月ちょっとしかここをみてないけど、なんだか人々は(特に若い人)もう伝統とか、ガーナの美しい部分を忘れてしまっている気がするよ。」私は別に「伝統=美しい」と言っているのではない。伝統だからいいとか、現代のものは悪いとかなんて思ってない。伝統でも変えるべきものはあるし、現代のものでも良いものはある。ただ、Xylophoneに関しては、明らかに美しい伝統・文化であると思ったから、素直にそれを伝えた。私は、音楽の力を本当に信じている。多くの人々のココロを揺さぶるということを 簡単にやってのけるからである。それは、政府や大統領にだって、難しいこと。なぜ、音楽にはそれができるのか?資本主義の世界などに生きていない、普遍的な世界の言葉だからである。それは最も原始的jな魂の言葉で、宇宙のことば。 ガーナの子ども達の目には今、何が映っているのだろう?最新の携帯?車?ビル?私なんかより 遥かに音楽とリズムのセンスをDNAレベルで兼ね備えた アフリカの子ども達たった一人でもいいからSKのXylophoneをみて 自分の能力を信じて生きていこうとする子や音楽の力を感じられる子やそれによって本当の意味で生き生きと輝く子が現れるといいな と勝手に妄想。私が一生懸命伝えた半分は思いが通じたようでSKはわかってくれたようだった。多分、その日からいろいろと話すようになれた、と思う。そして次の休みの日。話してた「ガーナの伝統ダンス」を見せてくれるということで連れて行ってくれたのがSKが講師をしていた大学と同じ大学。そこで出逢ったダンサーたちは完全なるプロだった。「ガーナ・ダンス・アンサンブル」といって、ガーナで唯一このグループだけが、ガーナ政府から支援を受けている、ナショナルグループだった・・・!海外や国際的なステージで活躍してる、プロ中のプロ。そこらへんのステージでは見れないだろう。。貴重な機会!嬉しかった。SKがそのグループのドラマーやダンサーの数人と親しい友人であったから来れたわけで。練習風景を少しだけ見させてもらったのだけど(もちろん写真禁止)、すごい。   の一言。私も踊ってたからわかるけどNo-stopで「本気」で踊った場合、5分でもものすごい運動量なのだけど彼らは普通に20分くらいは踊り続けていた。そういうのを朝から晩までする。本当にものすごいパワーがダンサーたちの体中から発していて あまりの感動にまた 鳥肌。やっぱり 人間の体全部を使って表現するって すごく 「真実」。「気」が 立ち込めていた。途中のまち時間にピアノの音色が聞こえてあまりの嬉しさに 「いいなあ、私も弾きたい!」その音楽室らしき部屋には 壊れたピアノが2台と黄ばんで茶色くなったピアノが1台 あった。ドの音を出してみた。ドレミファソラシド の音を出してみた。ああ。なんて幸せ。ピアノの音、本当に大好きだ。 楽譜、持ってくれば良かった。伝統文化の中でも音楽やダンスからどうしても目が離せない。日本文化の中でもそう。念願のサンシンを始められたことについては本当に今でも感謝していてまさかガーナの副大統領の前で私のつたないサンシンをお披露目することになろうとも思ってもおらずなんとも幸せな瞬間であったかと、思う。 日本のココロを誇りをもって伝えたい!広島のサンシン教室の先生やみんなに出逢えて真剣に楽しく練習できたからこそ、こんな機会に出逢えた。それに、今回の同期ボランティアのみんなと一緒だったからこそできたこと。だからみんなにも本当に感謝。きりがないほどの アリガトウ が ある。今、ここに 在る ことに 感謝。それを 常に思い起こさせてくれる 音楽にも 感謝。I believe the POWER OF MUSIC, LOVE OF MUSIC.......!  

