Friday, January 15, 2010

What is Volunttering

10/08/2009


ボランティアって何?


ボランティアの語源は「ボルンタス」=「意志」という意味だそうで

つまり「無償奉仕」なんてことよりも

単純に自分の意志がそれをしたいと思う行動 

なのでは?


前からずっと考えてきた。

自分の想いや情熱をどんなふうに表現したらいいんだろう。

ボランティアって、単純に人を助けるとか・・そんな風に捉えられている。

でも私は人を助けられるなんて微塵も思ってもない、逆に私は今でも助けられてばかりだ。

ただ私は 「知ってしまった」ことを毎日の忙しさの中に風化させてしまう自分がこわくて 忘れたくなくて

「繋がり」を実感できる場所に身を置きたいと強く感じるようになっていたのはもう数年以上も前のこと

その方法は人それぞれ違ってよくて、私は今の道を選んだ。

ただそれだけのことだ。



毎日毎日たくさんの衝撃や感動や喜びや悲しみがあって

そうやってここでしか学べない何かを、目にみえない何かを学んでいけることが幸せだと心底思えるからこそ

ここにいる。

だから、ここにこれたこれまでの人生や過程、家族にも感謝している。

表向きは「ボランティア」と呼ばれている位置に偶然辿り着いたけれど

私の気持ちとしては ○○してあげる などとは一瞬でも思ってない。

人のために、国際平和のために、なんて掲げて歩いても こわいでしょ?

そうじゃないの。

大切な何かを感じる場所、私の涙があると感じるところに いつも私はいたい。

ただそれだけなんだ。

じゃあ 私のカラダが今いない場所は大切じゃないの?

っていったらそれは違う。

私の魂は、今までの道を辿ってきたからこそ、「今」があることを

ちゃんとわかっている。

だから、今までに出逢ったすべての大切な人や場所がなければ

今の奇跡もありえないから。だから、順番なんてつけられないんだ。 




親子・恋愛・友人同士の愛情だって、きっとそうなんじゃないかなあ・・

○○してあげた ことの 「見返り」を 腹の底で求めているなら それはきっと違う

それとも、犠牲が美しいとかなんとか言い聞かせて「我慢」するのも きっと違う

ただ、そうしたい、という純粋なシンプルな気持ち が あって

はじめて お互いの 何かが動くような気がする


この目でみたい

この足で歩いて この手で触って 実際に 自分のこころで感じたい

こころが揺れる仕事をしたい。

と思ったからそうした。

すると不思議で大切な出逢いが待っていたりする。

私にとって本当に「楽しい」という意味は 

泣けるほどのたくさんの喜怒哀楽のすべて。

だから、ここにある壁のすべてを私は受け入れる。



私が冒険をしていると言うのならば

それは決して自分探しなどではない

自分のことはわかっている

わからないのは

この狂った社会のこと

そしてその狂った世界の中でどうやって大事なことを発信していけるのかを

人生かけて探したい。

このことはとても精神的強さと忍耐力を要していて

自分がなければ その旅はむりだろろうとさえ思う

たったひとりでいる勇気

人はみんな 生まれ逝く そのすべてはひとりなんだって

だからこそ人を愛する奇跡

そのすべてをちゃんと感じるこころがなきゃ

きっと 旅など できない。


このさきの未来で 大切な家族を持つことが いつかできるなら

きっともっと私は強くなれそうな 気が する。


だから、それまでの旅路、倒れても転んでも、きっと起き上がろう。



私が私の為に精一杯生きることは 

それが真摯なものであるならば、きっといつのまにか何かと繋がっているはず

ならば逆もあって

つまり誰かや何かを守るために生きることだって実は自分のために生きることにも繋がっている。

だから、ボランティアという言葉の意味の一人歩きがいつか止まればいいのに、と思う。

私は今、本当にたくさんの人にまた支えられながら、

たくさんのことを教えられながら、生きています。



わからなくなったら、千年以上生きてる「木」にきこう。

人間は、どうしてこうも、「急ぐ」のでしょうか?











