Friday, January 15, 2010

Water is life

20/09/2009

よくあるアクラの一日。

水がいかに命のすべてであり大切であるか、いかに私達が電気にお世話になっているか

を 決して忘れないように 今日はここに書き留めておくことにした。


洗面所や台所に蛇口はあるけれど、水はでません。

トイレもシャワールームもあるけれど、水はでません。

電気はつかないので、ろうそくか、簡易ライトのみ。

せっかく今日は家で家事のすべてをしようと思って友達との約束も断ったというのに!

料理はもちろんできません。炊いたごはんも炊飯器の中で乾燥してゆきます。

冷蔵庫の電気も切れましたので、中にある牛乳やチーズなどはまずアウト。肉も野菜も。。これは経済的にかなり打撃を受けます。

いたんだ食材を、もったにないからといって食べるわけにはいきません。ここの食中毒は本当に危険。

なので捨てるときにとても悲しい思いがします。

事前にわかっていれば、食材を買わなかったけど。

いつ電気が切れるか、いつ水が止まるかなんて誰にも予測つかないのです。

掃除をしようにも、水がないのでモップがけできません。

一番つらいのがトイレ。日ごろからバケツ一杯分の水は溜めているけれども

それは貴重な「水を流せる」一回分。

なので「小」のときは流さずにおくのがここでは普通。

でも、、「大」のとき・生理中とかはもう、冷や汗です。本当にしんどい。

外に出たって、公衆トイレなんてありませんから。それに町中が水ないので

誰かのうちに駆け込んだって、一緒です。水はありません。

じゃあ、どうする・・・?

解決策なし。我慢するしかないのです。いつ復活するかわからない水をただひたすら待つしか

ないのです。その連続は本当に体を壊すような勢いです。

お風呂タイムはもう慣れっこになりました。日ごろからバケツ一杯の水を溜めてから家を出るようにします。

そうすれば帰宅して水が止まっていても、それさえあれば、最低限、体と髪を洗えます。

その中の少しの水を沸かして、それをバケツの水に足して、温かくします。

もちろん丁寧に洗ってなんていられないけどね。でも一杯のバケツのお湯をあびることができるだけでも幸せ。

歯磨きや洗顔だけでも結構水を使っているんだなー・・とこういうときよくわかります。

食器洗うのにも。どんなに少しずつ節約しつつ使っても、

空のペットボトルにためておいた水がどんどんなくなって、たった一晩で5本は余裕で空になった。

私は一人住まいだからまだマシ、これが家族だったら? 大変です。

かといって、水をただバケツに溜めておけばいいって話でもない。

なぜなら、その水はすぐに腐ってカビがはえてしまうからです。

なので私は、トイレ・シャワー用のバケツの水以外はすべて冷蔵庫に保管するようにしてるけど

それだと保管できる数に限りがあるから、常に大量には保存できない。

それでも、ないよりはマシ。水がでるときは、ここぞとばかりに水溜めに明け暮れます。

それで水も電気もなくて何もできないこの瞬間にふと思ったのが

「水がないと本当に生きていけない。水がないと、何も考えることができない。

たとえば、国のことなんて、世界のことなんて、考えてる余裕なんてあるわけない。もう、今日や明日の食べるものや、明日の着る服のことや(水がないと洗濯できません)、掃除のことで頭がいっぱい。

水。水。水。水ーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」





人間のからだも70%は水分なわけだし、そりゃあもう、

水は「命」そのもの。

水がなきゃ、生命さえ生まれなかった。

水を恵んでくれる自然にどんなに感謝しつくしてもしきれない。

不便さが教えてくれることは本当にたくさんある

人間は悲しくも慣れてしまう生き物。

水が毎日でてしまえば、もう いちいち ありがとう なんて思わない。

それが当たり前になる。

そして急に水が出なくなったそのとき、慌てふためくのである。





何かの記事で書いてあった興味深い話で

水にも顕微鏡レベルでしか確認できないほどの結晶があって、

その形は常に変わるものらしいのだけど

水にむかって何度も「ありがとう、ありがとう」というと

その結晶の形がゆっくりと何か違う形になったんだって!!!

偶然?うん、かもね。でも、なんか、私は信じたいと思うわけ。そういうの。


水を、たいせつに しよう。

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