目にみえないもの

30/05/2009


目にみえるものは 私を一切満たさないということは 

ずっとずっと前からわかっていた

でも目にみえないものを欲することさえも 

間違っているのだろうか

それはあまりにも辛すぎて 時折 泣きたく なる

信じても信じても 裏切られる場合はどうしたらよいのでしょうか

人を疑うことを始めるべきでしょうか

それはできない

私らしくないから

希望さえ捨ててしまえば 苦しくないのだけれどそれは できない。

私のルール  自分にも嘘をつかない

に反するから

そんな日にはいつか 私が 書いた、私を支えてくれているすべての大切な人を想い、書いた詩を自分にもおくろうと思い、ここに書きます



“Everything is connected”

Sun is always shinning for you.

Tears make you change “Beautiful”.

Look into the sky

With a shinning star.

The moon I will see is 

Same as you will see.

Do you know how it makes me be strong…?

Cry until you smile.

Laugh until you cry.

Feel your life.

Free your soul.

Nothing can rob your

Spirit, soul, strength

And Love.




すべては繋がっている という宇宙のルールをいつも感じていたくて それを題にした



太陽はいつもあなたを暖かく照らしてくれる

涙はあなたを美しく変える

あの空に輝く星をみて

私がみるだろう月はあなたがみるだろう月と同じ

それがどんなに私を強く支えてくれているか・・・

泣こう 笑うまで笑おう 泣いてしまうまで

あなただけの人生を感じて

魂を解き放って

あなたから何かを奪うものがあっても

あなたの魂や精神や強さ、

そして愛を奪えるものはない

あなたのいのち いただきます

10/05/2009

10日。日本では母の日だね。
私がだした葉書はいつ両親に届くのやら・・・
こちらは日曜日、ガーナ中のほとんどの人々はキリスト教信者なので、どこの教会も人々で埋め尽くされ、ゴスペル&説教の日です。
教会へは皆、正装です。ガーナドレスをたくさん見ることができます。本当に綺麗で美しい。
ゴスペルは最高です。リズムはここで学ぶのかというほど盛り上がります。私も以前行きましたが、いろんな意味で感動。これについても必ずかきます。

今日は、「食」について。今は一人暮らしが始まっているので、好きな米を炊き、野菜を炒めてたべてる。ガーナの伝統料理やレストランではあまり野菜が出てこない。
でもガーナではオクラがとにかくたくさんとれる。なのでそれと、トマト・なす・きゅうり・にんじん・たまねぎ・缶のシーチキンなどをにんにくで炒めて、パスタ用のトマトソースであえて食べたりしてます。
缶のオイルサーディンもいける。日本から持参した醤油でいためたらむっちゃおいしい。あと、ひじきも持参してたので、それで米を炊いた。でも米は日本のが一番だね。


今日のお話はいのちをいただく ということです。着いてから2週間ほどのホームステイフ゜ロク゛ラムがあり、とある家族にお世話になったのだけど、それが本当に貴重な体験だった。
ガーナの一般家庭ではやっぱり炭水化物がメイン。とうもろこしの粉を練ったもの、いもの粉を練ったもの、プランテインというバナナの仲間をゆでたり揚げたり、ヤムといういもの仲間(でかい)をゆでたり。
それにシチューなどをつけて、手ですくって食べる。
そのシチューには、チキン・魚・カニ・牛の足や内臓・オクラ・たまねぎなどをいれ、パームオイルやとうがらしやいろんなスパイスをいれてぐつぐつ煮込む。私の苦手は「アフリカンマイマイ」=スネイル(大きいかたつむり)。それも入ってたけど食べられなかった。
もっと北部の方では、こうもり・ねずみが入っていたそうで。ハードです。

料理は大体外で行う。
そしてそれは常に女性の仕事である。家族には大体、親戚の子どもなどがいたりする。
そうすると、子どもの仕事になる。

子どもを育てられない親は、育てる余裕のある親戚に預けるということは、西アフリカでは普通らしい。
しかし、そうなってやってきた子どもたちは、メイドも同然の扱いを受ける。
私にはそうみえた。けれどそれも普通だという。

