Wednesday, October 29, 2014

あなた自身 になる為に 生まれてきた ということの大切さ



「みな それぞれに この世に 生まれる前から 
彼・彼女の このいのちの目的を すでに選んでやってくる」


今日もまたOSHOさまより素敵なメッセージをいただきましたので
シェアいたします

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質問
なぜ私は、あるがままの自分を受け容れるのが恐いのでしょう?
osho
誰もが同じ状況にある。
誰もがあるがままの自分を受け容れることを恐れている。
これが人類のすべての過去が、あらゆる子供、
あらゆる人間を躾け、条件づけて来た方法だ。
その戦略は単純だが、きわめて危険だ。
その戦略とは、あなたを非難し、あなたが常に自分以外の
誰かになろうとするようにあなたに理想を与えることだ。
キリスト教徒はイエスになろうとしており、
仏教徒は仏陀になろうとしている。
そしてこれがあなた方を自分から引き離すあまりにも
賢い手段である為に、そうしている人々自身がそのことに気づかない。
イエスが十字架の上で言ったこと、人類に対する彼の最後の言葉は、
様々な意味でこの上もなく意味が深い・・この文脈では特にそうだ。
彼は
「父よ、この人達をお許しください。
彼らは自分が何をしているのか知らないのです」
と神に祈った。
これはあらゆる父親とあらゆる母親、あらゆる教師とあらゆる聖職者、
そしてあらゆる道徳家・・文化、社会、文明を管理する人々、
あらゆる個人を特定の鋳型にはめ込もうとする
すべての人々・・に当てはまる。
恐らく、彼らもまた自分が何をしているのかを知らないのだ。
多分彼らは、何もかもあなた達によかれと
思ってしているのだと思っているだろう。
私はその人達の善意は疑わないが、その人達が無知であるということ、
無意識な人々だということを、あなた方にどうしても気づいて欲しい。
幼い子供は無意識な社会の手の内に生まれる。
するとその無意識な社会は、もっとも肝心なひとつのこと、
その子はその子自身の可能性を持っているということを、
彼はイエスやクリシュナや仏陀になるべきなのではなく、
彼自身にならなくてはならないのだという、ひとつのことを忘れて、
その社会の理想に合わせてその子を鋳型にはめ込み始める。
自分自身になる為に成長するのでなければ、
その子は生涯まったく惨めなままに留まるだろう。
彼の人生はまさに地獄であり呪いとなって、
しかも本人には何がいけないのかが分からないだろう。
彼は最初の最初から間違った方向に向けられてしまったのだ。
その子をその間違った方向に向けた人々こそ、
その子から見れば自分を愛してくれていると思っている人々、
自分の恩人だと思っている人達だ。
実際は、その人達こそが彼の最大の敵だ。
両親や教師や聖職者や社会の指導者達こそ、
今もなおこの地上に生まれたあらゆる個人の最大の敵だ。
意識することなく、彼らはあなたをあなた自身から引き離す。
そしてあなたを引き離す為に、あなたはひとつのことを、
つまりあなたはあるがままではまったく価値がない、
生きる価値もない、何の役にも立たない存在だということを、
完全に条件づけられなければならない。
もちろん、他人によって与えられた規則と決まりに従うなら、
あなたは尊敬と敬意を受けることは出来る。
あなたが何とか偽善者になれれば、社会の立派な市民になることだろう。
だがもしあなたが頑固に誠実で、正直で、真摯で、
自分自身であろうとするなら、
あなたはあらゆる人に非難されることになる。
そして、あらゆる人から非難を受けるには、途方もない勇気が必要だ。
自らに拠って立ち
「私は自分以外の誰にもなるつもりはない。
それが良かろうが悪かろうが、みんなに受け容れられまいが、
褒められようが褒められまいが。
ひとつだけ確かなことは、私は他の誰でもない
自分自身にしかなれないということだ」
と自分に宣言するには、鋼鉄の背骨を持った人間であることが必要だ。
これには、人生に対する途方もなく革命的なアプローチが必要だ。
もし個人が不幸というこの悪循環から外に出ようとするなら、
誰にとってもこれこそが必要な、基本的な反逆だ。
あなたは私に
「なぜ私はあるがままの自分を受け容れるのが恐いのでしょうか?」
と尋ねている。
それはあなたが誰によっても、あるがままのあなたとして
受け容れられたことがないからだ。
彼らは、あなたが自分を受け容れたらみんなに
拒否されるという恐怖と懸念を生み出したのだ。
これは、これまで存在したあらゆる社会とあらゆる文化の
絶対条件なのだが、あなたが自分自身を受け容れて全員に拒否されるか、
または自分を拒否して全社会と文化の尊敬と名誉を受けるか、
そのどちらかだということだ。
この選択は、本当に非常に難しい。
当然、大衆は尊敬の方を選択することになるが、
尊敬と共にあらゆる不安と苦悶と無意味さと人生の砂漠がやって来る。
そこでは何ひとつ成長せず、何ひとつみずみずしいものはなく、
かつてどんな花も咲いたことがなく、
そこであなたが歩いて、歩いて、歩いても、
決してどんなオアシスにも辿り着くことはない。

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