Friday, September 16, 2011

橋 ~Bridge~

" Passion is born by strength. Hatred is born by weakness."

" The feeling you want to be loved is not love for the person. It's love for only yourself."

" If you wish to get something return from love, you 're already fallen down from the land of love. We're not a recipient. We're the bridge in the full of love.. The bridge for love to pass on."

- by Nietzsche

HONESTY

Without Honesty, No Unity & Love.

"Honesty" is the one of strong answer for better world. - maki

正直

平和と愛が 欲しいなら

そっと自分に聞いてみて

正直に

生きてますか

目の前の人にも

あなた自身にも

政権の腐敗の不思議 ~アフリカ編~

アフリカ諸国における政権の腐敗の不思議

ずーーーーーーーーっと不思議で解明したかったこの素朴な疑問。
もちろん、どこの国でも政権には必ず大なり小なり腐敗はある。
けれども、アフリカ大陸内での政権腐敗は、なんとも露骨で目にあまることが多い。
その方がまだ目にみえないずる賢い腐敗よりマシなのかもしれないけれど。。。

でも、とにかく考えが止まらなかった。
なぜなのだろう。
どうしていつもアフリカのトップレベルの男たちは
一度金を手にすると、いとも簡単に人々を捨てて自分の富と名声と
外国諸国の闇のおいしい話に手をのばすのだろう。

ここシエラレオネでのMining外国会社(アメリカ1社、南アフリカ1社)を国内に入れて労働許可しているのはシエラレオネ政府であり、たとえ安い鉱物だとしても何でも確実にミネラルはあって儲けているからこそ、彼らのビジネスを許可しているわけだ。それならその利益はどこに流れているのか。その会社と、買い手と、政府、というわけだ。そこで働かされている人々の給料は最低賃金クラスで、彼らはその資源がいったいどうなっていくらで売られているのかも知らずに、せっせと働いている。なんとも巧みに出来上がった現代版植民地制度のようだ。
さらにすっかり破壊された土地をみた。何かと聞いたらさとうきび畑だという。どこの会社?ジンバブエの石油会社ADDAXSだという。奴隷制度の時代にもあったプランテーション!!なんと。。。びっくりした。現代であっても搾取は進行形だった。。。シエラレオネの現地の人々は、これまた何になるのかどれほどの利益になるのか知らずにただ「雇用が増える、お金がもらえる」という単純思考で快諾してしまい、1ケ月100ドルとかそれくらいで働いてしまっているらしい。

そして、そこから儲けた莫大な金は、現地の人々の為に使われているのかと言えば?皆無に近い。
つまりそこで、政府の腐敗と、もう一つのキーポイント、人々のココロ、が浮き彫りになってくるのだと感じる。

なぜ、資源で得たお金を教育と保健にまず当てないのか?
なぜ、天然資源が採れる地域ばかりサポートするのか?
資本金がないから発展しないのだというけれど、それ以外の努力はしたのか?
家庭内暴力の被害者が駆け込める相談所を建設しても、また被害者はその家庭に帰るしかないので、結局同じことが起こるだけだ、というのも分かる、じゃあ、そういった人々への啓発は結局「教育」からで、学校に道徳教育を入れたりするにしてもやはりそれができる先生が必要。ソーシャルワーカーを増やす為のトレーニング費用も莫大なお金。やはり政府がリーダーシップをとらなくては、そこは海外NGOなどだけのヘルプではどうにもならないのだ。結局、本人たち次第なのだ。かといって、政府が何もしないからと諦めるだけの人々にも非はある。考えることをしたくないのなら不満を言うな、不満を言うなら考えて案を出せ、ということ。
しかしそこにまた保守的な社会が出てくる。
「どうせ自分だけが言っても、誰も相手にしてくれないし、むしろ、無駄なことをしている馬鹿だといってのけ者にされる」
実際本当にそういう状況があるからびっくりなのだが、そうだとしてもそこで諦めるのであれば、そこまでなのだと思う。それなら、ずっとこのままだよ。

なぜ、自分のことばかりしか考えないのか?
なぜ、人々は人々同士で信じあえなくなっているのか?
なぜ、人々は団結しないのか?
なぜ、海外に出た者は帰ってきて祖国を助けようとしないのか?