私にチュイ語を教えてくれたTwbaは21歳の女の子。彼女の父親はもう10年以上前に亡くなったから。だからここにきた。そういってTwbaは笑った。

ホストマザーのGiftyを” Anti Gifty ”(Giftyおばさん)とよんでた。Giftyは何をするにも、ものすごい剣幕でTwbaにさせていた。
それが普通なのかもしれないが、命令を超えた怒鳴り方のようにみえた。

食事は子ども達は外のテーブル、両親は中のテーブルで、一緒に食べるところは一度も見なかった。
子ども達は全員で5人いるので、皆学校や仕事から帰った順に料理を一緒に協力してつくる。特に週末は伝統料理。多めにつくる。

その中で一番、身動きとれないほどの初体験だったのは

「生きたにわとりの解体」。

路上のマーケットにしても、人々の一瞬の表情にしても、ただの風景にしても、ほんとうに撮りたいものこそなぜか、写真にはおさめられないでいる。

それは余地できないときに 急にやってくるしそのことを自分の目で焼き付けるのに精一杯でとてもカメラなんて向けることのできないほど価値のある瞬間だったりするから。
そう。だから、自分の目でみることや 自分の足で歩くことや 自分の手で抱きしめることが大事なんだね。
もう二度と戻らないその瞬間を生きてるって感じられるコツは、そこにあるのかな?

家族みんなで、カネシマーケットというものすごいローカルなマーケットに出向いた。
ごみも食べ物も人も子どももごった返しの、一面に広がる茶色いその風景。
方角もわからなくなるほどの迷路のような細い道。

そこを荷台いっぱいに水のタンクを積んだ商人が無理矢理通ろうとし、お菓子売りのおばさんのお菓子にぶつかりそれぞれ大事な商品であるお菓子、タンクがばらばらとこぼれおちた。
そして喧嘩が始まる。
お前のせいだ、あんたのせいだ、と・・・・そんな中を、左のオクラにぶつからないように、右のトマトにぶつからないように注意しながら、カタツムリや魚にむらがるハエをよけながら、高く積まれたゴミの山にお見舞いされないように気をつけながら、スリにあわないように気をつけながら、歩いた。

すごいエネルギーがいった。

そこでGiftyは大量の魚をバケツにたんまりと購入。値段交渉の仕方は、女王並み。さすが。 恐れ入りました。。

生きたにわとりも、ガラスケースに入れられて人々の頭のうえで売られていたり、路上では足だけをひもでくくりつけられ生きたまま、そこらへんにたばになって売られている。
そこから2羽購入し、家に持ち帰った。


