Friday, January 15, 2010

密輸品とガーナ服 2009

書き納め2009 第一弾 ~密輸品とガーナ服~

Ghana テキスタイル三大会社の一つ、GTPに直撃インタビュー!

~~需要が減少!ガーナ服の危機~

全く同じスタイル、同じデザインの服が2つあり、一方が高額、一方が安値であったなら、あなたはどちらを買うだろうか?
あなたのまわりに安く美しい輸入服がやってきたら、あなたはそれを無視できるだろうか?

よっぽど余裕がない限り、安ければ安いほど家計は助かる。そりゃ、安いほうがいいに決まってる。大富豪でもない限り、そう思うことは極めて普通のこと。消費者に悪気などあるわけはなく、必死で生きる私達はなるべく安いものを買いたいと思う。

しかしその行動が、じわじわと伝統の一つを押し潰す勢いにまで膨れ上がっていることなど、消費者には気付くはずもない。消費者の弱みをコントロールしている「闇」がたくさんありすぎるのだ。

毎週日曜日のガーナ。人口の大半がキリスト教を占めるこの国では、週末の教会行事は欠かせない。大切な社交場とも言える場所だ。その日に限っては、正装。色とりどりのガーナドレス・ガーナ服、女性のスカーフの巻き方も個人差があってとても美しい。艶やかな黒い肌に、太陽にも負けないくらいの鮮やかな色の布。伝統柄のパレード。そんな人々で溢れ、道を歩いているだけでも楽しい。

しかしその楽しみも、週末に限られる。

近年のガーナは、明らかに欧米の波が押し寄せ、若いガーナ人の美的感覚はガーナ服から欧米の服へ、伝統音楽から欧米の音楽へ、と移行しているように思われる。以前は女性はスカートのみを(ロングが通常)はくはずだったのが、今はどうだろうか。年配の女性でさえ、ズボンをはいていたりもする。

そのことがガーナのテキスタイル協同組合の中で非常に危険視されていることが数ヶ月前のTVで流れていた。売上が伸び悩み、つまり人々の布の買い方が変わり、需要もかなり減ってきているという。

あの美しい伝統服は一体どこへ行ってしまうのか。少しずつ忘れられていくのか。

そんな不安を抱え、ふと聞いてみたくなったのである。
伝統服を支えるガーナの三大テキスタイル会社の一つ、GTPは現状をどのように受け止めているのだろうか。そして、直撃インタビューに赴いたのである。
最初の入口を抜けて少し歩くと、この正式な入口につきあたる。


出迎えてくれたのは Kofi E. Bayitse, Human Resource Director。

1ミリも笑わないその姿勢に威厳と恐怖を感じつつ、なんとか笑顔で挨拶と握手を交わし席に着いた。余分な話などする余裕はなさそうである。早速、単刀直入に質問を開始した。


― 近年のガーナにおいて、欧米服を好む人々が増加しているようにみえます。まるで伝統服を忘れていくようにもみえます。あなたはどのように感じますか?それはGTPに影響を及ぼしましたか?

それを聞いた瞬間にDirectorの顔に一瞬笑みがこぼれた。諦めにも似たような、もうだいぶそのことで大変だったようななんとも深い笑みが。そしてたくさんのことを話してくれたのである。

「一番の原因は“密輸”などの違法な貿易だ。一体どのようにして入ってくるのかは分からないが、多くは中国からのものだ。その密輸品として多いのが洋服と煙草。そういったものは正式な輸入品ではないので税金を払っていない。そのことからも、販売者は安く売ることができる。競争相手となるものはいつも外からやってくる。しかし、たとえば国境線のすべてにセキュリティをつけることができないように、完全にそれらを防ぐのも難しい。それらを止める術がない、という事実がまず一つ。」

先進国からの善意の中古服でさえ、現地服商人たちを苦しめているという、どこかの国の記事を思い出した。
善意の中古服は原価ゼロ状態で送られてくるわけだから、販売者は現地服よりも格安で売ることができるのは当然だ。そして人々はそちらに洪水のように流れていく。

「それから、“コピー品”だ。アルファベットを一文字だけ変えていかにもそのブランドのように売る。GTP独自のデザインもコピーされて、似たようなものがたくさん出回っている。そしてそれは安い。デザインがはぼ一緒なんだ、そしたらどちらを買うかなんて明らかだろう?」

― それらに対してどのような対策を考えていますか?何かアイディアがありますか?