なぜ、人々は助けあわないのか?

素朴な質問なのである。
あるシエラレオネ人に聞いてみたらこんな返事が返ってきた。

「ずっと前は軍事政権で、社会も学校も、全て人々に自由はなかった。こうだと言われたらそうなのだ、と強制的に抑えつけられていた。だから、自分たちで考える、ということをずっとしてきていない。常に従うだけ、それが正しかった」

これは、どこのアフリカ諸国でも似たような状況があるかもしれない。
ガーナもそうで、学校での子どもたちの態度は、いつも先生の指示を待つのみ。自分たちで考えて計画して作る、という授業は一切なく、先生が言うことをリピートするのみ。間違えば怒られるし、答えはその一つしかないと教え込まされる。先生もそのようにしか授業をしない。さらに悪いことに、それを疑問に思った教師が奇跡的にいたとしても、保守的な世間体の手前、彼は社会からのけ者にされたくないが為に、目をつぶるのである。良い先生はいつも黙っているしかないのである。まるで軍隊。

学校だけではない。社会も、結局すごく保守的だ。資本主義だけは欧米に追い付けと言わんばかりに猛突進したいくせに、人間関係の構造は昔からの根深いシステムで進行しているので、なんとも複雑。でも、その点については日本も実はそうなった一つの結果のように思う。

結局、人々のココロの問題が、十分に関係しているとみた。
政府の腐敗だけが問題なのではない。
政府の文句を言っている、そこらへんにいるあの男も、一度政府に入ったら
いかにも同じことをしそうな人々がたくさんいる、のがある一つの現実であった。
そして、当たり前かもしれないが、彼らはそのことに全然気づいていない。


ソマリア国境付近では、ケニアによる「防御訓練」がボランティアで、村の庶民や子どもたちに行われているそうである。彼らは全く彼ら自身を守る武器を持っていないため、子どもたちには銃を持たせて使い方を教えているようだ。美しい民族衣装を身にまとった少女と美しい自然と動物に、何故か銃。全く共鳴しないその組み合わせと不自然な光景にどうしても違和感が残る。自分の命を守るため・・・子どもたちに銃の使い方を教えるという、その方向性は、果たして正しいのか?

今のエジプトで起こっている騒ぎは、ただの市民革命ではない。政治が大いに絡まり、そして複雑なことに宗教まで絡まり合って余計に混乱しそうな気配。

リビア・・・
これは決してただの「民主主義革命」ではない。市民への無料教育や無償医療などは大いに喜ばれていていたはずだ。でもその代わり政治の自由は全くなし。そのことがこの反乱のきっかけになっているようだが・・・ はたしてどちらが良いのか。教育や医療は有料になるが、政治の自由や言論の自由がもらえる。しかし、それがいいのであれば、いかに自分たちでコントロールしなくてはいけなくなるか、それができないのに表向きだけ民主主義になったら相当な犯罪・詐欺が横行できる危険性があるということ、をわかっていなくてはいけない。といっても、経験してなくてはわかるはずもない。誰かが言ったところで体ではわからない。かといって今の状態から抜け出したい人々の数が、保守層と対抗するほど増えているからこうなっているのであって、やはりとても重要な交差点であることは間違いない。。。

MOSES,ありがとう、いつもこのメッセージを。もっとあなたの国の人々もこの意味をわかってくれたなら・・・
Thanks to Everyone I appreciate all your comments lovely! We are all special in many ways, "Everybody can do something, Nobody can do everything, Together We can do everything, Just appreciate and don't hate it!!