まず、長男のジョシュアがにわとりを押さえつけ、長女のグロリアがにわとりのくびに包丁を入れ、いのちを絶つ。

血を流す。

そのときのにわとりの痙攣の様子が、脳裏に焼きついて今でも離れない。

そしてすぐに次女のアジョコがいる大きなバケツに放り込む。

そこでアジョコがすごい手馴れた手つきで羽をきれいにむしっていく。

まだ血が少しでているので、そのバケツには少し水がはってある。

むしったら、またグロリアがそのにわとりを手でつかみ、コンロの火で少しあぶる。

そうすると、産毛までとれるし、骨も折れやすくなって、あとで解体しやすいからだそうだ。

あぶりおわったら、グロリアはそのにわとりの首を ぐわっと ひきちぎり、頭だけ、また違うバケツに放り込む。

その後、チュバとグロリアで解体開始。

まな板と包丁で足や羽あたりをがっつり切っていく。

足の爪だけは丁寧に切って捨てる。

その後、ひきちぎった首のあたりから下の胸のところに「W」の字を書くように、包丁で切れ目を入れる。

ここはポイント。

そこで包丁を置き、手をその切れ目に入れ込みいっきに体を二つに引き裂く。

この瞬間もまた、すごい瞬間であった。

そうすると、卵がでてきた!!!すごい。。。

その後、みんなのすきな内臓部分や捨てる部分を綺麗に分別。

あっという間の解体。

気付いたら、いつもスーパーでみていたような、むね肉やささみや骨付きのチキンたちがいた。

まさに、いのちを、いただいた

私にとっては、そんな瞬間だった。

Giftyは私が写真をとらなかったので、驚いていた。

そして笑っていった。

「 That’s AFRICA.」

これができなかったら、ここでは母親になれないのか?ときいたら「そんなことないよ。やっぱりできない女性もいるから。母親になれないなんてことはないよ」

はあ。。

人間もまた動物であり、動物のいのちをいただかなくては生きていけないのだ。

あたまではわかっていたけれど、そのことをカラダで味わうということとは全く カラダに残るものが違う。
ここで生まれていたら、私も普通ににわとりを解体していたのかもしれない。

現代の日本という国に産まれたから、私はそれをしてこなかったけれどやはり、目の前でいのちをいただいて、目の前で食すという行為をしてみて、はじめて感じることが、ある。

その晩のシチューには、さっきのにわとりがおいしそうに浮いていた。



いただきます。



その一言の重みは、わたしのいのちの重みと同じなんだ。

Birthday 31years

29/04/2009

アクラ。

今日は雨。

一人暮らしが始まってから何日たっただろうか。

オーナーやセキュリティのみんなと少しずつ仲よくなってきた。

朝出勤前に必ず挨拶していく。「マーチェ、ミ コ エシ゛ュマ、オチナ~」(おはよう、働きにいきます、またね~)

そしたら、今朝は「コ フ゛ラ!」といってくれた。

なんかほわっとして嬉しかった。

たったそれだけのことが。

コ=行く、フ゛ラ=来る なので、つまり、行って帰り~ってことなんだよね。

遠い昔、私がまだ小さいころ、出かけるときにおばあちゃんに「行って帰り」と言われたことを思い出したの。

母に聞いた。「なんで、みんないってらっしゃいっていうのに、ばあちゃんは”行って帰り”なの?」って。

「行ったままじゃなくて、ちゃんと無事に帰ってきなさいねってことなのよ。本当はそう言うほうがいいね」

なんかこころの中が、ほわっとした。

こういうのを、あったかい というんだろうなあ・・そんなことを 想い、じんとしながら、朝の道を歩いた。

そういえば誕生日の朝、なんとも小さな、でもとても不思議なハプニングがありました。

毎朝、私はここガーナのメインの交通手段である「trotro=トロトロ」というバス(今にも爆発しそうな壊れそうな中古ワゴン)に乗って出勤している。

そして、赤信号で止まると、いっせいに物売りの人達が車のまわりに集まってきて、いろんなものを売ってくれる。

これは、ここではれっきとした商売・職業?です。主に食べ物・水・お菓子・果物、そして、ハンカチ・地図・おもちゃ・・何故かベルトや下着や靴磨きセット・・・あらゆるもの全てが、頭の上にのせられて運ばれてくる。
これについての驚異的なバランス力はまたいずれ書きたいと思う。

とにかく、その日もいつものように、物売りのお兄さんがやってきた。

31歳の、わたしの物語がまた始まる。すでにいつもの見慣れた風景をみながら、うわの空で私は彼の動きをみていた。

その日のトロトロには母親と赤ちゃんが一番前にいて、そのお兄さんは突然おもちゃを取り出し、音を鳴らした。


その曲は偶然にも「Happy Birthday to you, happy birthday to you ,,♪ 」


あとにもさきにもこれが最初で最後じゃないかという確率で・・今まで一度もこんなことなかった。

たったそれだけの偶然が、その軽いおもちゃの音にか、そのお兄さんの大きな無邪気な笑顔のせいか、何故かふいに思わず涙が一粒、うっかりおちてしまった。

なんで・・・・なんで?

左隣には人がすわっていたので、私は右をむいて涙をぬぐった。

そんで、また前をむこうと思ったのにまたこぼれおちてきて、なんでだろう?