「GTP独自のデザインを今後変えたり、コピー品との質の違いを広告で大衆に知らせるなど。他にも、政府機関に協力を求め、密輸を難しくさせるような政策をつくることも挙げられるね。Cultural Identity をもっと確立させたい。ガーナ人らしくあってほしい。と同時に、欧米のスタイルを使用しつつも柄はアフリカンデザインを使うということも考えている。」

― それは一つの解決策にもなりそうですね。10年前のガーナは今の状況とは違っていたと思いますが。需要はどのように変化しましたか。

「そうだね、10年前は全然違ったよ。今では6ヤードきちんと買うのは年配女性が主で(正装のガーナドレスを作るには、スカーフやドレスの上から巻く布を含めて6ヤード購入が正式。)、若い女性は上着かスカートのどちらかだけの為にだけ購入、というように、一度に買うヤード数が減ってきている。」

― なるほど。それでは、コピーされた安い布とGTPの布の違いを教えていただけますか。

「着用回数にもよるが、GTPの布は厚く質が良いので何度洗っても頑丈だ。毎日着込んだとしても1~2年は持つ。しかし安価なほうはすぐに破れる。そしてGTPの布は水洗いしても色があせない。」

― 布地はどこから仕入れているのですか?ガーナ国内からですか?

「いや違う。昔は、ガーナ北部で綿が採れた。アコソンボにも綿の工場があったが閉鎖してしまった。今では、編んだだけの状態の100%コットン(=Gray Clothと呼ばれる)を主に中国から、他にもインドやタイから輸入している。そしてガーナで脱色し、真っ白の状態にする。この状態のときの布を“Calico”
という。その後、色を足していく仕組みだ。」
― 三大会社の一つ、ATLやGTMCとの布の違いは何でしょうか。

「他社の布も質は良い。しかし両側共にプリントが施されているのがGTPで、片面しかプリントされていないのがATLやGTMCのもので、それらはFancy Waxと呼ばれる。」

― GTPの資本元はどこでしょうか。ガーナですか、それとも海外でしょうか。そしてGTPはどのようにして経営をスタートさせることができたのでしょうか。

「工場がスタートしたのは1968年だった。その時はガーナ政府によって始まり、後に食品などの会社とガーナ政府が共同でシェアを持つという形で経営され、100%民間経営ではなかった。1994年に工場が閉鎖となってしまったのだが、オランダの会社が買収し、彼らの指揮のもとにまた製造が始まった。今でも本社はオランダにある。(名前はGTPではない。)しかし工場はガーナ国内にしかなく、14の倉庫を国内に持っている。」

― 外国に輸出はしていますか?

「西アフリカ諸国だけだね。トーゴ・ベニン・コートジボワールの3ヶ国だ。なぜなら、趣向が西アフリカ同士で似ているからだ。東アフリカは全く違うので輸出はできない。」

さらに内部の見学を申し出てみたところ、撮影は厳禁で許可がおりた!
整然と並ぶ、巨大な工場に足を踏み入れた。

入口付近にはGTP社員専用の病院とシャワー室などが設けられていた。いかに危険が伴う仕事かも理解できたので、納得の設備である。

GTPの製造は大体、マーケット用・Woodin用・個人オーダー用(学校などの制服等)と分かれているが、最初の工程は一緒である。

大量のGray Clothが次々にどでかい回転アイロンのようなものに吸い込まれ、空中高く配置されたパイプのようなものに沿って、ものすごい勢いで次の機械へと吸い込まれる。
そこで丁寧に洗浄され、次の機械では化学製品によって脱色され(茶色の水が勢いよく流れ続けていた)、その後また大きな機械を通したあと、まっ白い状態の布(Calicoという)になったものがまたすごい勢いで巨大な箱に積まれてゆく。

その後、隣の工場に渡り、WAXの巨大な機械が登場。WAXのもととなっている茶色の透き通った塊をやはりアジアから輸入しているようである。それも安くないとのこと。そのWAXを溶かす機械もあった。
まずは基礎となるプリントが彫刻のように刻まれた巨大ローラーとWAXで布に模様をつける基盤ができてゆく。

その後、布のベースの色別に、自動機械に吊るされ染色コーナーに入れられる。30分おきに一度吊りあげられ、また漬ける。その繰り返し。そして乾燥機に入る。

驚愕したのが、2回目からの色・プリントがすべて「手作業」であったこと。信じられないほどのスピードと正確さで、次々とスタンプを押す作業員。その大きなスタンプにはこれまた彫刻のように柄が刻まれており、それ用の染色料に一度浸けてから所定の位置に押していく。この連続作業ははっきりいって、女性にはかなりきついと思われる。