ボランティアって何?


ボランティアの語源は「ボルンタス」=「意志」という意味だそうで

つまり「無償奉仕」なんてことよりも

単純に自分の意志がそれをしたいと思う行動 

なのでは?


前からずっと考えてきた。

自分の想いや情熱をどんなふうに表現したらいいんだろう。

ボランティアって、単純に人を助けるとか・・そんな風に捉えられている。

でも私は人を助けられるなんて微塵も思ってもない、逆に私は今でも助けられてばかりだ。

ただ私は 「知ってしまった」ことを毎日の忙しさの中に風化させてしまう自分がこわくて 忘れたくなくて

「繋がり」を実感できる場所に身を置きたいと強く感じるようになっていたのはもう数年以上も前のこと

その方法は人それぞれ違ってよくて、私は今の道を選んだ。

ただそれだけのことだ。



毎日毎日たくさんの衝撃や感動や喜びや悲しみがあって

そうやってここでしか学べない何かを、目にみえない何かを学んでいけることが幸せだと心底思えるからこそ

ここにいる。

だから、ここにこれたこれまでの人生や過程、家族にも感謝している。

表向きは「ボランティア」と呼ばれている位置に偶然辿り着いたけれど

私の気持ちとしては ○○してあげる などとは一瞬でも思ってない。

人のために、国際平和のために、なんて掲げて歩いても こわいでしょ?

そうじゃないの。

大切な何かを感じる場所、私の涙があると感じるところに いつも私はいたい。

ただそれだけなんだ。

じゃあ 私のカラダが今いない場所は大切じゃないの?

っていったらそれは違う。

私の魂は、今までの道を辿ってきたからこそ、「今」があることを

ちゃんとわかっている。

だから、今までに出逢ったすべての大切な人や場所がなければ

今の奇跡もありえないから。だから、順番なんてつけられないんだ。 




親子・恋愛・友人同士の愛情だって、きっとそうなんじゃないかなあ・・

○○してあげた ことの 「見返り」を 腹の底で求めているなら それはきっと違う

それとも、犠牲が美しいとかなんとか言い聞かせて「我慢」するのも きっと違う

ただ、そうしたい、という純粋なシンプルな気持ち が あって

はじめて お互いの 何かが動くような気がする


この目でみたい

この足で歩いて この手で触って 実際に 自分のこころで感じたい

こころが揺れる仕事をしたい。

と思ったからそうした。

すると不思議で大切な出逢いが待っていたりする。

私にとって本当に「楽しい」という意味は 

泣けるほどのたくさんの喜怒哀楽のすべて。

だから、ここにある壁のすべてを私は受け入れる。



私が冒険をしていると言うのならば

それは決して自分探しなどではない

自分のことはわかっている

わからないのは

この狂った社会のこと

そしてその狂った世界の中でどうやって大事なことを発信していけるのかを

人生かけて探したい。

このことはとても精神的強さと忍耐力を要していて

自分がなければ その旅はむりだろろうとさえ思う

たったひとりでいる勇気

人はみんな 生まれ逝く そのすべてはひとりなんだって

だからこそ人を愛する奇跡

そのすべてをちゃんと感じるこころがなきゃ

きっと 旅など できない。


このさきの未来で 大切な家族を持つことが いつかできるなら

きっともっと私は強くなれそうな 気が する。


だから、それまでの旅路、倒れても転んでも、きっと起き上がろう。



私が私の為に精一杯生きることは 

それが真摯なものであるならば、きっといつのまにか何かと繋がっているはず

ならば逆もあって

つまり誰かや何かを守るために生きることだって実は自分のために生きることにも繋がっている。

だから、ボランティアという言葉の意味の一人歩きがいつか止まればいいのに、と思う。

私は今、本当にたくさんの人にまた支えられながら、

たくさんのことを教えられながら、生きています。



わからなくなったら、千年以上生きてる「木」にきこう。

人間は、どうしてこうも、「急ぐ」のでしょうか?

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