限りなく自然に、ぽろぽろと・・・・・・。

車がすごいスピードでまた走り始めてくれたから、よかった。

目立たないようにぬぐって、私はまたまっすぐ前をむいた。

強い風がそのあと乾かしてくれた。

昔からそう。

一粒でも涙を流したあとは、少しだけ、目の光が強くなって少しだけ、目の色が深くなってそんな気がするから

それで何故かすっきりするから泣くことは、、きらいじゃない。

その日仕事場にいたValleryとRoseがBirthday Song歌ってくれた。

仕事のあと、協力隊仲間のいくちゃんとみわちゃんが、たくさんのご飯をつくってくれて、うちに来てくれた。

両親と姉からお祝いのメールをもらった。

たくさんの大事な友達からメールをもらった。

海外にいる、大事な友達からも・・・・私が今たっていられる理由はそこにあって逆をいえば、それがなくては私は今、たっていられなかった。

そのことをアフリカでもやはり同じように感じる。

きっと、隣にいたあの女性も、あのお兄さんも、みんな、同じように大切な人がみんなそれぞれ必要で

じゃなきゃ、人はなんて弱いんだろう?

でも、涙なんて枯れてしまうかのように、ここは、


人を「生きさせる」。

Mama Africa

03/18/2009



23日。アフリカ、ガーナへ旅立つ。

ずっとずっと、何年も想い続けた、アフリカ。

とうとう、このときが、きた。

”アフリカの水を一度飲んだ者は、また必ずアフリカに帰る”

そんなどこからか聞いた言葉を思い出しながら、期待と不安と覚悟と希望が入り混じった、妙な気持ちをコントロールしつつ、準備をする。

昨日、ご先祖様のお墓に母と2人で参った。

墓石にはいつものように、3人の影がうっすらとあり、私はいつもそれを見て帰るのが習慣だった。
昨日もまたそれを見て、安心して帰った。
仏壇にも参り、おばあちゃんの写真をしばらく眺めた。
そのあと、シュタークのお墓に一人で行き、掃除を始めた。
山の中のうちの畑の中にあるので、また草がたくさん生えていた。
最初にくわで草の根っこを掘って、綺麗に土をならした。
綺麗になったその土を見ていたら突然胸が苦しくなって、涙が溢れてきて、苔がにじんで見えた。
どこに草があるのかわかないくらいにぼとぼとと涙がこぼれ、それでも掘り続けた。
かわいいシュタークにぴったりのお花を母が買ってくれてたので、それを飾った。
暑い夏によく私は水をシュタークにあげわすれていたことを今でも思い出す。
真ん中の石にしっかりと綺麗なお水を流し、一つの湯のみ茶碗にたっぷりとこぼれるまで水を注いだ。
そしてろうそくを灯して、お線香をあげるころにシュタークがまわりをぴょんぴょんと飛び跳ねている気がしたのでなんだか安心して、掃除を終えた。
うちの畑や事務所や家を静かに眺めた。
そして家に戻った。

今日は、私の尊敬する、故・星野道夫さんの詩を、書かせていただきたいと思う。
なぜ私が、わざわざアフリカに行こうと思うのか、それを一言で片付けるのは難しい。

「大人になって、私たちは子ども時代を懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になった様々な遊び、今はもう消えてしまった原っぱ、幼なじみ・・・なのだろうか。きっとそれもあるかもしれない。が、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識にもっていた時間の感覚ではないだろうか。
過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁である。
過去とか未来とかは、私達が勝手に作り上げた幻想で、本当はそんな時間など存在しないのかもしれない。
そして人間という生きものは、その幻想から悲しいくらい離れることができない。それはきっと、ある種の素晴らしさと、それと同じくらいのつまらなさをも内包しているのだろう。
まだ幼い子どもを見ているとき、そしてあらゆる生きものたちを見ているとき、どうしようもなく魅きつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。」