しっかりしたWAXのおかげで、両面に色とプリントがはっきり施された布は、また違う工場で巨大アイロンへと運ばれる。その近くで、Woodin用の染色も行われていた。

柄となるそのスタンプは一体どうやって作っているのか?
GTP専用のデザイン室にはたくさんのデザインボードがあり、下書きが描かれている。それに沿って、小さい電動のこぎりの様な機械を作業員が手と足で操作し、カットしてゆく。その作業も大変!でもたくさんの美しい柄が眩しかった。

乾燥・洗浄・アイロン等の最終段階を終えた大量の布はまた隣の工場をへ運ばれ、そこでマーケット・Woodin・個人用と分かれ、手作業で作業員がたたみ、ラベルをつけていく。ここで初めて女性作業員を数人見かけた。
これが終わるとそのまま出荷へ。

最後に、WAX用の巨大ローラーに施された柄がどうやってできるのかを見せてもらった。
最初に、透明のフィルムにコンピューターでデザインが映される。その透明フィルムをローラーに手で巻きつけ、専用の光に回転させながらあてる。そうすると、デザインの部分が、ローラーに反映される。その後、化学薬品のシャワーのような機械にそのローラーを入れて一定時間浸すと、そのデザインの部分以外は溶けて、結果機械のように正確なデザインがローラーに施されるという仕組み。
もちろん再利用もばっちり。使用後のローラーはまた専用のシャワー室に入れられ、再度メッキをつけ、また新しいデザインがつけられるようにする。

すべての工場を出た頃には、自分の体に、黒く小さくねっとりした何かが薄く撒いたように付着していた。

本当に大変な作業である。

帰り道に金の銅像の前を通った。案内役のマークは言う。
「WoodinをGTPにもたらしたのはこのフランス人マネジャーだったんだ。長いこと勤めていたが、つい最近辞職したので今はオランダ人マネジャーだよ」

GTPの「夢」は何かをDirectorに尋ねた。

「西アフリカで最大規模のテキスタイル製造業者になりたいね。ナイジェリアに比べたらまだまだ小さいが、それでも西アフリカでアフリカンプリントといえば“GTP”と呼ばれるようになりたいね!」

と笑顔で語ってくれた。GTPならきっとそうなれるはず!
感謝と応援の言葉をあとにした私たちに、突然のプレゼント。GTPの布を2ヤードお土産にいただいてしまいました。
本当に、素敵な会社でした。

きっとその「夢」が叶うように、伝統服がなくなってしまわぬように、願ってGTPをあとにしたのでした。

* **************

このインタビューから数か月後。

ガーナ人の友人の友人で、裁判関係の仕事に就いている人に出会い、この話をしたら、
興味深い証言が!

「そうそう、密輸の服などは、大体トーゴからだよ。トーゴのある港は、合法か違法かなんて全く関係なく出入りできる無法地帯なんだよ。だから、中国やいろんな国からの密輸品は、まずトーゴに入り、ガーナ人はその港まで取りにいくんだ。で、トーゴとガーナの国境にはセキュリティの薄い場所がいっぱいあるから、そこからガーナに戻り、商品をそれぞれ自分のうちなどに持ち帰り、後日売りさばくわけだよ。」

ああ。。。。。なるほどね。。。。。

その大量の密輸品で生活している媒介人や、それを必至の思いで受け取ってそれで生活しているガーナの人々の数を想像したときに

私は、一体何が正しいのか、どうするべきなのか わからなくなる。

そういった密輸品がもう何年も続いて、ガーナの生活になくてはならない供給品として人々に密着していて、
人々はそれを楽しんでいて、それがなくなったら困るという人がいるだろう。

密輸でも違法でも何でもいいから、今はそれが必要なんだというかもしれない。

ガーナを本当に変えることができるのは、ガーナ人自身であるのに。

でも、変える必要なんてないという人もたくさんいるだろう。

それに。もう密輸品がこれだけ流れ込んでしまった以上は、完全になくすことは無理かもしれない。

でも、これだけはやっぱりガーナ人に伝えたい。

そのつもりはなくても、その行動が
こうやって、自分たちの手で自分たちの価値ある文化や伝統を少しずつ薄れさせているんだってこと。

それはどこかの国の誰かが仕組んだわなのようなもので、知らないうちに自分たちは巻き込まれていたんだよってこと。

ここにある、自分たちにしかつくれない美しさを忘れないでほしい。

それさえしっかりあれば、きっと欧米文化がもっと流れ込んでも、バランスを保てるかもしれないから。

こういうとき、いつも自分の母国、日本を思い出す。

日本は戦後たった60年で、どっぷりと欧米文化に浸かり、それを満喫したけれども、

いったい何を失って、何を保てただろうか?

私は日本人として、その文化の美しさを、誇りを、自分の中にちゃんと保てているのだろうか。

それを問うことも 忘れないでいたい。



















 

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