03/18/2009
23日。アフリカ、ガーナへ旅立つ。
ずっとずっと、何年も想い続けた、アフリカ。
とうとう、このときが、きた。
”アフリカの水を一度飲んだ者は、また必ずアフリカに帰る”
そんなどこからか聞いた言葉を思い出しながら、期待と不安と覚悟と希望が入り混じった、妙な気持ちをコントロールしつつ、準備をする。
昨日、ご先祖様のお墓に母と2人で参った。
墓石にはいつものように、3人の影がうっすらとあり、私はいつもそれを見て帰るのが習慣だった。
昨日もまたそれを見て、安心して帰った。
仏壇にも参り、おばあちゃんの写真をしばらく眺めた。
そのあと、シュタークのお墓に一人で行き、掃除を始めた。
山の中のうちの畑の中にあるので、また草がたくさん生えていた。
最初にくわで草の根っこを掘って、綺麗に土をならした。
綺麗になったその土を見ていたら突然胸が苦しくなって、涙が溢れてきて、苔がにじんで見えた。
どこに草があるのかわかないくらいにぼとぼとと涙がこぼれ、それでも掘り続けた。
かわいいシュタークにぴったりのお花を母が買ってくれてたので、それを飾った。
暑い夏によく私は水をシュタークにあげわすれていたことを今でも思い出す。
真ん中の石にしっかりと綺麗なお水を流し、一つの湯のみ茶碗にたっぷりとこぼれるまで水を注いだ。
そしてろうそくを灯して、お線香をあげるころにシュタークがまわりをぴょんぴょんと飛び跳ねている気がしたのでなんだか安心して、掃除を終えた。
うちの畑や事務所や家を静かに眺めた。
そして家に戻った。
今日は、私の尊敬する、故・星野道夫さんの詩を、書かせていただきたいと思う。
なぜ私が、わざわざアフリカに行こうと思うのか、それを一言で片付けるのは難しい。
「大人になって、私たちは子ども時代を懐かしく思い出す。それはあの頃夢中になった様々な遊び、今はもう消えてしまった原っぱ、幼なじみ・・・なのだろうか。きっとそれもあるかもしれない。が、おそらく一番懐かしいものは、あの頃無意識にもっていた時間の感覚ではないだろうか。
過去も未来もないただその一瞬一瞬を生きていた、もう取り戻すことのできない時間への郷愁である。
過去とか未来とかは、私達が勝手に作り上げた幻想で、本当はそんな時間など存在しないのかもしれない。
そして人間という生きものは、その幻想から悲しいくらい離れることができない。それはきっと、ある種の素晴らしさと、それと同じくらいのつまらなさをも内包しているのだろう。
まだ幼い子どもを見ているとき、そしてあらゆる生きものたちを見ているとき、どうしようもなく魅きつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。」
「苛酷な自然、と感じながら生きているエスキモーは、おそらく一人もいない。きっと、何と豊かな世界に生きている、と思っているだろう。
見知らぬ異国にやってきて考えることは、そこで暮らす人々と自分の埋めようのない距離感と、同じ時代を生きる人間としての幸福の多様性である。
どれだけ違う世界で生まれ育とうと、私たちはある共通する一点で同じ土俵に立っている。
それは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いなのだ。
そう思ったとき、異国の人々の風景と自分が初めて重なりあう。アラスカを旅しながら、様々な人に出会い、それぞれの物語に触れるたび、ぼくの中のアラスカは塗りかえられていった。
それは、とても一言ではくくることのできない現実の多層性というものである。
偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか、それは人間存在のもつ大切な何かに関わっていた。
その大切な何かが、たましいというものだった。」
「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。
その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出逢う限りない不思議さに通じている。」
これからのアフリカの生活の中で、きっと私は何度も星野さんの言葉や写真を思い出すだろう。
それから、そうなるであろう他の尊敬する人がまだ他にもたくさんいる。
伊勢崎賢治さんhttp://www.magazine9.jp/isezaki/index.html
土井香苗さん (Human rights watch 日本支部Director)http://www.hrw.org/en/languages?filter0=ja
伊藤 剛 さん(Generation Times 編集長)http://www.generationtimes.jp/blog/2006/11/today_is_my_lifevol07.html
星野さんを含め、特にこの4人の方々に、今、とても私は注目し、そして学んでいる。
私はいつもいつも学ばされている。
不思議なことがもうすでに起こっている。
私が、何か誰かを想い行動したり、自分以外の為に動いたりしたとき必ずといっていいほど、それ以上の学びや豊かさが、私に返ってくるのである。
本当に不思議で、ああ、やっぱりそうだったのか、と思わずにはいられなかった。
そして、その行動の方向性は、一人一人違う。ツールも道も違う。
だから、違って見えるかもしれないが、私もあなたも、同じ道を歩めるのである。助け合う、という、道を。
そしてその想いはすべて繋がっている。
あなたが助けた誰かは私を助けるかもしれない
私が助けた誰かはあなたを助けるかもしれない
ある角度からみたら私は 何ももっていない
かもしれないけれど、実は私はすでに、とても、貰っている。
目にみえない大切なものを。だから、その角度からみたら私は とても幸せに溢れてる幸せ者だ。
これからも、もっともっと、貰ってしまうのだろう、たくさんの ホントのコトを。
それがいい。私は。
こんな私でもずっと守ってきたことがある。
自分に嘘をつかないこと。
真実から目をそらさないこと。
それから、ずっと信じていることがある。
きっと本当に愛する人と愛し合い、子どもを持ち、その子に伝えたい。
たとえ世の中がどんなに狂っていても、人生は、素晴らしいんだってことを。
行ってきます。ガーナに着いたら、深呼吸をして、覚悟を決めます。
私のまわりにいてくれた、すべての大切な人へ心からありがとう。
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