「苛酷な自然、と感じながら生きているエスキモーは、おそらく一人もいない。きっと、何と豊かな世界に生きている、と思っているだろう。

見知らぬ異国にやってきて考えることは、そこで暮らす人々と自分の埋めようのない距離感と、同じ時代を生きる人間としての幸福の多様性である。
どれだけ違う世界で生まれ育とうと、私たちはある共通する一点で同じ土俵に立っている。
それは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いなのだ。
そう思ったとき、異国の人々の風景と自分が初めて重なりあう。アラスカを旅しながら、様々な人に出会い、それぞれの物語に触れるたび、ぼくの中のアラスカは塗りかえられていった。

それは、とても一言ではくくることのできない現実の多層性というものである。

偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか、それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった。」

「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。
その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出逢う限りない不思議さに通じている。」

これからのアフリカの生活の中で、きっと私は何度も星野さんの言葉や写真を思い出すだろう。

それから、そうなるであろう他の尊敬する人がまだ他にもたくさんいる。

伊勢崎賢治さんhttp://www.magazine9.jp/isezaki/index.html

土井香苗さん (Human rights watch 日本支部Director)http://www.hrw.org/en/languages?filter0=ja

伊藤 剛 さん(Generation Times 編集長)http://www.generationtimes.jp/blog/2006/11/today_is_my_lifevol07.html


星野さんを含め、特にこの4人の方々に、今、とても私は注目し、そして学んでいる。

私はいつもいつも学ばされている。

不思議なことがもうすでに起こっている。

私が、何か誰かを想い行動したり、自分以外の為に動いたりしたとき必ずといっていいほど、それ以上の学びや豊かさが、私に返ってくるのである。

本当に不思議で、ああ、やっぱりそうだったのか、と思わずにはいられなかった。

そして、その行動の方向性は、一人一人違う。ツールも道も違う。

だから、違って見えるかもしれないが、私もあなたも、同じ道を歩めるのである。助け合う、という、道を。

そしてその想いはすべて繋がっている。

あなたが助けた誰かは私を助けるかもしれない

私が助けた誰かはあなたを助けるかもしれない

ある角度からみたら私は 何ももっていない 

かもしれないけれど、実は私はすでに、とても、貰っている。

目にみえない大切なものを。だから、その角度からみたら私は とても幸せに溢れてる幸せ者だ。

これからも、もっともっと、貰ってしまうのだろう、たくさんの ホントのコトを。

それがいい。私は。

こんな私でもずっと守ってきたことがある。

自分に嘘をつかないこと。

真実から目をそらさないこと。

それから、ずっと信じていることがある。

きっと本当に愛する人と愛し合い、子どもを持ち、その子に伝えたい。

たとえ世の中がどんなに狂っていても、人生は、素晴らしいんだってことを。


行ってきます。ガーナに着いたら、深呼吸をして、覚悟を決めます。

私のまわりにいてくれた、すべての大切な人へ心からありがとう。

Earth - Stage

05/02/2009

今日もものすごい人に出逢えた。
つい10日前にパレスチナ・ガザ地区から帰ってきた桑山紀彦先生。
100メートル先に爆弾が落ちるのを見ながらもガザ地区の友達の家に向かった話、傷ついた子どもたちの心のケアの活動・・精神科医・医学博士であり、NPO法人「地球のステージ」代表理事。
パレスチナや東ティモール、被災地での国際医療支援活動など、日本では医師として診療を行う一方、地球のステージで作詞作曲した歌を歌い、ギターを弾き、自作の映像作品をみせてくれた。
すごい人だった。

ボランティアとは何か。国際協力とは何か。ずっといろんな角度から考え続けて、答えのない問いをずっと続けてた。
固有名詞の旅を、人生を、経験してきてくださいと先生は最後に言った。

先生はもともと国際協力もボランティアも大嫌いな人だった。どんな治療も手遅れで子ども達が目の前で死んでいったときに、もう医師という仕事を辞めようと何度も思ったという
でも、ある一人の子どもを助けることができたときに しぬほど嬉しくてそんな自分に驚きさえもしたと。
ああ、これなのか、と思ったという。
ボランティアとか協力とかいうものは決して人を助けるとかそんな良いものではなくてただ、単に、自分という人間をうつしてくれる鏡なのだとそれでいいんだと。
そうしたら やっと 楽になったんだと。そう思えたから、今でも続けられているんだって。

そして、見てみぬふりを決してしない。それがボランティア・協力の根幹なのではないかと思うと言われました。
とてもシンプルなことだけれども、本当に、そう思う

写真や、ニュースや、ドキュメンタリーをみて泣くことはいくらでもできるでも、そのあとに、それを忘れていくのではなくもしもあなたが優しさを少しでもわけてくれるなら、そのことについて冷静に調べてはくれないだろうか?

ほんの、少しだけでいいから。

「正確に知ろうとすること」それが、第一歩であり、優しさなのだと思う。

先生の友人でもある、ガザ地区の校長先生や、被災地の人々は、つい先月の一時停戦の日に、先生に話したという。
「本当によくきてくれた。遠い日本からはるばるきてくれた君にどれだけ励まされたかわかるか?僕達が一番恐れているのは、毎日この街に落ちる爆弾ではない。世界にこの街の悲劇を忘れられることだ 」

みんな、どう思いますか?

先生は現地の職場の病院で、いつも忘れないでいることがある。自分がどんなに「できる」と思った手術でも、必ず彼らに先に聞くという。
「やってもいいか?」なぜならそこは「彼らの病院」だからだ。
そんな単純なことだけれども、決して忘れてはいけない基本をまた学んだ。
そして、こうしたすべての体験をどうやって日本社会に還元していくのかということも、また学ばされた。
今日は本当に特に濃い日だった・・・・昼は語学テストで、開発のワークショップもあって。これがまたイギリスのNGOによって綿密につくられたもので、世界の貿易のシステム・格差が生まれる過程などを疑似体験するもの。かなり勉強になった。資源がない国がいかに苦しいかがわかった。

そのために、いかに「技術力」と「友好性」と「労働力」で勝負していくしかないかもわかった。
自由貿易が格差を多く産むことも。

ボランティアが突然やってきたときに思った感想としておもしろい意見があった。「誰?あなた、味方?ですよね?」と思った。という意見。うん。私たちが現地についたときに、相手に思われかねない言葉。
私は中級階級の国として動いていたのだけど、自分が一生懸命つくた製品を、先進国の人に安くしか買ってもらえず、安い給料でもいいから雇ってくれと自分から言わなくてはいけない状況が本当に悔しかった。

資源と道具と情報がないだけで、どんどん引き離されていき、気付いたら先進国だけの市場になっていてわたしたちはもう入るすきもなく、何をやっても先進国というブランドだけが優先される世界ができていた。
いろんな角度から見れたこのワークショップ、本当によくできている。資本主義や自由貿易のことをもっと知りたいと思った。

Friday, January 1, 2010

Yes we can

2009/01/06

2008年のテーマは「水」と「アフリカ」、そして「生きろ」だった。

まさにそんな年だったように思う。
それは今後も続く。
だけど2009年新たに重ねる私のテーマとして「Mother Earth」、「先住民の物語」な気がする。
私達の大地と海のお話。 
そして世界の原点回帰の予感。
先住民に関してはずっとずっと不思議なくらいに引き寄せられていた。

ネイティブアメリカンの教えに感動した遠い昔から、アボリジニの精神に出逢い感動した2007年、星野道夫さんの遺した本や写真により知ることとなったアラスカの先住民クリンギットの人々のこと。
それによって繋がりを知ることになった日本のアイヌのこと。

どれも大事すぎて、知ったものすべてを宝箱にしまっておきたいくらいの物語。だけどそんなもの、彼らにとってはほんのほんの一部。
その扉を開いただけで、旅はこれから。
どこまで知ることができるだろうか。

大地と海の物語、それは私達の地球のお話。
私が、愛してやまないもの。
それはあまりにも神がかった その大自然の色や空気や五感で感じるものすべて。自然という芸術作品。
私はそれを目の前にして ただ 涙することしかできない。
ワイメアキャニオンの谷底から吹き上げる風はエアコンよりも涼しかった。
海水の塩分はすべてを清め、病を治し、心を癒し、魂はそこで生まれてそこに帰る。だから塩は神聖なんだね。

なんだかすごく感じたの。ああ、そうだったんだ、って。海が好きで仕方ないのも、どこかでカラダが海を記憶してるからなんだろうか?

森もあらゆる生命を養ってる。海と森は支えあってる。
雨はその森を育み、その森にいる植物が水分を土に溜め、土にいるものが育まれ、それによって育まれる生物が互いに支え繋がって・・・それらによってやっと人間も生かされている。
すっかり養分を含んだ水がとうとう海にたどり着いたとき、それは完璧な ”魚へのプレゼント”。その魚がまた他の魚の餌になり、育てあい連鎖していく。
サメだって海のお掃除屋さんなのだ。必要とされている。
あの美しい熱帯魚は珊瑚がいなくては生きていけない。
私の大好きな色、あの限りなく緑に近い青も、珊瑚がいなきゃみれない。

何千万年?雨によって侵食されたその峡谷を見下ろした。

風の音が、その雄大な峡谷を 静かに優しく、だけどとても速く吹きぬけていった。
雨があがったあとの香りと湿った空気が混じりとても気持ちよくて深呼吸した。ふとみると虹がでていた。

この圧倒的な説得力は何なのだろう。

本当に大切なことを学ぶのに、文字など必要ないのかもしれないとさえ思った。

私達人間がこの自然を支配している とどうやったら思えるのだろうか。
そっちの方が知りたい。

私達が土地を「所有」することなど 本当は永遠にない。

だって大地は私達の母で 私達は子ども。

だから大地が私達を所有しているというほうがしっくりくる。この考え方は沖縄にもある。
アボリジニもはっきりとそう伝えている。

なぜ「自分の土地」と線を引き、それにこだわり 奪い合い 争わなくてはならないのか。
いつからそんな社会システムになってしまったのか。
なぜ助け合い 支えあう 社会システムでは持続しなかったのか。

欲しいばかり、自分ばかり。親子の争いも 夫婦恋人の争いも 友人同士のもめ事も 国同士の争いも地球上の戦争や紛争といわれるものすべて全部、根本は 変わりはしないんじゃないか。

「自分だけが欲しいから」「自分のことを先にわかってくれ」という傲慢さ。

結局、「人」と「人」なのだ。

私達人間という小さな生命を養ってきてくれた大自然が まだすぐそこにあって、たくさんのことを黙って 教えてくれている。

もう限界寸前なくらいに母の首をわたしたち子どもは締め付けているのにもかかわらず。

まるで誰にもその声は聞こえないみたいに私たちはまだ何かに突進し続けている。

もう、このまますべて壊れちゃえばいいのに。

そうしたら、やっとわかるのかもしれないね。


もしも一人一人が耳を澄ませたら?もしも一人一人が少しでもいいから「守りたい」「与えたい」って思ったら?

きっと、必ず奇跡が起こる。

私達の「守りたい」っていう小さな願いの何千倍・何億倍もの恵みを与えてくれる星。それが地球の奇跡。

それは母親の愛情と同じように、どこまでも深く、深く・・目にはみえないほど強く 優しい。

こんな素敵な星って、ない。



その星の上で、今日もまたABC NEWSは報道をする。

「 ・・ハマス側は公式な声明をだしたようです・・”イスラエルがGazaの子どもを殺すなら、こっちもイスラエルの子どもを殺す”・・・ハマス側はイスラエルの幼稚園に爆弾を投下した模様、多くの民間人の犠牲者がでており・・・」


もしも母なる大地が悲しみでしんでしまうことがあったならもう二度と人間なんて誕生しなければいい


だけど やっぱり まだ 諦めたくない。信じたいよ。